16 革命
「アスレイ……この状況は一体どういった訳だ?」
クレイン王国の第二王子であるゼラハルトは、忸怩たる思い、煮え湯を飲まされる思い――表現はどうあれ煮えくり返るような胸中をじっとこらえ、後ろに立つ王国兵団の暗部、クレイン王からの信頼も厚いアスレイへと淡々と言葉を掛けた。
静かに数回だけ視線を動かして思案し、彼の出した答えは沈黙であった。
引き連れた兵は僅かに百人――しかし長らく平和に毒されたクラーラ国では強襲など考えていないであろうと侮ったのだ。
殊更、中立を謳うクラーラに攻め入るという事は、暗黙の協定を破り捨てたとして他国に大義名分を与えてしまう恐れもある。クレインと言う国は国家間の信頼を裏切った、天誅を下すに足る愚かな国家である、と。
故にゼラハルトは今上の王である父の、『死神姫を妃として迎え入れろ』という命に抗うかのように、とびきりの愚策に打って出た。
なに、何もわざわざ正式に妃として迎え入れずとも、蹂躙して指揮権を奪った中枢から女の一人を攫うくらいは造作もない、と。
クラーラの落城が成った後、それを行ったのが自国の精鋭部隊であると知れば――クラーラ城の天辺へクレインの誇る“双頭の鷹”があしらわれた旗がたてられたと知ってしまえば、クレイン王は知らぬ存ぜぬなど通らない。まして他国に『息子が勝手にやった事だ』、と弁明をする暇もない。
そう選択肢は残されていないのだ。追って出兵したうえ民を制圧、蛮行を肯定し血濡れの領土とするか――或いは、私的な怒りをひた隠し義憤を装いゼラハルトの討伐に打ってでるか――。
しかし、眼下に広がるこの光景はどうだ。
「……何者かが、密告したのか? 暗部に属する者は総じて血塗られた身体であるが、クレインへの忠義は鉄塊より硬い、と聞いていたが」
クラーラの城を取り囲むようにしてひしめく家々。さらにはそれらを守るようにぐるりと堀と壁が囲んでいた。
――それだけのはずだった。
「無論――」
「ならばなぜ我らが暗に攻め入ろうとしている今宵、これほどに警戒がなされているのだッ!」
語尾を強め、それどころかゼラハルトはアスレイの頬を力いっぱいに殴りつけた。
唇を歯で切ったか口元から血を流し、しかし彼は抑揚のない声で言う。
「……無論、我らはクレインへ忠義を誓う者。間者など――そのような輩が懐にありて気付かぬなど……得ませぬ」
それはゼラハルトが彼の言葉を遮る前にも口にしようとしていた言葉だった。無論、彼にとっては嘘偽りなど皆無。
「フン、口ではどのようにでも言える。時間を無駄にした」
この強襲作戦は失敗だと踵を返したが、アスレイはそれに続かなかった。代わりに、
「このアスレイ率いる暗部【枯宵衆】……あの程度の兵団など突破するなど造作もない事。知れた練度です、クラーラの兵など」
微動だにせず、作戦の続行は可能であると告げる。ただし、かなりの強行突破になることは明らか。
「言ったな? “口ではどのようにでも言える”と」
「王の命とあれば、お望みの結果をご覧にいれて差し上げるところですがね、殿下」
その忠義に嘘偽りなどは皆無――ただし、陛下に対しての忠義であった。殿下となれば話は別と言いたいのだ、暗部の頭領であるアスレイにとっては。
「はて、王……? あぁ、親父殿の事か。彼はもう長くはあるまい。何せ原因不明の病に伏しているのだから――おいたわしい……しかし彼の没後、順当に王位継承が為されれば『兄上』を陛下と呼ぶことになるかも知れんな……争いを嫌い、平和を望み、勉学にのめり込む……民は戦火に脅える事もなく、さぞ毎日が穏やかに過ぎ去ることだろう――アスレイ、貴様も足を洗って日がな一日、花を愛でながら本でも貪り読むか?」
大仰に目元を隠してぐずぐずとする真似事をして見せるゼラハルトの言葉に感情は籠っていなかった。しかし振り返ってアスレイを見る眼光には隠し通せぬ大いなる野心が渦巻いていたのだ。
否、隠し通すつもりなど毛頭なかったのだろう。これはアスレイを懐へと引き入れんとする甘言であった。
「このアスレイが……御冗談を」
「冗談……? ハハッ、暗部では教わらなかったか? このゼラハルトは冗談と平和が何より嫌いであると」
是非もない。アスレイもまたそれを嫌い、それを好む――。
「もしも殿下がクレインの王となれば近隣国には常時、火の粉が舞い落ちることでしょうな。民はおちおち眠りにつくこともできぬような、大きな火の粉が」
故に、この時点で今上のクレイン王は臣下に二人の敵を持つことになった。
「もしも、だと? 口の聞き方に気を付けろ、今度の王は配下にとてそう優しくするつもりはないぞ」
史実に残る戦乱の火種、【狂王ゼラハルト】の初陣はしかし、思いがけぬ敗走に終わることになる。
「ところで殿下――」
失敗すればこのアスレイを首謀者として吊るし上げ、自身が義憤にかられた追手として討つつもりだったゼラハルトは、よもや気付かれたかと思い足を止め耳だけを傾けた。
「バルシュヴァレイ侵略の折、戦果として持ち帰った【聖女の血を分けた聖杯】が消え失せたと、先代がぼやいておりましたが――」
「それは難義な事だ」
「説によれば、あれは凄まじい聖浄の力が宿っていたのだとか……」
「ほう……? 売りに出せば正教会が目の色を変えて飛びつくだろうな」
ゼラハルトは肩をすくめ、わざとらしいと感じさせるほどにシラを切った。
「金など……時にゼラハルト殿下。どうして今夜を侵攻の日にお選びになったので?」
獣人族であるバルシュ族が一族の宝として、必死に秘匿し、いかような拷問にさえ屈せず口を割らなかった至宝。
暗部の情報収集力に感心するより先に、ゼラハルトは面倒だという感情を出来立ての配下に抱き、おくびにも出さず表情で表した。
「知っておられたのでしょう? 今宵、クラーラは出兵を余儀なくされると……確実に守備が手薄になるはずだ、と」
「面倒な奴だ。ご名答、“俺が聖杯の力を使ってオースチラ領に腐れ竜をおびき寄せたんだよ”――これで満足か? 親愛なるアスレイ君」
しかしどういう訳かクラーラは準備も万端の兵によって守備されていた。
「――しかし何者かが俺の覇道を通せんぼしようとしてるって訳だ……蹴散らしてこい、アスレイ君。革命は無血というわけにはいかないって事だ。神は残酷だな」




