第32話 鷹狩り、その真の狙いは――
江戸城・書物蔵。
帳簿や報告書が積まれた部屋で、吉宗は静かに文書を繰っていた。目は字を追いながらも、思考は別のところにあった。
(江戸周辺の様子を把握したいけれど、下手に視察なんて言えば、皆構えてしまう。道も村も綺麗に整えられて、本当の姿なんて見えないわ)
(遊びのついでに見て回れたら、一番いいのだけれど……)
ふと、古い文書の束に目をやると、ある見出しが目に留まった。
「……鷹狩り?」
手に取ってめくると、そこには数代前の将軍が行った鷹狩りの記録が残されていた。行程や随行者の名簿、立ち寄った村の記録まで詳細に綴られている。
(そういえば……鷹狩りって、綱吉公が禁じていたんだったわね)
(なら、復活させればいい。これは遊びでもあり、名目がしっかりある。ついでに見て回るにはもってこいだわ!)
ぱたりと巻物を閉じ、すぐさま声を上げる。
「久通、おるか!」
戸の外に控えていた久通がすぐさま現れ、頭を下げた。
「はっ、ここに」
「鷹狩りを再開する」
「……鷹狩り、でございますか?」
「そうだ。かつての記録を見たが、江戸周辺を巡るには都合がよい。儀礼の名を借りて、各地の様子をこの目で確かめたい。できるだけ早く、鷹狩りの手配を進めよ」
「御意にございます。ただちに、鷹場の準備を――」
「場所は……そうだな、まずは幕府直轄の村ではなく、旗本知行地や譜代大名の領地あたりが良いな。自然な形で足を運びたい」
「かしこまりました。候補を挙げ、すぐにご報告いたします」
吉宗は頷くと、書物を机に戻した。
*
江戸郊外・鷹場指定の村外れ。
冷たい朝の空気の中、吉宗を乗せた駕籠がゆっくりと村の道を進んでいた。田畑の間を通り抜けるその様は、まるで一行の到来を予感したかのように、村人たちの視線を集めていた。
(ここが……江戸近郊の村、か)
表向きは鷹狩りだが、吉宗の関心は周囲の暮らしぶりに向いていた。屋根の傷み、薪を積んだ軒先、井戸端に立つ老婆。足元の草の踏み具合ひとつにも目を向ける。
「上様、あちらが本日の鷹場にございます」
久通が示したのは、村の外れに広がる雑木林と草地だった。既に幕臣たちが陣を張り、猟犬と鷹匠が準備を整えている。
「……うむ、では参ろうか」
吉宗は乗っていた駕籠を降り、軽く身支度を整えると、鷹匠から受け取った鷹を腕に乗せた。
獲物は野ウサギ。放たれた鷹が音もなく空を切り、草むらに飛び込むと、地を蹴って跳ね上がった一羽が鋭く突っ込む。
「お見事でございます、上様」
周囲が拍手と歓声に包まれる中、吉宗はふと視線を村の方へ戻した。
(……あの子、寒いのに裸足で畑のあぜを歩いている)
(あの家は、屋根の修繕もできぬまま越冬するのかしら)
名目は鷹狩り。けれど、吉宗の目には、それ以上の光景が映っていた。
草地に立つその背に、朝日が差し込む。冷たい風の中、吉宗は小さく息を吐いた。
「……久通、あとであの村の台帳と年貢の収め状況を調べておけ」
「はっ」
鷹狩りという名を借りた視察は、すでに本来の役目を果たしはじめていた――。
将軍に就任した吉宗が最初に行ったのは、派手な政治の号令でもなければ、大規模な人事でもなく――こっそりと始めた「鷹狩り」でした。
……もちろん名目はあくまで伝統の復活。でも、その裏には“現地の暮らしを見てから決めたい”という確かな思いがあったのです。
鷹の目は獲物だけでなく、民の暮らしも見ていた――そんな描写を目指しました。
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