5 強引だったとはいえ、です
「――いけないっ」
どん、と音がしてつい殿方を押しのけていたとき、私はそのような事を口に出していたような気がします。
何がいけなかったのか、どうして咄嗟に行動をおこしたのかはわかりませんが、とにかく体が動いてしまっていました。
私の様な非力な人間が体格の良い男性を押しのける事が出来たのは、彼がすっかり泣きじゃくる私に油断をしていたのだという事もさることながら、存外、私のような人間もいざという時には大きな力が出せるものだと後になって思います。
さて、いったい何が私に『いざという時』だと認識させたのでしょうか。今までというもの、私はそれを見るとなすすべなく目を伏せるだけでした。今が初めてではありません、死神は何度も見てきたのですから。
破廉恥な事に、思いきり押しのけて体勢を崩した私は殿方の上へと四つん這いの恰好で覆いかぶさってしまいました。
そして、見れば地面には一本の矢が突き刺さっていたのです。
「……おい、急に何を――」
「――敵襲だッ、ぼやっとしてんじゃねえ、ナダ、イシャー。お守りしろ!」
いち早くそれに気づいたのはレイニールさまでした。『その矢は殿方を狙ったものである』と判断し、そして射手は樹上にいる、と。
イシャーさまは素人の私が見てもはっきりとわかるほど一切の隙無く逆手に携えた短い刃物を構え、『ナダ』という名は私の背丈に迫るほどの大きな大剣を軽々と振るいました。
二本、三本と。恐らく矢が放たれるような音がして、私は頭を覆って地に――いえ、正確には殿方の胸の上に蹲っているのが精いっぱいの自己防衛でした。
「……ち、逃げられたようだ。だが足は射貫いた。恐らく二人組だ、そう遠くまでいけないだろうな」
「レイニール、どうする? 追いかけようか?」
「さぁな……どうする、大将? ――って、おい。何をやってんだ」
何をやっている、ですって?
何をやっている、というのは敵襲の最中に殿方に覆いかぶさってぶるぶると体を震わせている私に言っているのだと逡巡の果てに気付き、すぐさま飛び退き謝罪を。
「も、申し訳ありません、咄嗟に――」
「いや、いい。もう敵は撤退した。足を負傷したから、あたしらが早々にここを離れれば深追いはしてこないだろう。アイツらが何者かは知れたことだ、こっちも深追いしてまで捕らえる利は薄い」
レイニールさまはそう言いながら、焚火を足で蹴って火の粉を散らし、ひとつひとつ燃える炭を踏みつぶして消していきました。徐々に弱くなる明かりが殿方の顔を照らし――。
「――【死神】が、いなくなっています……」
このような事は初めてでした。靄は晴れ彼の顔が、表情が見えます。
驚きました。今まで一度たりとも、一度あらわれた死神がいなくなったことなどなかったのですから。
「それにしても、良く気付いたものだな」
「全くだ。お嬢ちゃんがいなけりゃ、大将の脳天は今頃串刺し――完全に気配は消されていた。あたしだって気づいた時にはもう矢が放たれているところだった……お嬢ちゃんがいなかったらと思うと――感謝してもし足りないな、ありがとう……って言った方がいいぞ、大将」
「……今レイニールが言った通りだ、感謝しなければならないな。必ず礼はさせてもらう。今は持ち合わせがないが――」
少し呆然としていますと、片手でお尻についた砂を払いながら殿方が手を差し伸べていました。
「有難う。そういえば互いに名乗っていなかったな。俺はセベルリオンという。お嬢さんは?」
ただの見間違いだったのでしょうか?
それとも、私が死神を押しのけた?
いえ、きっと都合の良い方に考えすぎです。私は何も持たず、何もできない女。ただの――。
「私……私は、ただのエミネイラ」
「……そうか。さっきは何も持っていないと言っていたな。そんなことは無い、良い名を持っている。侍女の服も良く似合っている。シーツは――まぁ何かには使えるだろう」
そっと手を伸ばすと、力強く掴まれて私は立ち上がることが出来ました。
「何もできないなどと言うことは無い。エミネイラ、君は俺の命を救ってくれたのだ、命の恩人だ。俺には幸運の女神にさえ見える。もう一度言うが、当てがないのならば一緒に来い。様々な場所を巡る旅だ、道中、君も何かを見つけられるかもしれん」
「そんな、幸運だなんて……私は死神が――」
ぼそぼそと言う私の言葉など、手を引いて前を歩く彼の力強い足音にかき消されてしまいました。
とはいえ、こうして私は半ば強引に連れられて、旅に出るのです。
本当に【何か】を見つけられるのでしょうか――。
「よう。あたしはレイニールだ。よろしくな、エミネイラ」
「ええ、こちらこそよろしくお願いいたします。レイニールさま」
トボトボと歩いていると、先頭を歩いていたレイニールさまが私に気付いて立ち止まり、隣を歩き始めました。
口調は少しばかり荒々しいと思いましたが、やはり優しい方のようです。
「さっきは情けない所を見せちまったな。しばらく敵襲がなかったからまいたと思って油断しちまったみたいだ、あんたには助けられた」
「そんな! あれは、偶然で――」
「“偶然スっ転んだ”、ていうわりには、あんたの顔はまさに『鬼気迫る』って感じだったよ、まあ言いたくないんならいい。世の中にゃあ不思議な力を持つ人間もいるって話だ、他人に知られれば不利になるしな」
「いえ、決してそういう訳ではないのですが……」
レイニールさまにも勘違いをさせてしまったようです。きっとおいおい誤解を解かねばなりません――。
雲は風に流され、何者かの襲撃に会った先ほどよりもお月様がしっかりと足元を照らしてくれます。
「あの小さいのはイシャー、デカブツはナダだ。どっちも必要が無けりゃ話しかけなくていい。会話が続かなくても気にしなくていい。ナダの口は飯を食う時とゲップをするときにしか開かねえくらいに無口だ。イシャーはコミュ障。少しばかり不憫な生まれでな、それが影響してんだろ。許してやってくれ。でもま、悪い奴じゃない。多分」
「多分、ですか」
「ああ、多分。それと――」
レイニールさまが後ろを振り返ると、つられて私の視線も少し離れて後方を歩くセベルリオンさまたちへ。
今は先頭をイシャーさまが歩き、最後尾をナダさまが。私とレイニールさま、少し離れてセベルリオンさまたちが歩きます。この街道は見通しがよく、何者かの襲来に対しては安心できる、という事なのでしょう。
「大将の横をよぼよぼと歩いているジジイはカイレンだ。口数は多い方じゃないが、不思議な術を使うってんでまぁ頼りになる死にぞこないだ――少しボケてて、たまに言葉が出てこねえ時があるみたいだよ、だから口数が少ないんだ、ははは」
「そう、ですか……」
セベルリオンさまとカイレンさまは何かを話し込んでいるようでした。
不安がないと言えば嘘になりますが、少しだけこの旅を楽しみにしている私がいることに気付いたのです。
誰かに有難うと言われたことは初めてで、それがクラーラを追い出されてからすぐの出来事でしたから、そう思えたのでしょう。
お城の外を歩いたことさえないというのに、町から出るなど生まれて初めてのこと。
何者かに襲われる――。
世間知らずな私は、町の外は危険で一杯だと思い込んでいたこともあって、それに対して違和感を感じなかったことは不徳の致すところであった、ということでしょう――。
ともあれ、半ば強引だったとしても私は今日、立ち上がることがやっとできたのです。
◇
「若、鼻のしたが伸びておりましたぞ」
「揶揄うな。そのような事は――」
あったかもしれない。
普段は背を丸め、厚くとった前髪で顔を隠すようにふるまうものだから、押し倒された折に覗かせた顔立ちに、少々どきりとしたものだ。
「わざと、ですかな?」
「莫迦をいえ。向こうが突然――」
「そうではなく、あの娘を連れてきた事」
カイレンは一体何が言いたいのだ。
わざとに決まっているだろう。侍女であれば道中の調理や痛んだ衣服の手直しなど、大いに役立ってくれると思ったから連れてきたのだ。
「ああ。わざとに決まっているだろう。俺の意志で連れてきたのだ」
「……流石。先代の知略は若へしっかりと受け継がれておる。爺は嬉しいですぞ」
その程度で知略と申すのは、少しばかりこのセベルリオンをこけにしているのではないか?
このカイレンも十数年前までは戦場に名を馳せる猛将であったというが、寄る年月には勝てんか。
「あのシーツは、名のある織手のこしらえた物と見て間違いはない。生地に縫製……一級品にして、しかし金を払えば手に入れられる代物でもない」
「ああ、あれか。血がついていたから止血にでも使ったのかと思ったが、怪我はしていなかったな」
「して、あの服ですわい。若造どもは気付いてもおらんが――若もあやつらに余計な気負いをさせまいと、嘘を言ったのでしょう? それでよい」
何を言っている?
「爺。何か変だぞ」
「変――やはり気付いておられましたか。あの娘、只者ではありません。侍女の姿は世間を欺くための借りの姿なのでありましょう。極めつけに名を『エミネイラ』と……」
「エミネイラが、何だというのだ、爺」
凪の様に静か、枯れ木の様な爺だが、時折こうして眼光へ雷光が宿る。
「はて……思い出せんわぃ……」
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