33 将軍とエミネイラ
「喧嘩だ」「いいぞいいぞ!」
荒事は酒を出す店において常。
威勢よく野太い声やらしゃがれた声が重なり合って喧騒に変わっていく。しかしながら今は交渉の最中だ。将軍は見定めるようにこちらを睨みつけており、もう少し静かに騒げと内心では舌打ちしながら目を逸らす事なくそれに応える。
だがうっかりと動揺を顔に出してしまったのだ。
「……邪魔しないでくだしゃーいッ――」
様子がおかしいが、完全にエミネイラが何らかの騒動を巻き起こしている。だいぶ呂律が回っていないと見えるが、額に浮いた汗を拭い口角を上げる。不適な笑みを浮かべていたつもりだが、将軍には引き攣った笑いに移った事だろう――。
「こぉのエミネイラが懲らちめてご覧にいれますからねぇ!」
こんな時に限ってよく通る声だ。店内がほんのりと光に包まれたかと思えば、荒くれ者どもの歓声が響く。
そういえば、竜と対峙した折もエミネイラは杯と反応して光を放ったことを思い出す。いやまさか、腐りゆく竜を鎮めた不思議な力をこのような飯屋で使うはずもない。抜けたところがあるとはいえ、エミネイラとてそこまで愚かな娘では無いだろうに。
場所を変えるかと僅かに葛藤した瞬間、俺などとは比べ物にならないほどに狼狽を見せた人間がいた。
どうやら兜を逆さに構えて賭け金を集めているらしい元気な不成者の声を耳に飛び込んできて嫌気がする。
「……エミネイラ、だと……?」
ガースロー将軍だ。
だが彼が狼狽える理由がわからない。知り合いか?
出会した当初のエミネイラは靴も履かずに平野を彷徨っていた。まさか将軍が彼女の主人だったのか?
いいや、かのガースロー将軍が人を物のように扱う筈はない。
将軍様がただ歳をとっただけの老人のようにあんぐりと口を開け視線を俺から外し、ゆっくりと腰を上げながら人だかりの方へと向かおうとする。
猶予は無い。頭を回転させろ。
彼にとってエミネイラは何らかの意味を持つ存在だ。
表情を見ろ。動作を観察して先を読め。何が将軍の心を動かした? どうすればいい?
この場、状況、何が利用できる?
『まさか』
それが貴殿の脳裏に浮かんだ心境なのだろう?
「……そうだ、エミネイラ。俺たちの仲間にして――切り札」
将軍がエミネイラを探していたと言うのならばもう少し“はっきりした行動”をとった筈だ。駆け寄るなり、大声を出すなり。
彼の瞳は未だかつてエミネイラという存在を写したことが無いと考えられる。他人の過去を覗き見る事などできんが、そう思う。
彼はその名を聞き、ゆっくりと顔を上げた。ずっと想っていたわけでは無いが、頭の片隅においてしまい込んでいた記憶をふと思い出した。そんな感じだ。
こんなところでどうしてその名を? そう思ったんだろう? なぁ、将軍。
「……あの狂王を出し抜いたというのか」
その言葉と表情が俺の自問に答えを出す。
視線を下げ、硬い椅子に疲れた体を装い座り直し、僅かに時間を稼ぐ。次に将軍に顔を見せた時にはこちらの優位を確信できていた。
交渉の場で、聞かれてもいないのにまだ会話に出ていない単語は出すものじゃない。
「それが不可欠だと考えた故、そうさせてもらった」
まるで答えになっていない。それが『どれ』の事を指すのか俺も知らないが――まだ味方についたわけでも無い人間に全てを明かす訳はないだろう? あえて霞をかけて贈った回答が、彼の頭の中で更に様々な疑問に霞を分け与えている事だろう。
狂王――。
プレアスリテは堕ちたと言っていた。何処かの国の支配下に置かれたのだろう。
ガースロー将軍が主君に【狂】を冠して呼ぶ訳はない。納得していないのだ。
出し抜く。狂王様とやらが、エミネイラを欲していたのだろうか。あるいは命を狙っていた――。
彼女の所有物が欲しい。もしくは能力。情報。血筋。背景。
ともかく何らかのエミネイラに関係する事柄を必要としていたのだ。
そしてそれを、大々的に命じられたのではなく噂で耳にした程度。彼の表した顔を考えてみればそんなところか。
将軍は現在の主君に思うところがある。
将軍はエミネイラを捜索していた、とまではいえないが、その存在について知っている。
将軍は主君を出し抜いたらしい俺にほんの少しばかりの敬意にも似た念を持ちかけている。
もう少し揺さぶってみるか。
「ガースロー将軍。貴殿は腐竜アボラクススの事を?」
「愚弄しているのか? この世に生きる人間で知らぬ者が居てたまるか」
眉を吊り上げた将軍は言葉とは裏腹、怒ってはいないだろう。次の言葉を待っている。都合よく狂王を出し抜いた“事になっている”俺が何を言うのか興味を持ってしまっているのだ!
「ならば、誉竜アブラクサスの事は?」
「…………」
沈黙は貴殿が、舌戦において優位では無いと述べている事と同義だ。
「ヴァルシュの秘伝、古の術法……杯と『エミネイラ』、生きる伝説たる誉の竜――既に我らが手中に在り」
ヴァルシュの秘伝。レイニールがそう言って作り出し俺に振舞ってくれた酒はドブの味がした。
古の術法……カイレンは偉そうに言うが、肝心な部分を呆けて忘れていては意味がない。
意味深な杯。エミネイラがどこかで拾ってでもきたのだろう。
今は随分と小振りになったアブさん。まさかかつての竜が今は、虫を食わされそうになって不機嫌になっているとはガースロー将軍でさえ夢にも思うまい。
向こうでエミネイラが大声で何か意味深に呪文らしきものを唱えているが……恐らく呂律が回らず喚いているから聞き取れないだけだ。酒でも飲んだか。いや、飲まれているのか。
さて、怒声と衝撃音。
魔術師がこんなところでまさか魔術でも使うつもりかと動揺を誘ったのだろう。
その隙に子守のレイニールが苛立ち相手をぶちのめしたのだろう。潮時だ。
「……このガースローに、貴殿は何を望んでいる」
答え様によっては、協力してやらんでもない。そう言っている様に聞こえる。
「祖国を復興し、争いをおさめ、天下を統一する。その手助けをして欲しいのだ」
「…………? 寝ぼけているのか? それとも、貴殿もまた狂った王族であるか」
「国を持たないのだから今は単なる狂人といったところだな。道中で、堕ちた公国も掬い上げよう――」
差し出した手を将軍はとらず――。
しかしこちらへ強い視線を寄越して力強く頷いた。
「あぁあー! へベルイオン様ぁー! こんらところでらにをしているんれすかぁ、わらしは何をお手伝いしたらイイんですかぁー!」
目ざとくこちらに気付いてフラフラと歩み寄ってくるエミネイラを一旦無視し、将軍の前、机の上にひとつの指輪を置いた。魔素にて錬成した逸品だ。いつか役に立つ。
「それでは、また会おう――ガースロー将軍」
自信ありげに、颯爽と立ち上がってエミネイラの手を引いて立ち去る。
彼女がボロを出す前に。




