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31 あの日みたあかいろ

「ふぅ。おっさん、一番安くて一番ボリュームのある飯をくれない? そいつを二人分。あぁ、味はどうだっていいよ。食材もな。それと――一番強い酒と、峠牛の乳をひとつ」

「あの、私は――」


 おいしいものを!

 ――じゃなくて、大盛でなくとも構いません!


 などと。無論、そんなことを言いたかったわけでもなく――。


 セベルリオンさまとナダさまの両名と別れ、私とレイニールさまはどこか落ち着ける場所を探してどうやら()()らしいこの食堂の隅、日当たりの悪い一席へと着いたのです。

 

 道中、いつもでしたら気さくに話しかけてくださるレイニールさまはナダさまよろしくずっと無言で、きっとこれまでの行動を叱責されると覚悟した私は緊張で足が震えだす始末です。

 へし折れてしまったのか端材で脚を補強してあるギシギシと唸る椅子へと腰を据えたのでした。ささくれだった木材のとげが、お尻に刺さらなければ良いのですが。


 もしかすると、“迷惑で足手まといだからこの一団から抜けてくれ”などと言われるのではないかと恐れおののきつつも、勇気を振り絞ります。怖くて彼女の顔を見れません。


「あ、あの……レイニールさま。お話というのは」


 ちらりと顔色を窺うと、どうも珍しく何かを考え込むように。腕を組み真剣な面持ちでじっと私の方を見ている。


 …………ッ!


 合点がいきました。燻ぶっていた問題点を今はっきりと認識し得たのです。

 私ときたら何たる野暮を。

 なんてことはありませんでした。

 このエミネイラが、レイニールさまとセベルリオンさまの間に割って入ろうとしていた不埒者だった――彼女の瞳にはそう映っていたのでしょう。

 何度も抱きかかえられたり、贈り物の靴をいただいたり、それは彼女にとって面白くないことだったに違いありませんから。


「あぁ……エミネイラ。ちょっと聞きたいことがあってさ」

「分かっています。私のこと、ですよね」


 いくら感情的な彼女といえども、このような事をはっきりと聞くのは勇気がいるのかもしれませんね。

 いえ、彼女なりの優しさなのかもしれません。私の口から聞きたいのでしょう。


「――私は何も、あなた達の邪魔をするつもりなどありません。誓います。全て偶然、誤解なのです」


 ゆっくりと組んでいた腕をほどき、テーブルへと頬杖をついて私の顔を覗きこむ様子は、このような薄っぺらい言葉では疑いを晴らすことはできない、と、そう言っているようにも感じられたのです。


「何もお前が邪魔をしようとしてるとは思っちゃいないさ。お前はお前なりの信念で行動しているんだろうからさ。そんなことはわかっちゃいるさ。あたしもガキじゃあ、ない」

「でも――」

 

 勇気を出して何かを言いかけ、ですが店員さまが叩きつけるように置いた器の音に驚いて、頭に浮かんでいた言葉がそっくりどこかへと飛んで行ってしまったのです。

 言葉が出ません。口は乾き、喉が虫に食われた樹木の様。


 レイニールさまはとても良い方です。是が非でも誤解をといてまた優しい顔をしてほしいと、心からそう思うのです。

 今しがた置かれたばかりの飲み物を手に取って一息に飲み干せばすっと緊張がほぐれるような気分になりました。


「レイニールさま!」


 店員さまがそうしたように。いえ、それよりももっと勢いよく器を机に叩きつけ――そう、これは私にとって戦いのドラムの音。緊張でしょうか。面と向かって、このような話をするのは初めてです。視界が歪む。周囲の音が、私の心臓の音にかき消されてしまう。

 

「あのさ、エミネイラ。別にお前がどういうつもりかとか、そんなことが聞きたいんじゃなくて。現にアンタは持ってるだろ? お前の素性を詮索するつもりはないが――だけど、これだけは聞かせてよ――」

「持ってなど、いませんッ」

「どうして隠す。それは私にとっちゃ大事なものなんだ。間違えるはずなんてない」


 ――私、恋心など持ってはいません!


 感情を言葉にするのが、これほど難しい事だったなんて。

 喉がからからで、口から心の臓が飛び出してしまいそう。頬が、体が熱くって目の前がぐるぐると歪んで行くかのよう。


「隠してなど――いえ、私は感情を表すのが下手で……それどころか、私は自分がどんな感情なのか自分でも分かっていないのです――店員さま! 私にもう一つ、同じものをくださいな!」


 ばしりとテーブルへ手をついて立ち上がり、私の口が勝手に動く。存外、私も大きな声が出せるものです。




 ――どうしてエミネイラが、【聖杯(ブラッド・カリス)】を持っているのか。

 平野で泣きべそかいてた時には持っていなかったはずだ。鼻につく匂いのする高そうな布切れを持っていただけ。

 腐れ竜――今はアブか。あいつと対峙していた時から手にしていた。

 一時とはいえ、触れたんだ。冷たい感触、不思議な佇まい。忘れられるはずもない。

 あたしが間違えるはずがない。


 聞きたいのにはっきりと言えない。あたしらしくもない、笑っちゃうね。

 エミネイラは頭の()()はいまひとつ――いや、いまみっつくらいか。でも悪い奴じゃない。セベルリオンを救ってくれもした。困った人間がいれば、なりふり構わず助けに行こうとする。悪い事じゃない。面倒が先に立ち、見て見ぬふりをするあたしとは違う。

 だから聞きにくい。

 “故郷へ攻め入り、【聖杯】を奪った奴らの仲間か?”なんて。


 ――私は何も、あなた達の邪魔をするつもりなどありません。誓います。全て偶然、誤解なのです。


 何百年も一族みんなで守り、封印してきた。

 聞けば、これはその神聖なる力ゆえに邪なるモノを呼び寄せてしまう――とのことだ。


 偶然? 偶然、手に入れられるシロモノであってたまるか。ずっと守って来たんだ。

 守人はどうした? あいつらは。


 どうして隠そうとする?


 そうか。あたしがエミネイラの素性を知らないように、エミネイラもまた、知らないのか。

 ヴァルシュ族の使命も、執着も、伝承も――。


 利用されているのだとしたら?

 悲惨な境遇の侍女が、運び屋としていいように使われているとしたら。


 らしくない。考えてたって仕方がない。


“この世に再び混沌が訪れたならば、聖女の血もまた世に現れる。最後に、他でもない聖女がそう言ったのだ”


 いや、待て。

 確かにエミネイラに、聖杯が反応していた。あたしが触った時にゃ何の変化もなかったのに。

 嘘だろ――。


「――おい、姉ちゃん達よぉ、四人掛けの席に女二人じゃあ寂しいだろう!」

「その通りよ。丁度俺達も二人で持て余してんだ。一緒に飲もうじゃねえか、そんな安酒飲んでねえでよう!」


 本当、らしくない。口より先に、頭を働かせるなんて。

 憂さ晴らしに、絡んできた酔っ払い二人をぶちのめそうかと思った矢先。


 夢なんだろ?


「……なんですか。殿方二人がお昼からおしゃけなんて飲んれ。わらしたち、今大事な話をしているんれす。邪魔しないでくだしゃーいッ――」


 いつの間にか彼女の手に握られた聖杯が輝き、そして満たされる。何かがエミネイラを包み込んで――エミネイラがその何かを支配し始める。

 あの時と同じだ、腐れ竜と戦った時の――。

 

 

 だけど、仮にエミネイラが()()だったのだとしても、よりにもよってその力を、まさか酔っ払い二人を懲らしめる為だけに行使するってのか――?


 ああ、綺麗な赤色だ。

 まるでヴァルシュヴァレイが焼けて堕ちた、あの日の夕暮れみたいに。

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