第41話 女たちの矜持と、将軍の責任
大奥の改革が決まり、半数――およそ二千人の人員削減が計画された。
だが当然ながら、一度に発表すれば現場は混乱する。
「一度に二千人も暇を出すのは、さすがに現実的ではないな。混乱は避けねばならぬ」
「はい……では、百人ずつ順を追って発表するのはいかがでしょうか」
「……百人ずつ」
(なんだか、名前を呼ばれた者が“処される”みたいで、デスゲーム感があるのは気のせいかしら?)
「それが妥当であろう」
こうして――
幕府史上最大の大奥整理が、静かに、だが確実に動き出すことになる。
*
「上様からのご命令でございます。大奥の人員を整理致す旨を、直接お伝えせよとのことですが……どなたか行っていただけませんか?」
久通が深々と頭を下げると、老中たちは一斉に目を逸らした。
「いやいや、それは久通殿が適任でしょう。上様の側近として、普段から近しい関係を築いておられる」
「いやいや、水野殿の方が柔和な物腰ゆえ、大奥の方々からも反発が少ないのでは?」
「とんでもない。ここはやはり、松平殿のように冷静沈着な方が……」
「これではらちがあかん! こうなったら、じゃんけんで決めよう!」
その結果――。
「……負けました」
がっくりと肩を落とした久通は、しぶしぶ大奥の表御殿へと足を運ぶことになった。
*
大奥年寄・瀬川の前に通された久通は、緊張した面持ちで膝をつき、手元の紙を見ながら、声を震わせて口を開いた。
「上様よりの、伝達にございます……」
「……なにかしら」
瀬川の声音は穏やかだが、目は笑っていない。
「大奥の人員を、整理致すとのこと……およそ半数を対象に……年が若く、見目の良き者から順に、お暇を出すよう……ご所望でございます……」
瀬川の扇子が、ぱたりと音を立てて閉じられた。
「……ふむ。つまり、美人から追い出すということかしら?」
「い、いえ、そのような、あの、いや、そのようなことと申しますか……!」
「“見目の良き者から”と仰ったわよね?」
「は、はい……」
と、居心地の悪そうに返した久通は、ちらりと周囲をうかがい、ぽつりと続けた。
「……若く見目の良い者ならば――大奥を出されたとしても、すぐに嫁ぎ先が見つかり、行く先に困ることも少なかろう…… との配慮でございます」
瀬川は静かに立ち上がると、久通を鋭い視線で見下ろした。
「――わかりました。そのように手配いたしましょう」
「しかし! 上様にお伝えなさい。“大奥に手を入れるというのは、ここにいる全ての女の人生を揺るがすことになります”と」
「そのお覚悟……本当におありかどうか、上様にお尋ねくださいませ」
*
久通は、大奥の年寄・瀬川のもとを辞した後も、ずっと彼女の言葉が胸に刺さっていた。
(――「大奥に手を入れるというのは、ここにいる全ての女の人生を動かすことになります」か)
その重さをかみしめながら、吉宗のもとへ戻ると、久通は静かに頭を下げて報告した。
「上様。大奥年寄・瀬川様よりお言葉を賜りました」
「なんと仰っておった」
「“大奥に手を入れるというのは、女たちの人生を変えることである。その覚悟はおありか”と」
吉宗はしばし沈黙したのち、静かに立ち上がった。
「……そうか。それなら、わしが直接、大奥へ行こう」
*
その日の午後。
滅多に足を運ばぬ将軍の訪問に、大奥は一時騒然となった。
年寄たちが顔をそろえた奥の広間に、吉宗が姿を現す。
「突然参ったこと、詫びる」
静まり返る空気の中、吉宗はゆっくりと口を開いた。
「そなたらを半数、暇に出すことは決して軽んじてのことではない。財政の見直しは急務――わかってくれ」
「これまで大奥を支えてくれた女子たちには、必ず新たな行き先を用意する」
「見目も年も、それぞれ違うであろうが、それぞれにふさわしき嫁ぎ先、働き口、あるいは家の後継ぎとしての縁談を――幕府が責任をもって探すつもりだ」
「故に……どうか、安心して大奥を離れてほしい」
言葉を終えると、吉宗は深く頭を下げた。
しばしの沈黙ののち、年寄・瀬川が口を開いた。
「……上様がそこまでお考えであれば、我らは従うのみ」
「そのように伝えれば、皆も納得いたしましょう」
すると、その場に控えていた天英院と月光院が、ゆるやかに頷いた。
「上様のお心遣い、しかと受け取りました。私も異存はございませぬ」
「我らが守ってきた大奥でございます。どのような形であれ、良き形であれば――よろしいでしょう」
吉宗は、その場の空気が和らいだのを感じ、ようやくほっと息をついた。
(よし、これで一歩前進だ)
女の園――大奥。
ここに手を入れるというのは、まさに茨の道。
格式と誇りと情の渦巻く世界に、「経費削減」という鋏を入れるのですから、
そりゃもう一筋縄ではいきません。
怖い怖いお姉様方との交渉、久通はさぞや胃が痛かったことでしょう……。
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