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第50話 小川笙船を呼べ

忠相から、母子の無事を知らせる報告が届いた。


吉宗はほっと胸を撫で下ろす。


「よかった……。これで、ひとまずは……」


だが、すぐに表情を引き締めた。


「……でも、これで終わりじゃない。あの子のような訴えは、きっと他にもある」


手元の訴状を見下ろしながら、静かに言葉を続けた。


「誰もが訴えを書けるわけじゃない。文字を書けない者も、目安箱の存在すら知らぬ者もいる。……こっちから探すこともできやしない」


しばし沈黙のあと、ふっと息を吐く。


「それなら――いっそ、幕府が施療の場を作ればいい。誰でも来られて、診てもらえる場所を」


そう、幕府直営の病院を――。


だが。


「……病院って、どうやって作るのかしら?」


自問して、しばし沈黙。


「土地?建物?人手?予算? あーもう、何が必要なのかすらわからないわ……」


ぐるぐると思考を巡らせたあと、ぽんと手を打った。


「わからないなら、わかる人に聞けばいいのよ。餅は餅屋って言うじゃない!」


キリッと顔を上げる。


「病院のことは医者に聞くのが一番。……たしか、あの子を診てくれたのは――小川……小川なんちゃらって人だったわね。そうよ、その人に話を聞きに行こう!」


こうして、将軍は再び町へと向かうのだった。



奉行所の奥、静かな一室にて。


「忠相、このあいだの母子の件、無事だったそうだな」


「は。上様のご決断あってのことにございます」


「だが、あの子のような訴えは、ほんの一例にすぎぬ。困っていても声を上げられぬ者もおろう。ならば――いっそ、幕府で診る場所を作るべきだ」


忠相がわずかに目を見開く。


「御施療所のようなものを、お考えで?」


「うむ。だが、医のことは門外漢。わからぬことばかりじゃ。……まずは、町の実情を見てみたい」


吉宗はまっすぐ忠相を見据えた。


「先日の母親を診た医者――たしか、小川とか申したな? その者のもとへ案内せよ」


「……上様が、直に、でございますか?」


「うむ。餅は餅屋じゃろう。病のことは医者に聞くのが早い。案ずるな、いつものように目立たぬ格好で出る」


そう言って着物の裾を整えると、忠相が制した。


「それでは、小川笙船をこちらへお呼びしましょう。奉行所であれば、静かな場も用意できます」


だが、吉宗は軽く首を振った。


「いや、わしが行く。それでよい」


「しかし、上様。小川の施療所は病人で溢れております。万が一、病など……」


「それでもいけません! 上様が、病の場に足を運ばれるなど……!」


吉宗は少し面倒そうに手を振った。


「誰か、誰かおらぬか」


「はっ、お奉行様!」


呼ばれて駆け寄った奉行所の役人に、忠相が言いつける。


「小川笙船に、上様がお召しであると伝えてまいれ」


「かしこまりました!」



しばしののち、使いに出た役人が戻る。


「申し訳ございません、小川笙船殿より、『施療が立て込んでおり、どうしても出向く余裕がございません』との返答にございます」


吉宗は口元に笑みを浮かべた。


「ならば決まりじゃ。――わしが行こう」


今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。


母親の命を救いたいと訴えた子どもの声――

それをきっかけに、吉宗は江戸の医療に目を向け始めます。


けれど、将軍といえど、医療のことまでは詳しくわかりません。

「わからぬなら、わかる者に聞けばよい」

この主婦らしい発想こそが、のちの小石川養生所へと繋がっていきます。


次回は、いよいよ吉宗が施療所を訪れ、実際に町の現場を見るお話。

幕府直営の病院をつくるという発想が、ここから芽吹いていきます。


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