第42話 大奥整理始まる
大奥――月次の御広敷。
ふだんなら控えめな談笑や衣擦れの音が聞こえるこの場所も、今日ばかりは異様な静けさに包まれていた。
御広敷の一間は、欄間に繊細な蒔絵が施され、畳の縁には家紋が刺繍された絹の布が敷かれている。障子を通す光すら、どこか柔らかく、女たちを静かに照らしていた。
朱塗りの柱に金箔をあしらった飾り棚。床の間には季節の花と、由緒ある書が飾られ、その一つひとつが「ここは女の頂点」と物語っているかのようだ。
ここに集ったのは、将軍に近しく仕えることを許された、選ばれし者たち。仕草、言葉遣い、装束のすべてに細心の注意が払われ、その誇りは、まさに“日本女性の最高位”とも称される存在だった。
だが、今日のその顔ぶれには、いつものような気品や余裕が見られなかった。
華やかな小袖に身を包み、髪を丁寧に結い上げてはいても、どこか落ち着かず、唇をかみしめる者、そっと視線を交わす者。背筋を伸ばしてはいるが、その張りつめた空気に、誰もが無言の不安を漂わせていた。
「これより、上様の仰せを申し上げます」
滝川は一歩前に出て、静かに周囲を見渡した。誰もが息をのむ中、彼女の声が響く。
「このたび、上様の御裁断により――大奥の人員を整理することが決定されました」
ざわりと場が揺れる気配。しかし誰も言葉を発さず、ただその続きを待っていた。
「ここにいる者のうち、およそ半数が、お暇を頂戴いたすこととなります」
その言葉が落ちた瞬間、大広間にざわめきが走った。
「半数……!?」「まさか、私も?」「そんな……」
美しく結い上げられた髷が揺れ、衣擦れの音が急に増す。ひそひそとした囁きが渦を巻き、あちこちで動揺の表情が浮かぶ。誰もが己の行く末を案じ、周囲を見回しては、不安を募らせていた。
そんなざわめきを、滝川の凛とした声が切り裂いた。
「――お静かに」
場の空気が一瞬で凍りつく。声を発しかけていた者たちも思わず口を閉じ、再び滝川のほうへと視線が集まる。
滝川は一拍の間を置き、厳かに続けた。
「この決断は、幕府の財政立て直しのため、避けては通れぬ道にございます」
「以後、順次その名をお伝えし、退出の段取りをお知らせいたします。どうか動揺なされぬよう、粛々と受け止めてくださいますよう――」
滝川は一呼吸置き、厳かに告げた。
「それでは、名前を申し上げます」
中臈 お登勢
御末 おゆき
小納戸 お志乃
中臈 お初
……以上十名はこのままここに残るよう。あとは解散――」
そう滝川が言い終えると、広間にいた女たちは緊張と安堵の入り混じった表情で頭を下げ、それぞれの部屋へと散っていった。
やがて静けさが戻った室内に、再び滝川の低い声が響く。
「これは上様よりお預かりした、縁談候補の書付じゃ。お暇を申し付けられた皆の、今後の人生のため、上様が心より誠意を込めて選ばれた方々じゃ」
そう言って滝川が文箱の蓋を外すと、中から丁寧に綴られた数枚の書付が取り出された。名前や年齢、身分、家族構成に加え、趣味や人となりまで書き込まれている。
「江戸本町の薬種問屋“近江屋”の長男、二十二歳。気立てがよく、家業を真面目に手伝っておるとのことじゃ」
「旗本・片倉家の次男、二十七歳。実直な性格で、近隣でも評判の武士じゃそうな」
「大坂・鰹節問屋“豊川屋”の主、五十一歳。後添えを探しておるとか。娘がひとり嫁いだあとは、気楽なもんらしい」
滝川が読み上げるたびに、部屋の空気が少しずつ和らいでいく。
「若い方もいるのね……」
「てっきり、変なところに押し込まれるかと……」
「これ……ちょっと気になる方がいるのだけど……」
お志乃がそっと手を挙げ、隣のお登勢に顔を寄せた。
「ねえ、“片倉様”って武家の方、よさそうじゃない?」
「わかる……真面目そうな人って、案外おおらかだったりするのよね」
やがて、誰からともなく小さな笑い声が漏れ始める。
あれほど緊張に包まれていた空間が、まるで別の部屋になったかのように、ふっと明るさを取り戻していた。
滝川はその様子をそっと見やりながら、心中でほっと胸をなでおろした。
(……まずは第一関門、突破じゃな)
大奥改革編、ついに人員整理の発表に突入しました。
今の時代なら「結婚しない」という選択肢も自然ですが、この時代では老後の生活を考えると、やはり「嫁ぐ」というのが当たり前の選択肢だったのでしょう。
改革とはいえ、ただ削減するだけではなく、将軍として「第二の人生」に責任を持つべきでは?――そんな想いで、今回は若くて見目の良い者だけでなく、年の入った方の行く末についても真剣に考えてみました。
読んでくださる皆様にも「もし自分がその場にいたら……」と想像して楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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