19 巨悪を滅ぼす
一筋の剣閃が、一鳴きの断末魔を産んだ。
「クソ、小鬼風情が、わらわらと――」
一度、刀剣を払えば肌の色が変異した小鬼に再起不能の損傷を与えることはできる。セベルリオンにはそれだけの能力はある。
しかし状況が悪い。混乱した村人は統率など取れず、悲鳴が指示を飛ばす渾身の大声をかき消してしまう。
「……腐れ竜が周囲の魔物に変異を付与するなど、前例がない」
想定が甘かったかと悔やむ。しかし不自然なのはそれだけではない。腐れ竜の進路が明らかに想定したそれよりも北にズレ始めたのだ。
忌避薬は村と避難路へ配置し、腐れ竜は南に逸れるはずであった。それがどう言うわけかここに来て風向きが変わる。
「若、今愚痴を言っていても仕方のない事。儂が活路を開こう、娘を探しに参られよ。ぐずぐずしておれば親玉とかち合ってしまう」
「人前では使いたくないと言っていたくせに。最初から使っていればもう少し楽に旅できたんだが」
「今さら女々しい事を言いよる。これだから――」
「小言は後でたっぷり聞かせてもらう! 精々、正教会から追っ手が掛からないように願っているよ!」
そう言うとセベルリオンは村人に襲い掛かろうとした小鬼を一体斬り払い、納刀してエミネイラの探索に向かう。
「……これだから最近の若い者は……年寄りの言うことを真摯に聞いておれば難を逃れることも有ろうに。とは言え、儂も昔はそうだったか」
その細腕と同じくらいには枯れた木製の枝――もとい杖を眼前に掲げると、カイレンは念じた。
この大陸においては禁忌。邪教の用いる術式が、元を正せば戦時においては祖先を救った術とは思いも知らず、民衆は今になっても知る由はない。
「邪には光、腐れには浄、不浄には炎を以て。願いますればこの世の理よ、お力を借りられませぬか――」
念は力を持ち、杖を媒介して術師の周囲へ変化をもたらす。少しばかり呼吸を止めたカイレンの臍の下には年老いた今をもってなお減少する事のない魔力が渦を巻いていた。
「御力を拝借賜りました。これを以て体現いたす――払法、【壊物】」
耳鳴りがする。
手は印を結んだせいで耳を塞ぐ事ができなかった。
十数体、小鬼が成した群れの中心へ現れた透明な球体が起こした波動が小鬼達を壊し、振動が瘴気を揺らし、中和した。伴い、カイレンの脳に僅かな傷をつける。
「……思ったよりも数が多いな。何が瘴気を呼び込んでおる……?」
額を流れる汗が目に染み、しかし拭う暇も許さずにカイレンは次の呪いを呟いた。
◇◇◇
「はぁ……はぁ……どこですか、二人の仲を引き裂こうとする困った竜は!」
勇んで飛び出したは良いものの、私一人で立ち向かおうとするのはやや早計だったでしょうか。灯りの松明くらいは拝借してくれば良かったと後悔の念が湧き始めました。
いいえ、カイレン様が施してくれた腕の紋様、その疼きが、悪を払えと私に囁くのです。今、腐れ竜をやっつけなければ、今後も沢山の民が迷惑を被るのです。
あの日、丘から見た竜のカタチをした黒い靄が脳裏に浮かんでは足がすくみかけますがそうは言っていられません。
永遠と紛うほどの時間こうして走ってはいますが、恐らくそれ程の距離は稼げていないのでしょう。生まれ持った体力の無さを今恨んでも仕方がありません。努力をしてこなかった私が悪いのですから。
「……腐れ竜さーん! どこですかー? あなたを討伐しに来ました、エミネイラと申しまーす」
反応がありませんね。よほどこのエミネイラを恐れていると見えます。
「どんどん嫌な気配が強くなっています。方向はあっていると思うのですが――」
間違うはずがありません。大気に混じって瘴気が流れ込んできているのが目に見えてわかるのですから。
その時、茂みの向こうで風の悪戯にしては不自然に枝を踏み鳴らすような音が聞こえ――
「そ、そこにいるのですね! おのれ腐れ竜め、二人の逃避行、邪魔などさせるものですか!」
「――ひ、ひいっ」
唇を噛んで勇気を振りしぼり、踏み出した先にいたのは、
「……人間? いえ、腐れ竜が化けている可能性も考えられます!」
千年間も腐りながらとは言え生き続ける竜、人のカタチに化ける力が無いとは言い切れませんから。これより先、一瞬たりとも油断をするつもりはありません。
「見られた、け、消すか」
「待て。こんなイかれた任務にこれ以上付き合ってられるか……俺に作戦がある」
しかしながら、深くフードを被った、声から察するに恐らく殿方は二人います。
いえ、千年間も生きた竜。二人に増える事ができないなどと、どうして言い切れましょうか?
「今、作戦と聞こえましたが。大人しくなさってください」
「やあ、メイドさん。そりゃ何かの聞き違いだ、俺たちはただの旅人。道に迷っているうちに森の深くまで来ちまったようでな。帰り道を探してだところだ」
「ふん。このエミネイラの目を誤魔化せるとでも? 罪なき民達を危険に晒すなど、もっての外です。私が何も知らないとでも思っていらっしゃるのですか? 今すぐ討伐……いえ、殺すのは忍びありません、捕縛してあげましょう」
「何だと……?」
しかし武器の手持ちがありません。失策です。
竜がどんな手を使って攻撃してくるかわからない以上、迂闊に飛びかかるわけにもまいりません。
まずは“はったり”。袖を捲ってカイレン様に施していただいた紋様をこれ見よがしに見せつけ、今にも何らかの魔術を発動しかねない意味ありげな体勢を取れば。
己に信じ込ませるのです。彼に知らしめるのです――このエミネイラ、一度怒らせてしまえば何をしでかすかわからないぞ、と。
ほら、手に取るように分かります。腐れ竜が尻込みした様が――。
「くそっ、俺だってこんな事はしたくねぇさ! 仕方ねえじゃねえか、家族を人質にされているようなもんだ」
「おい、黙ってろ!」
え、初耳です。腐れ竜アボラクススにも家族がいるなんて――。
「いいや、黙らねえ! 悪かったと思ってるよっ、だけど“こいつ”を持ってこの辺りに待機するのが……あいつを誘き出すのが俺たちの任務だ! 何が起こるのかなんて分かりきってるさ! それでもやらなきゃならねえ、やらなきゃ、家族が殺されちまう……」
涙をこぼしながらそう言って、力無く地面にへたり込む腐れ竜さん。だらりと脱力した腕から転がり落ちたのは、何らかの“盃”……。
しかし、悪だと決めつけていた腐れ竜さまにもそんな事情があったとは。
こうしてお話ができて良かった。
ならば、
「顔をあげてください。細かな事情は分かりませんが――この私がその役目、引き受けましょう。その盃を持っていれば良いのですね?」
「え?」
ですが、腐れ竜さまに涙を流させるほどの巨悪とは――。
一体、この世にはどれほど私の知らない悪が渦巻いているのでしょう。
「お行きなさい。巨悪はこのエミネイラが滅ぼして見せます。今回は目を瞑りましょう……その代わり、二度とこんな事はなさらないでください。きっとご家族もこのような事、望みはしないでしょうに」
巨悪が悪を惑わせ、さらには民が涙を流す。
許せない。放っては置けません。この盃が悪を誘き寄せるというのならば、待ち構え、懲らしめてやらねば――。
「よいしょ、と――え?」
盃を拾い上げた拍子に、腕の紋様が光りだします。
術師エミネイラが開眼した最初の魔法――。
なるほど、これは灯りが欲しいと欲した私が無意識に発動した術式――【腕が灯火となる術】というわけなのですね。




