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ゲブラさんのふんわり思索シリーズ

『言葉』について。

作者: エンゲブラ

「言葉」―― この極めて不合理な人類のツール。


気持ちを伝達するために生まれた「言葉」が、いつしか、その気持ちを「偽装するための道具」ともなった。


「言葉」は非常に便利で、厄介だ。

「言葉」を説明するためにも言葉が必要で、「言葉」の定義すらもが、言葉によって成り立つ。―― 成り立つ? いや、それは虚構だ。―― 虚構だ? それを言葉でいうのか?


最近よく感じるのは「言葉の定義」が、ひとそれぞれに過ぎて、同じ言語を使っているはずなのに、まったく「レイヤーが違う」会話が、そこかしこで飛び交っているように見える。


同一言語で、同一議題を語っている風でいながら、まったく違うイメージをお互いが持っている。これはもうすでに「バベルの塔の崩壊」と同じではないのか?


言葉は本来、様々な不可知なものを考察し、構築するための便利なツールであった。しかし、現代ではいよいよ自壊のフェーズにでも入ったというのだろうか?


言葉の賞味期限が、来ているのかもしれんない。

言語の次に訪れるイメージの伝達ツールには、いったい何があるのだろうか?



言葉が、言葉によって破壊される。

初めは血肉のあった言葉が、ある時、飛躍を生み、純粋に言葉だけが追求されるようになった。その飛躍は同じく「血肉を持たない者たち」を歓喜させ、言葉遊びに没頭させた。


結果として、言葉が「ガン化」を始めた。

それが現代のフェーズなのではないのか?


言葉の延命措置としては「言葉の再解体」が望まれるが、それをしたとして、言葉が生き残る可能性は極めて低い。如何(いかん)せん、現代人たちには「言葉の本質」に対する理解力が、ほぼ備わっていない。言葉の皮膚を舐め、その味を知ったと勘違いしている人間が大半だからだ。それはその皮膚から出た汗ですらなく、言葉に(なす)り付けられた「誤解の(ほこり)」の味であることにも気づかずに。



おそらく、これほどまでにレイヤーが違う同一言語が発生している主たる原因は、ひとつの言葉の定義に対する「思考の回数」に大きな乖離かいりが生まれているせいだろう。同じ言語を使っているようでいて、まったく違う言葉の意味。「言葉の影」が読み取れない人間、影そのものに色覚障害を起こしている人間が急増しているようにも思えてくる。あまりにも「内向きに言葉を偽装してきた結果」として。

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― 新着の感想 ―
こんにちは。 とても興味深かったです。 SNSの普及で早い思考(ダニエル・カーネマンの言うところのシステム1)が重視されるようになると、言葉のエントロピーが増えて、ますます、「レイヤーが違う」会話が…
 追伸  同意見です。  それだけに歩み寄り相互理解に努めたいところです。
 なかなかの考察です。  ただ、言葉とは意図あって発せられるもの。それを忘れて、ただその言葉だけに目を向けているところにまだまだ青さを感じます。まさに言葉の表面の埃を舐めているだけといったところでしょ…
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