26 秘めし策
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「エミネイラ……千年の絶望から、確かにお前が救ってくれた。長い時間だった。いくら感謝しても決して伝え切れるものではない……お前の役に立ちたい」
鷲や鷹……梟。
大きさはそのくらい。あの晩、鼻の先に人間である私を乗せてくれたあれほど大きな竜の姿には似ても似つかない姿でした。
ですが造形は、その白銀に焚き木の炎ちらちらと反射させる出立は、まさしく竜と呼んで間違いはないといえるでしょう。
「こ、困ります……竜はトイレを覚えるのでしょうか? ゴハン! ゴハンは何を与えれば――」
「落ち着けって、エミネイラ。多分この辺の……いたいた。虫でも食わしとけばいいだろ」
レイニールさまが岩をどかすと脚がいっぱい生えたゲジゲジした虫を拾い上げ、見せてくれました。
よかった。虫を食べるのであれば経済的。旅の路銀に影響はないと考えられますね。
「…………」
「まずは落ち着け、女子衆――竜よ、お主その形……誠にあの晩、呪いを払拭した白銀の巨竜だというのか?」
焚き火に薪を放り投げ、訝しげな顔で問いかけたのはカイレンさまでした。
「いかにも千年前、“誉”と呼ばれた。名をアブラクサスと言う。突然現れ皆を怖がらせてしまったのなら謝罪しよう」
「これが怖がっとる様に見えるのであれば、どうやら千年前とは感性が変化した様だな、儂ら人間もよう」
「千年前……皆は我を恐れた。何をしても、何を思っていても。……何もしなくても」
小さな竜――アブラクサスは、小さな声帯を震わせて発しているとは思えない低く落ち着いた声音で、遠くを見る様に語ります。
「呪いを落とした竜――か。その姿、“力”を制御しているのか?」
「そうだ。いや、真実はそうではないな。代謝だ。千年の間、腐り続ける身体を修復していたのだ、その代償が来た。腐れに抗っている間にこうならなかったのは、それもまた呪いの反作用であったのだろう」
「そうか。難儀だったな。だが――」
竜の瞳は僅かに潤んでいる様にも思えます。
長い間、数多の生命に疎まれ、悲しい思いをしてきた。そんな時間を思い出しているのでしょう。
気持ちはわかりますが、私など物心ついてから十年やそこら。きっと比べ物にならないほど辛かったのでしょうね。
「――悪いが、立ち去ってくれ。ここにいない方がいい」
「そんな! 可哀想ですッ」
セベルリオンさまの言葉に、竜は小さな顎を結んだまま項垂れた様にも見えました。
「折角、呪いが解けて誰かとお話ができる様になったというのに! 追い返すなんてあんまりです、ちゃんと私がおしっこもうんちも覚えさせますから! 毎日散歩にも連れて行きますッ」
「いや、別にその辺りを心配してるわけじゃないんだが……」
「僕もセベルリオンに賛成だ」
「イシャーさままで!」
黙々と食事をとっていたイシャーさまが鋭い視線を竜へと突き刺し、敵意の滲んで尖った声で言いました。
「竜だって? 悪いことは言わない。山や森――人目のつかない所でゆっくりと余生を過ごすんだね。今は戦乱の世、竜が呑気にその辺を飛び回っていると各国が知れば、どこもアンタの力を欲しるだろうさ」
食事が済んで、携帯している刃物の手入れに取り掛かりがてらイシャーさまが続けます。
確かに、仰っていることは、私の様な軍事にはからっきしの者にも分かりますが――。
「エミネイラの使い魔ってことにすりゃあ良いんじゃねーか? 魔術を使うやつの中にはそう言う変な生き物を下僕にする奴もいるだろ?」
「同じ事だよ。竜を使役している魔術師がいるとなったら、どんな手を使っても術師ごと籠絡しようとするに決まってるだろ。考えてもみてよ、千年前の大戦で数えきれない程の敵軍を焼き尽くした――生きた兵器って言ったって過言じゃない」
刃に月明かりを写し、具合を確かめてから再び鞘へ収める。水を飲んで短く息をつき、さらに言いました。
「感謝している……役に立ちたいと言ったね? いい心がけだと思うよ。でも、小さな竜さん。その心がけが、そこの女を危険に晒すよ? 次に呪いを受けるのは君が役に立ちたいと願った、そっちの“女”の方かもしれないね――痛゛ッ!」
視線を落とした瞬間を見逃さず、すかさずイシャーさまの頭部へと雷の様な拳骨を見舞ったのはレイニールさまでした。
「嫌味な言い方だ。だからイシャーはモテナイんだよ」
「それとこれとは別だろ」
「じゃが、竜を手懐けることが出来れば、その国が覇権を握る――そうでなくとも、大きな力を持つことにはなるじゃろう。竜よ、お主が何をして、何を思っておったって、人間はその様な部分は見れん。見るのは力。いつ牙を剥くかもしれん力を恐れるのじゃ」
これで竜は、救われたといえるのでしょうか。
「……すまないな、竜よ。お前のためでもある。達者で暮らせよ」
「…………邪魔をした」
戦に利用され、呪いをかけられ、やっと呪いが解けて、竜は“ありがとう”を言いたいくて会いに来てくれたのに――。
「待ってください、アブラクサスさま! 皆さまッ、私に、このエミネイラに、【秘策】があります――ッ」
◇◇◇
「…………」
「ピッタリです! どうですか、これならば――この可愛らしい姿ならば、誰も“竜”だなんて見破れはしないと、そうは思いませんかっ」
「…………」
「…………」
「…………」
侍女たる者。
お裁縫の一つや二つ、体得しておらずにどうすると言うのです。
これはその手始めに暇を見出してはコツコツと作り上げた【ぬいぐるみ】。
これがこのエミネイラの秘策というわけです。
「…………」
「…………」
「…………」
「やっぱエミネイラ、あんたズレてるよ。随分と不細工で殴りたくなる阿呆面の“キメラ”だ。これなら誰も竜だとは思わないね」
「え……? これは“うさぎ”ですが――」
必死に作り上げた縫いぐるみの綿を取り出して翼を出す穴を開け、口元に食事用の穴を開けてアブラクサスさまへ被せれば――完璧です。
「……さて、今日はもう遅い。交代で休むとするか」
「…………」
「儂が見張ろう」
どうして何も言ってくれないのです?
こんなに可愛らしいのに……。