第21話 返礼品③お殿様体験の洗礼
お殿様体験を翌日に控えたある日、私は筆を片手に、自室の机でスケジュールを練っていた。
「さて……朝餉はご飯と味噌汁、漬物は……うん、白菜とたくあんにしようかしら。お昼は……まあ、なくてもいいわね。私、あまり食べないし。午後は畑仕事と裁縫。うむ、質素倹約の見本のような一日じゃ!」
手元の和紙には、筆でしたためた予定がきっちりと並んでいる。食費節約、労働重視、無駄なし。まるで倹約家のお手本のような一日。それが、私の“理想のお殿様像”だった。
それだけでは物足りないと感じた私は、現代でよく見る“一日署長”のイメージを真似て、布に筆を入れた。「一日お殿様」と、楷書で丁寧に書き上げる。もちろんタスキ仕様だ。
「ふふ、これで準備は万端ね。さあ、どこからでも来るがよい、体験者よ!」
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翌朝。空がようやく白み始めた頃、まだ人の気配もまばらな城門前に、一人の男がぽつりと立っていた。
「ここが集合場所か……なんだか変な緊張感があるな……」
小声でつぶやくその顔には、不安と期待が入り混じっていた。
すると、ぎぃ、と木製の門が音を立てて開いた。
「そなたが体験者か。今日一日、よろしく頼むぞ」
キリッとした表情を作って、声のトーンもやや低めに演出する。
「本日はそなたが“殿”じゃ。わしはただの付き人ゆえ、気軽に“吉宗”とでも呼んでくれ」
目の前の体験者はぽかんと口を開けた後、慌てて口を閉じ、なんとか頷いた。
(吉宗って……そんなん 呼べるかい!!)
心の中で全力でツッコミを入れた体験者は、すでにうっすらと目の下にクマを浮かべ、額には冷や汗。まだ一日が始まったばかりだというのに、顔にはすでに“早く帰りたい”と書いてあった。
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朝の政
城内に案内された体験者を待っていたのは、簡素ながら整った朝食だった。
「朝餉じゃ。ご飯と味噌汁、漬物は……今日は特別に二種類じゃ!」
ご飯は気持ち多めによそってあり、たくあんと白菜漬けが小皿に乗っている。
「これは……想像以上ですね」
「うむ、質素倹約、質素倹約。これが我が信条じゃ」
体験者は箸を取り、恐る恐る口に運んだ。
「……美味しゅうございまする」
言い回しに迷いながらも、丁寧に返す。私も満足げにうなずいた。
続いて出されたのは、お茶。
体験者は口をつけるなり、
「ごほっ!? こ、これは……なんとも個性的な……」
「吉宗特製のどくだみ茶じゃ。なかなか個性的な味じゃろ?」
「ははは、美味しゅうございます」
そう言いつつも、体験者の目尻にはじわりと涙が滲んでいた。苦味とえぐみが喉を焼き、鼻の奥に独特の青臭さが抜ける。笑顔を保とうと必死だが、こめかみはピクピクと痙攣し、口元はひきつっていた。
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食後は執務室に案内され、帳簿を広げる。
「さて、これは昨年の支出帳簿じゃ。どう思う?」
体験者はしばらく真剣な表情で眺めたあと、答えた。
「支出が……多すぎますね。特に……灯代?」
「そうじゃ! わしもそう思っておった!」
「だからこそ倹約が必要なのじゃ!」
「何か良いアイデアがあったら、遠慮なく言ってみよ。良きアイデアであれば政策に取り入れよう!」
体験者はしばし考え込み、慎重に案を述べる。
「たとえば……昼間は障子を開けて自然光を活かすとか……?」
「それじゃ! 実に良い考えじゃ!」
そんな調子で、二人はあーでもない、こーでもないと議論を続けるうちに、あっという間に午前が終わっていた。
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裁縫と畑仕事
午後は体を動かす時間だ。
体験者は言葉を濁しながら、手にした足袋と針を交互に見つめた。指先はぎこちなく震え、針の穴に糸を通す段階で早くも眉間にしわが寄る。
彼の顔には、“武士に針仕事などという人生設計はしていなかった”という動揺と戸惑いが色濃くにじんでいる。
「ふむ、裁縫は未経験とな? ならばよい機会じゃ。余が一から教えてしんぜよう」
にこやかに微笑む吉宗の声を聞きながら、体験者はひそかに思った。
(まさか、殿自らに裁縫指南を受けることになろうとは……)
2人は無言で作業を続け、縫い目に集中するうちに、時が経つのも忘れていた。
1時間ほど経った頃、私は糸を引ききってから裁縫の手を止め、くるりと体験者の方へ振り返った。
「さて、そろそろ畑に向かおうかの」
満面の笑みを浮かべてそう言うと、体験者の肩がぴくりと震えた。
針を持った手がかすかに揺れる。言葉こそ出さなかったが、「まだあるのか……」という心の声が、顔に書いてあるようだった。
「倹約のため、自ら菜園を作ったのじゃ。これぞ真の内政、これぞ自給自足!」
体験者には鍬が手渡された。
(なぜ私は鍬を握っているのだ……)
小さな畑には、ねぎや大根、春菊などが並び、意外にも手入れが行き届いている。
「ここのねぎは、この前の鍋に使ったやつじゃ。実に美味だった」
自慢げに語る私に、体験者は「はは……」と曖昧な笑みを返した。
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質素な夕餉と別れ
夕餉の膳には、めざしが二本。味噌汁とご飯というシンプルな構成だった。
「今日は特別にめざしをもう一本つけておいたぞ!」
(特別って……殿、いつもはめざし一本?)
体験者の胸中では疑問と感謝と困惑が交錯していた。
(これでは力が出ないのではないか……)
とはいえ、残さずいただくのが礼儀。体験者は静かに箸を進めた。
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日が沈み、体験が終わる頃。門の前で、体験者は深く頭を下げた。
「本日は誠にありがとうございました……大変貴重な体験でございました」
私は満足げに頷き、「うむ、よくぞ勤めあげた」と答える。
そして帰宅後――。
「お前様、今日はお殿様体験、いかがでしたか?」
床に倒れ込む体験者は、少し間をおいてから答えた。
「うむ……色んな意味で、忘れられぬ一日であった……」
「とりあえず……すまぬ、何か食べるものを……」
お殿様って、もっと優雅で贅沢な生活をしているものだと思っていた――
そんな幻想を見事に打ち砕く(?)、質素きわまりない「一日お殿様体験」、いかがでしたでしょうか。
吉宗にとっては“いつも通りの生活”なのですが、一般人にとってはなかなかに衝撃的な一日だったかもしれません。
節約・倹約・自給自足、そしてどくだみ茶。……もはや修行です。
ちなみに、どくだみ茶は筆者も一度淹れてみたことがありますが、正直に言って、かなりクセが強いです(笑)。
体験者が涙目になるのも無理はありませんね。
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