第13話 お国入り②波音の向こうに
「久通、次は海を見に行く」
吉宗は空を仰ぎ、しばし風のにおいを確かめるように目を細めた。
「津波の被害も酷かったらしいからな」
「ははー」
久通が深々と頭を下げると、吉宗一行は農村を後にし、南へと向かった。
小道を抜けた先に、潮の香りがほのかに漂い始める。
潮の香りと、煙の臭いと、海の静けさ。
丘の上から見下ろすと、かつての村のあった浜辺には、瓦礫と砂にまみれた舟板がいくつも打ち上げられたまま、風にさらされていた。黒く焼け焦げた柱の残骸が、あちらこちらで斜めに突き刺さっている。どれも、かつて誰かが暮らしていた家の一部なのだろう。
それでも、村の男たちは手を止めてはいなかった。波に攫われた網を拾い集めては繕い、塩を炊く窯を築き直し、使える木材で舟をこしらえている。
少年が、半ば埋もれた家の梁を引っ張っているのが見えた。だが梁はびくともしない。
吉宗は少年に近づくと、裾をまくり、脇にあった丸太を拾って言った。
「それ、貸してみよ。てこの原理というやつだ」
少年が驚いたように手を離すと、吉宗は丸太を地に差し込み、力を込めて梁を持ち上げた。
やがて梁は、音を立ててずるりと転がり出た。
「殿様……!?」
老人たちが駆け寄り、作業の手を止めた。
吉宗は土にまみれた掌を払いながら、にやりと笑った。
「汗をかくのは嫌いではないのだ。昔、寺子屋の修理も手伝ったことがあるぞ」
その場に静かな笑いが広がり、作業に戻る手つきに、どこか力が戻ったようだった。
*
海辺では、男たちが流れ着いた黒い木を燃やして塩を炊いていた。赤錆びた釜が火に照らされ、白い煙がまっすぐ空に昇る。その煙の向こうに、沖へと出る小舟が一艘、ゆっくりと波を裂いていた。
「今もな、夜になると海が鳴るちゅうて……」
老漁師がぼそりと呟いた。
「津波の足音、やと……そう言う者もおる」
村の子の中には、母親の裾にしがみつきながら、決して浜に近寄らなかった子もいた。
*
村を歩き回ったあと、夕刻近くになり、久通がそっと吉宗の横に並ぶ。
「殿、村長との話はすでについております。今宵はこの村に一泊いたしましょう」
吉宗は口元をほころばせた。
「さすがは久通だ。私という人間を、よくわかっておるな」
「お仕えしてもう5年になりますからな」
「5年……早いものだな」
(ただの主婦だった私が今や紀州のお殿様。ほんと、荷が重いわー)
吉宗が苦笑まじりに空を仰ぐと、久通は意味がわかったのか、わからなかったのか、控えめに笑った。
こうして、吉宗は漁村の一夜を迎えることとなった。
その夜、村の女たちが共同で煮炊きをする焚き火の輪に、吉宗はひょっこりと顔を出した。
「この魚、わしもさばいてよいか?」
「えっ、お殿様!? そんな……!」
「ふふ、こう見えても料理は得意でな。煮付けは味噌派か? 醤油派か」
女たちがどっと笑い、火のまわりの空気が少しだけ和らいだ。
翌朝、漁師の老人がぽつりと呟いた。
「殿様なんて、遠い人やと思うてましたけど……こんなお方がいてくれはるなら、もう一度……舟、出してみようかて、思えてきますわ」
吉宗は黙って、浜の方を振り返った。
波が、ゆっくりと寄せては返していた。
吉宗に転生して、早30年。
最初は家督を継ぐこともないと、のほほんと日々を過ごしていた私ですが――
兄たちの急死、父の死によって、まさかの藩主に就くことになりました。
今回の大地震は、吉宗にとっても転機だったのかもしれません。
紀州藩主という重すぎる肩書きに押しつぶされそうになりながらも、
「こんちくしょー!」と腹をくくるしかない。
領民は、みんな私の子どもたち。
そう思えば、弱音なんて吐いてられません。
吉宗は、今日も願っています。
――みんなが笑って過ごせる、そんな世の中になりますように。
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次回は城下町編、ただいま妄想中……!




