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32 酒場にて

 金で雇った使者。

 もっとも――会ったのも初めてで、そこに信頼関係もへったくれもあったもんじゃない。

 だが彼には家族があり、その目がこう言っているようだった。

 家族にパンを買うためならば他者を傷つけることもいとわない。


 だから依頼した。

 数日、彼らが食事をとれるだけの金。それと、彼がこれからの未来を健やかなものにしようと考える余地が出来る、その時間が作れるだけの金というのは多い少ないで言えば安い部類の金だ、しかしその少額の金のため彼らは刃物を――暴力を手にすることだってある。

 それでも、会ったばかりのあの男が、今後誰も傷つけないようにとささやかに願いながら、一通の手紙を託した。

 届いただろうか。もっと別な方法もあったろう。

 だが俺は賭けた――。

 いや、彼もできれば平和的に、後悔のないようにその日の、或いはその日以降の飯代を欲していたはずだ。

 そこに俺は付け入ったんだ。



 ――あまり上等ではない飯屋。声の枯れた荒くれ者が活舌も悪くがなりたてているが、騒がしいほどいい。

 内密な話は喧騒に紛れ、酩酊した荒くれ者の客たちはどうせその日、その場にいた人間の事など覚えていられないだろう。会話などなおさら。

 何、いざとなったら俺の奢りだとでも言って酒でも振舞い誤魔化せばいい。懐は寂しいが、大量の安酒くらいなればとっておきのへそくりでどうにでもなる。


「もし……“東の日没”、とお見受けするが」


 思わず、零れる笑みを口元を拭う動作で隠す。

 とはいえ油断したのだと猛省するほかない。万一、手紙の内容を好意的にとらえられなかったとしたら、深く腰掛けたその背後から首をかかれてもおかしくない内容であったのだから。或いは狙いの人間以外にそれを見られたならば。

 気配に気付かないほどに、それほどにこの店は騒がしい。好都合だ。


「やぁ、来てくれると信じていた。感謝するよ。何でも奢ろう。もっとも、このような店においては貴殿の口に合う一品はないだろうがな。()()

「……慎んだ方がいい。誰が耳を潜めているか分からんのだからな」


 そう言って偉丈夫は俺の対面へと腰を掛けた。

 こちらの身を案じての台詞と受け取っておこうか。まぁ、その“誰か”が目の前でこちらを真っ直ぐ――といっても頭巾を深く被っていてなかなか顔の全容を見せてくれようとはしないが――睨みつけている男の手の内の者である。その可能性もあるが。

 

「大丈夫さ。見てくれ、周りを。皆、何かを恐れ、逃げるようにして己を酔わせている。呂律の回らぬ啖呵、焦点の合わぬ両の眼、血の巡り過ぎた顔色……あのように酔いどれるなど、平和故のことだろうか? 否、そうではない。皆、現実から逃げ回っているからだ。いつ戦の火の粉がこの街へと燃え移るかわからぬ現実から――」


 神妙な顔だ。

 無理もない。得体の知れぬ何者かから手紙を受け取って、半信半疑わざわざ遠方に足を伸ばしたのだ。

 だが彼がそうしようとした魅力が手紙につづられていた。そうだろう?


「世間話をする為に、危険を冒して私を呼び出した。そうではないだろう?」

「貴殿を目の前にしてみれば、今をもってしてみればそれは杞憂だったと思うね――」


 しかし来た。来たからには俺の提案に魅力があったという事だろう。


「――簡潔に言う。いや、ここはあえてややこしく言おう。この乱世を終わらせようと思う。貴殿は戦果によって地位を上げた将。武力を持っているが故、今の地位にいる。平和は好まないかな?」


 男は被った頭巾の奥より、下手をすれば斬り伏せられるような鋭い眼光を俺へと投げかけながらも指先を、くい、と動かして店員を呼び、銘柄と飲み方のみを短く告げた。


「酒を飲まれるか。俺を信用してくれたと思って相違ないか?」


 身振りを交えながら冗談を言ってみる。冗談だ。まさか信用されたなどと無論、俺自身も思ってなどいない。


「この場で酒を飲んでおらねば、余計に目立つというものだ」

「ごもっとも」


 運ばれてきた取っ手付きの盃を、なみなみと注がれた中身が振動で飛沫を散らすほどぶつけ、無言で口を付けた。


「プレアスリテは――」


 どうだ? 軽い気持ちで聞いたつもりではあった。


「――堕ちたよ。表向きは同盟を結んだ。しかし実のところ、支配権を奪われたのだ。断頭台で首を跳ねられると覚悟をしたものの……私を引き入れるとの“お言葉”。裏をかいた。意表をついた、そのつもりだった。しかし敗北した」


 一見、寡黙そうである将軍がつらつらと、鼻がぶつかるのではないかという距離で語る。

 存外、彼は酒が得意ではないのかもしれない。


「――ある日、唐突に届いた手紙に綴られた通りにな。気色の悪い事だ。この文が無ければ感服し、きっとあの狂人に信頼を置いた事だろう。恐ろしい事だ」


 将軍は懐より見覚えのある文を取り出し、短い時間文面へと流し目を送り、そうしてまた文を大事そうに懐へとしまい込んだ。

 

「何も予言が出来るだとか、予知の能力があるわけではない。俺ならばこうする……そう思った事を綴った」

「なんとも傲慢だな。まるで支配者でもあったかのような口ぶり」


 良く通る声は戦地で号令を隅々まで届けるため、自然に研ぎ澄まされた賜物なのだろう。重厚な金属板が喉に仕込んであるような声だ。

 しかしこの店内ではだれの耳には届かない。信念無き者どもにとって彼の言葉は価値がない。

 今日食う飯の方が大事なのだ。誰も明日を見ていない。考える余裕がない。

 

「そのつもりで立ち回っている」

「笑わせてくれるな」


 よく響く笑い声など誰の心も打たない。ここではよくあることなのだろう。


「……西の陸地において、黄金の国バレンガルシアの国は滅びた。六つの船、三十六組の兵団。僅か三百余りの戦士に滅ぼされた。生き残りがいたとして、遺恨が残らぬと貴殿は思うだろうか。今は亡き国、その王族が、誇りを持ち虎視眈々と復讐を望む。おかしいかな?」


 運ばれてきた肉料理――恐らくは木片を燻して香りを付けたものだろう――を豪快に口へと運び、趣旨にまとわりついた肉汁さえ糧とばかりに舐めとって盃に口を付ける。

 食事でさえ最大限に愉しむのだ。

 明日もありつけるとは言い切れぬのだから。それが戦場に生を見出す者の覚悟――にして日常。

 

「おかしいとも」

「どうしてそう思う?」

「――戦力がまるで違う」


 小さく、何回か頷きながら、目の前の偉丈夫には倣わず金属製のフォークを燻した肉へと突き刺した。


「勝てそうになければすんなりと負けてもよいのだと、そう教わった記憶はない」

「一個人の記憶力に関してなど知った事ではないが――」


 将軍の傍らに立てかけられた、抜き身の鋼に視線を落とす。

 鞘に入れていないのは珍しい事ではない。荒くれ者が喧嘩の延長で決闘に発展することも名誉のためならばと禁止もされていない。そんな荒くれ者だらけの風景に紛れ込むよう、敢えて使い古しの(なまくら)でも持ってきたのだろう。

 それでも大抵の人間ならば斬り伏せる事が出来る。

 その自信と一緒に。


「貴殿が抱える戦力はいかほどか」


 図っている。

 目の前の俺が、手を貸すに値するかどうか。俺に(くみ)すればそれこそ将軍自身の命運を捻じ曲げかねないのだ。当然だろう。


 真っ直ぐに腕を掲げ指もぴんと伸ばし、掌を彼の眼前に掲げた。意は、『五』。


「……五百、か。まるで足りん。我らの生き残りにさえ及ばん」


 俺、レイニール、イシャー、ナダ、カイレン。

 五人という意味だ。

 将軍の誤解を好意的にとらえつつも、罪悪感を覚えた。

 まぁ何も嘘は言っているわけでもない。


 喧噪にかき消されかける将軍の言葉尻を他所(よそ)に、心掛けて邪悪に、自信ありげに、不敵に口角を上げて見せる。


「策がある、か」


 怪訝そうに将軍は俺の瞳孔の奥を覗き込み、そして喧噪を上書きするように店中に響き渡った声で思い出す。


 『……なんですか。殿方二人がお昼からおしゃけなんて飲んれ。わらしたち、今大事な話をしているんれす。邪魔しないでくだしゃーいッ――』


 突き出した右掌に、左手の人差し指を重ねる。


「六百。しかし足りん。まるで足りんな。大国を落とすにはいかなる精鋭と言え数で劣る」


 今度は悪魔的に歯を見せて笑って見せよう。

 無論、六百もいるわけがない。エミネイラを入れてたったの六人。六人で、国を建てようとしている。全く馬鹿げた話だ。だが、ひとつハッタリを。別に嘘をついているわけじゃあない。

 

「……それと竜。伝説の誉竜アブラクサスが俺達を庇護してくれる」


 さて、まずは味方を増やそうか。

 プレアスリテ皇国の国民と兵の信頼厚い彼のガースロー将軍ならば、きっと俺の志に賛同してくるだろう。


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