第57話 喜ぶ者あれば、苦しむ者あり
江戸の町。軒を連ねる店々のあいだを、吉宗は久通とともに歩いていた。
通りの向こう、八百屋の前で立ち話をする二人の女房たちがいた。
「ほんと、最近は米が安くて助かるよねえ」
「うんうん。毎日三度三度のことだからね。おかげでおかずをちょっと豪華にできるのよ」
「うちもさ、旦那が“最近、酒のアテが豪華じゃねえか”ってご機嫌よ。ああいうのが一番うるさいから、助かるったらないわ」
笑い声が転がるのを耳にしながら、吉宗は立ち止まる。
(米の価格って、大事なのよね)
脳裏に浮かぶのは、前世の記憶――
(あの時……米が急騰して、半年でほぼ倍になったのよね。五キロで五千円とか。あの時期は白米を買わずに、冷凍うどんとかパスタばかりだったわ。最初はいいのよ? でもね、三日目あたりから、もう顔も見たくなくなった)
(ストレスたまるたまる……。政府のニュース見るたびに、もっとしっかりしてよ!って心の中で叫んでたもの。“米は日本人の命なのよ!”って)
今、目の前で楽しそうに笑い合う女たちを見て、吉宗の頬にも思わず笑みが浮かび、その穏やかな光景に心和ませていると、ふと、通りの向こうの人だかりが目に入った。
行列の先に目をやれば、「口入れ屋」と掲げられた木札。
その前で、羽織袴の男たち――どう見ても武士――が、所在なげに順番を待っていた。
(……あれは、職探しの口入れ屋? なんで、あんなに武士が?)
吉宗が足を止めて眺めていると、一人の中年侍がちらりとこちらを見た。
「……なんだ、あんたも職探しか?」
「いや、通りすがりだ……。しかし、ずいぶんと侍の姿が多いようだが?」
「ったく、見りゃわかるだろう。こちとら、藩からの支給が減らされちまってな。米を売っても雀の涙。暮らしていけるかってんだよ」
「……米の値が、そんなに下がっているのか?」
吉宗は思わず問い返した。町の女たちの会話で、米が安くなっていることは耳にしていた。だが、それがここまで深刻な事態を招いているとは――。
「はぁ? お前さんも侍のくせに知らねえのか。最近の米価の暴落はひでぇもんだぜ。去年の半値だ。どこも米余りでな、換金しても金にならねぇ。武士の収入は米が基本だからよ、みんな干上がっちまってるのさ」
男は肩をすくめ、吐き捨てるように言った。
「それでいて、物価はそう下がらねえ。帳尻が合わねえんだよ。お上は何してやがるんだって話よ。米の値が下がりっぱなしでも、見て見ぬふりだ。俺たちが飢えても知らん顔さ……」
「……」
(なるほど……米価の下落で喜ぶ者がいれば、苦しむ者もいる。武士が米を金に換えて生きていることを、すっかり忘れていたわ)
喜ぶ町人の影で、静かに干上がっていく者たちがいる。
それが続けば、不満はやがて治安の乱れにつながる。
吉宗は口元を引き締め、心の中で呟いた。
(これは――早急に手を打たなければ)
今回から「米将軍編」に突入です。
お米が安くなるのは庶民にとってありがたいけれど、米で給料をもらう武士にとっては死活問題――。
同じ出来事でも、立場によって見え方がこんなにも違うんですよね。
書いていて改めて、今の時代にも通じるなあと感じました。
吉宗(元主婦)がどんな対策を打ち出すのか、よければ最後までお付き合いください。
そしてもし、少しでも「続きが気になる」と思っていただけたら――
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