第3話 元服しても中身は主婦です
ある日突然、屋敷中が慌ただしくなった。
朝から人の出入りが多く、廊下を行き交う足音がやけに響く。
乳母や爺やも浮き足立っていて、なんとなく落ち着かない。
(ん? なんか今日、変な日?)
朝の白湯はぬるめで美味しかったし、着替えもいつもどおりだけど……
どうにもそわそわしていて、空気がざわついている。
そんな中、私は襖の向こうで誰かの声を聞いた。
「新之助様も、もうご年齢でございますからな……」
「はい、いよいよ元服の時期でございます」
(……げんぷく?)
聞き慣れない単語に、私は小さく首をかしげた。
◆
その日の午後、私は洗い清められ、湯殿で髪を整えられた。
身体に合わせて仕立てられた紋付きの衣装に袖を通すと、重たくて肩がこる。
鏡の前に座らされると、髷を結われた自分がいた。
(ちょっと、待って? 誰、この武家の子みたいな人)
……いや、私だった。
かつてスーパーの特売チラシとにらめっこしながら、冷蔵庫と睨み合ってたあの私が、
いま、裃着て、格式高いお辞儀の仕方を稽古してるってどういうこと?
「……立派になられましたな、若様……」
乳母がうるうるしている横で、私はなんだか場違いな気分だった。
中身はスーパーで半額シールを追いかけてた主婦だよ?
外見だけ一人前って、詐欺では?
◆
儀式の日は、晴れていた。
庭に張られた白い幕、儀礼服の家臣たち、厳かな祝詞。
全部が「私」に向けられていて、どうにもむずがゆい。
(え、ちょっと待って、これ何の儀式だっけ?)
「以後、名を“松平頼方”と改められます」
(……はい?)
聞き間違いかと思ったけど、周囲の人はみな、深々と頭を下げていた。
(頼方? え、新之助じゃないの? また名前変わるの!?)
そういえば、前も似たようなことがあったな……。
源六から新之助になったときも、こんな感じだった。
名前って、そんな頻繁に変わるものでしたっけ。
前世じゃ考えられないわよ。
(えーと、じゃあ、私は今日から頼方……うん、頼れる方ってことね。プレッシャー強いな)
でも、名前なんてどうでもいい。問題はこれから。
「若様は、これより葛野藩主として、家督を継がれます」
(………………はい??)
また重要な単語が聞こえた。
藩主? 家督? それってつまり……お殿様ってこと?
(いやいやいやいや、無理無理無理無理!!!)
だって私、元はただの主婦!
家計簿とにらめっこしてただけの、節約とコスパ重視の庶民ですよ!?
なのに、気づいたら若様になってて、気づいたら江戸にいて、気づいたらお殿様!?
元服ってそういう意味だったの!?
あまりに現実味がなさすぎて、私の中で「節約」も「主婦感」も全部ふっとんだ。
とりあえず今は、儀式が終わるまでの“耐えるフェーズ”らしい。
ぎこちなく頭を下げ、立ち居振る舞いを繰り返し、
私は静かに――とにかく静かに、成り行きに流されていた。
◆
その夜、寝所でひとり、私は天井を見つめていた。
(……元服って、成人式みたいなもんだと思ってたけど……違ったな)
新しい名、新しい立場。
気づけば、「自分の意思」なんて挟む隙間もなく、ただ物事が進んでいた。
(しかも“頼方”って……絶対、何かを任される流れじゃない?)
(でもまあ……とりあえず、藩の台所事情とか、整理から始めたらいいのかな……)
頭のどこかで、自然とそんなことを考えてしまうあたり、
自分でも「少しずつ染まってきてるな」と思った。
けれど、このときの私はまだ知らなかった。
「頼方」という名前が、いずれ「徳川吉宗」へと変わり、
この時代を動かすほどの大改革へとつながっていくことを――。
第3話「元服」までお読みいただき、ありがとうございました!
今回はついに、新之助が「頼方」という新たな名前を授かり、葛野藩主としての人生をスタートする回でした。
とはいえ、本人はまだ完全に流されていて、自分の立場の重みも、時代背景もいまいちピンときていません(笑)
現代の感覚でいえば、いきなり就職どころか部長職に就かされたようなもの。
中身はまだ「まったりとした生活が一番」な節約気質の人なので、ギャップが楽しいところです。
元服という言葉は、現代ではあまり使われませんが、昔は子どもから大人へと「社会的に認められる」大事な儀式でした。
ここで名前が変わったり、役職についたり、人生がガラッと動き出すわけですね。
この物語の主人公も、「名前が変わったからって中身は変わらない!」と戸惑いながらも、少しずつ“責任”というものを意識し始めています。
次回は――
いよいよ、運命の「家督相続」……つまり、紀州藩主就任のときがやってきます。
そこで彼女が受け取る、ある名前。
それがまさかの……あの名前だったとは!
ということで、次回もどうぞお楽しみに!




