30 目的
「さて、ようやく見えて来た」
ごとごとと揺れる馬車の荷台にて。
幌の小さな隙間から景色を覗いていたセベルリオン様の声で目が覚めます。
見れば、故郷の町に引かずとも劣らぬ大きな規模の街がすぐそこに見える。屋根の高い建物はないものの、砂色をした小規模の建物が所狭しとひしめき合う街。
どうやら馬車に揺られて私は、うとうとと船を漕いでいたようです。
お尻の痛み、狭い荷台の中に大人が数人――もっとも体の大きなナダさまがその空間の大半を支配しているのですが――窮屈に身を縮こませていたために肩が凝っているし、野営を何日も繰り返していた緊張感のために体中の疲れが抜けていないのでしょう。
「どうする? 一旦、様子を見てこようか」
欠伸をしながら馭者をしていたイシャーさまがぶっきらぼうに声を掛けると、
「いや、いい。あまり待たせすぎるのも良くないだろう。予定ではもう数日早く落ち合う予定だったのだから」
遠くを見る様に、何かを懐かしむようにそう言ったセベルリオンさまの横顔にはどこか哀愁の様なものが漂っておりました。
「誰かと待ち合わせを?」
「ああ。旅の目的の様なものだ。その第一歩ともいえる」
「……目的、ですか」
私もそれが欲しい。
私もこの旅に。なんでもいい、目的が欲しいと思う。
「――“待ち合わせ”とは随分と大胆で楽観的な表現だな」
「むさくるしくてゲボ出そうだから」と言って荷台の幌の屋根の上、上部そうな骨組みに座っていたレイニールさまが、セベルリオン様の言葉へ不服を述べる。
顔も見えていないというのに、幌に遮られる声の振動が、心底ばかばかしいのだという彼女の感情を助長するよう。
「いなければまた協力者を探せばいい。しかし大丈夫だ。奴ならばきっと賛同してくれる。力を貸してくれるだろう」
「どこからその自信が湧いて出てくるのやら。なんぞ厄介な事にならなければよいが――」
カイレンさまも同様に、どうやらセベルリオン様の思惑には疑心暗鬼のようです。
ひとり、会話についてゆくことのできないで持ち無沙汰の私は狭い空間のなかでできるだけ、精いっぱい伸びをするだけ。
いつか私も皆さまの秘め事のお役に立てる日が来ればよいのですが――。
「――通行証を」
「ああ。っと、どこにしまったかな。東の方じゃ紛争に飢饉だろう? 道中、野党共にいろいろな商品を持っていかれてね。偶然通りかかったクレインの兵が厚意で近くまで護衛してくれたものだから、何とかここまで来れたんだが。おっと、通行証だったな。通行証、通行証と――」
セベルリオンさまは通行証をお持ちなのでしょうか?
旅の目的の第一歩、という場所の待ち合わせに立ち入るため使用する大事な通行証ですのに、うっかり失くしてしまうような人には見えませんが。
紛失した、という割には衣服の彼方此方を触りながら顔色ひとつ変えない様子はどこか芝居がかっているかの様。
「お。あったあった。ほら、俺達の通行証だ。穴が開くまでじっくり眺めてくれていい」
駆け寄って来たイシャーさまが無言で紙切れをセベルリオンさまへ手渡すと余裕の表情で槍を携えた門番の眼前へ広げました。
「……確かに。薬売りか、領主さまも喜ばれるだろう。次、荷台を見せろ」
「薬は全部、野党に奪われたよ。現地調達をして調合するつもりだ。荷台にはほら、仲間が乗っているだけ」
怪訝そうな門番に対し、待機していたレイニールさまがさも面倒そうに荷台を捲って見せると無言のナダさまと暗い顔をしたカイレンさまが姿を見せます。
「病か?」
「いやいや、見ての通り、あの齢でね。酒でも飲ませれば元気になるさ。現金なものだ」
「……まぁいい。通れ」
「どうも」
にこりと笑って門番を労い、何食わぬ顔で門をくぐる――。
そうして私は、私達は新たな境地へと足を踏み入れるのでした。
その境地とはここ、商いの盛んなバイレアイロの街へと。
「イシャー、これ返してきてくれるか」
先ほどの通行証を指で挟み、先ほど門番にしたように並んで歩くイシャーさまの眼前でちらつかせています。
「どうやって。ほっとけばいいだろ」
「俺に聞かないでくれ、お前ならどうにでもできるだろう。それに、これがないと困る人がいるのだ」
「……だったら盗まなければいいだろ」
「人聞きの悪い。返せば元通りだ。誰も損しちゃいない」
短いやり取り。苛立たし気に通行証を奪い取ったイシャーさまが路地の裏へと進み、ふと物陰に移動したかとそれっきり彼の姿は見えなくなりました。まるで影に吸い込まれていくように――。
「あ、あの。盗んだ、というのは――」
「よし! まずは宿を探してきてくれるか」
何かやましい事をひた隠すように私の声を遮って指示を出し、懐から取り出した革巾着を覗いて一拍、眉を寄せ小さな溜息をついてからそれをカイレンさまへと放り投げます。
「ふむ。馬小屋でも探せばよいか? この財政では飯付きと、そうはいかん」
同じように巾着を覗き込むと盛大に溜息を吐いたカイレンさまは恨み言の様にそう言うのでした。
「……金策も考えているさ」
「して、その策とは?」
「今考えている最中だ」
「それは結構」
どうやら私達の懐は大きく寂しさを抱えている様子。
踵を返し周囲を見渡して、とぼとぼと歩き出すカイレンさまの背中を見送った後、活気ある町を見渡しました。
オースチラの村とは対照的に、ここでは家を構成する素材は干したレンガの様です。
これほどの規模の町ならば、きっと私のお役に立てることも在ると見て間違いないでしょう。
「――私は!」
期待に胸を膨らませ、セベルリオンさまの顔を覗き込む。ものの。
「あ、あぁ……あー。俺はこれより待ち人を探さねばならん。」
御多忙の様子。
しかし、何もせずにお空を眺めて待っている、というわけにもいきません。己の食い扶持くらい、己で稼いでみせねば!
この一団の長の手が空かぬのならば――。
「レイニールさま! 私は!」
「ぅわぁ…………子守は嫌だし、かといって単独行動させるとそれはそれで厄介な事に首を突っ込みかねないし、面倒くせぇ!」
「ぐぅ!」
――なるほど。
顔を歪ませてきっぱりと言い切るその正直さに感服します。
しかし、思い返せばぐぅの音もでませんね。世間知らずの私が首を突っ込んだことで彼女らには多大なご迷惑をおかけしているのですから。
そして、この方々が助けてくれなければ――。
私の数少ない所有物。
たたんで紐をくくり肩から下げたシーツと、その中に包んだ盃。
ぎゅっとそれを握りしめ、今はまだ、次の機会が来るまで力を蓄えておとなしくお待ちするしかありません。
そう思い落胆に項垂れていると。
「――いや、ちょっと待て。やっぱツラ貸しな、エミネイラ」
思いがけぬお言葉にはっとして顔をあげると、しかしその顔はいつものレイニールさまの穏やかな表情とは違っていたのでした。不敵で、それでいて私を怪しむような、そんなお顔でした。




