28 うわさ
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「さぁ、“アブさま”ッ、遠慮は不要です、たんと召し上がってくださいな」
「…………いや、エミネイラよ。いかんせん申し上げにくいのだが、我はあまり虫は好まないというか、その――」
“アブさま”――
千年前の大戦において、一時は英雄と謳われた白銀の竜。
強大すぎる力を恐れられたため肉体を腐れの呪いによってつい先日まで蝕まれ続けた不憫な竜。
名を“誉竜アブラクサス”。私が不用心に、おいそれとアブラクサスさまと呼んでいてはいつか竜の存在と真名を知る者に目を付けられてしまいかねない――。
そう思って付けた愛称。完璧にもほどがあります。
何の取り柄もないこのエミネイラに、まさかこのような才があったとは思いもしませんでした。
「エミネイラ。アブさんは折角、生きた肉体を取り戻したんだ。そういじめてくれるな」
「――いじめなど! レイニールさまが“虫でも食わせて腹いっぱいにしときゃ、寝てる間に足や腕を齧られなくて済むぞ”と、そうおっしゃったのです! さぁ、遠慮はいりませんよ、アブさま」
手製のぬいぐるみによる欺瞞も相まって、とてもこの愛らしい“使い魔”が竜だなどとは露も思われない事でしょう。
「いや、虫は、その」
「なんだよ。好き嫌いすっと大きくなれねぇぞ、アブ。それともその不細工な着ぐるみのせいで食いにくいのか? どれ、あたしが食わしてやるよ」
「結構だ、虫は、やめ――」
私一人で竜の飼育に挑戦するのは些か不安に思っていましたが、初めこそ難しい顔をしていたレイニールさまもやぶさかではないようです。
しかし、やや離れたところから数頭の馬が蹄を鳴らす音が聞こえると、和気藹々とした空気にぴりりと、私でも分かるほどの緊張が走ったのです。
「――お前達は、旅の者か」
「……ええ、そうですが。旅の商人です。つい一昨日に野党に荷を全て奪われてしまって途方に暮れていた所です。馬車だけは残してくれて助かりましたが」
お馬を駆る二人の殿方。あの格好、恐らくはクレインの兵……でしょうか。
ゼラハルト殿下にお会いした折、守備と警護にあたっていた兵の中に、あのような褐色の軽鎧を纏った一団がいたと記憶にあります。
しかし、私達は野党に襲われてなどおりません。察するにゼラハルトさまに何かお考えがあるのでしょうが、私のあずかり知るところではありません。問題を避けようとするならば、時としてあのように虚実を語る必要があるのでしょう。
「そうか。それは難義であったな。我々はクレイン王国兵団である……時に旅の者よ。先日、南の森から飛び去ったという“竜”を見なかったか――」
「――な! 何を失礼なことをッ、私たちがアブ――竜と関係があると、どうして言い切れるのです! 証拠はあるのですかッ――私、何も知りませんッ!」
やはり完全にこの兵隊さま方、私を、私達を怪しんでいるに決まっています!
あの目、言い様、雰囲気、もうエミネイラは終わりです――戦の道具として扱われ、竜と共に腐る運命にあるのです。
「……許されよ、軍人殿。この娘、先のオースチラ領を襲った腐れ竜の襲来……そこでいくらか瘴気に当てられたらしくてな。気が動転しておるのだ。あいや、許されよ」
「そ、そうか」
そうカイレンさまが言うと、頭痛を抑え込むかの様に手で顔を覆うセベルリオンさまがため息を漏らした様な気がします。
何食わぬ顔で――と言ってもその表情ははぬいぐるみに覆われて見ることは叶いませんが――ふわふわと浮いているアブさま。そんなアブさまを見ても兵隊さまが疑問に思って問い詰めないあたり、やはりこのエミネイラが施した欺瞞は完璧だったのでしょう。
笑みを隠せずに思わず顔を背けて誤魔化そうとすると、いつもは飄々としているイシャーさまが、ずっと俯いている様が目につきました。
どうも私の目には、二人の兵隊さんに顔を見られまいとしている様にも見えますが――。
「兵隊さんは、竜を追跡しておられるので?」
セベルリオンさまが問いかけると、二人の兵士さまは顔を見合わせ、何やら目配せをした様子。別の何かを隠そうとしている?
「いや、腐れ竜アボラクススの動向も気になるところではあるが――オースチラ近辺で気になる噂を耳にしたのだ」
「気になる噂、とな?」
白く伸びた眉の下、カイレンさまの眼光がほんの僅か、鋭く光った様な気がします。
「そうだ。今生きている年寄りの更に爺婆の世代が枕元でよく聞かされた御伽話らしいが……その御伽話の人物、聖女が現れたらしくてな」
「聖女さま、ってあの――手が臭かったという聖女さま、ですか?」
確かに薬売りのお婆さまはそう言っていらした。
「……? 何を言っているのかわからんが……なんでも聖女その人が竜を誑かし、再び世を戦乱に貶めようとしているとか」
兵の一人がそこまで告げると、相方の兵がお喋りを戒める様に小さく肩を小突き、気まずそうに私たちの顔を見ました。
「その人を見かけたか、と? いいえ。聖女……などという人物に心当たりはありませんよ。爺さま婆さまが幼い時に聞かされた話という事でしょうに、どんな人物かも見当がつきません」
「そうか。邪魔をしたな。ところで――この辺りは獣だけでなく、魔獣や野党も多い」
「ええ、痛いほど実感していますよ」
よく晴れた昼下がり、雲は穏やかに流れ、小鳥の囀りも心地よい。
ですが、兵隊さまの醸し出す雰囲気だけが、ピリピリとした剣呑な雰囲気へと変わっていく。
「……無傷でここまで来たと? 野党に荷物を丸ごとくれてやる様な商人が。老人と、子供と、侍女まで連れて――飢えた野党の群れが、若い女をみすみす、見逃したのか?」
兵隊さまの視線が刺さる。
セベルリオンさまの受け答えが孕んでいた矛盾を、兵隊さまが怪しんでいる――。
「……よっぽど金になる商品だったと見える。次に襲われれば差し出す品もあるまい。気をつける事だな」
ほっ。
「竜に聖女――最近では謎の集団によるクラーラの襲撃もあったらしい……物騒な世の中になったものだ」
「……渦中の兵が何を言うとる。クレインこそが腹を減らしてそこら隣国を食い荒らそうと躍起になっておると聞いたがな」
「ご老人。聞かなかった事にしておいてやる。ともあれ、竜……そして聖女。絵空事だと莫迦にせず、道中何か見聞きしたらクレインまで知らせに来る事だ。ゼラハルト陛下が直々に報酬を与えると仰っているぞ」
ゼラハルト……陛下。
確か、クレインには今上の王が居られ、ゼラハルトさまは第二王子であったはず。
去っていく兵隊さまの背中が見えなくなるまで私たちは何か唯ならぬ事が起こる様な、嫌な雰囲気を感じながら、黙り見送ったのでした。
「レイニールさま、一体何を?」
「え? いやぁアブをクレインに持っていけば報酬が貰えるってんで――」
「おやめください、駄目に決まっています!」




