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14 お待たせするつもりはありませんので

「よっ、と」


 蹄鉄が大地を蹴る音が聞こえ振り返ると馬上のレイニールの姿が見え、セベルリオンはまず安堵の息をついた。余計ないざこざは取り急ぎ彼女の後を付けてきてはいない様だ。


「無事、お使いは済んだ様だな。書状は“偉いさん”の所まで届いたか?」

「多分な」


 (いなない)いた馬から軽快に降り、鼻先を撫でるレイニールが愛想なく言う。


「門兵が目の色変えて飛んでいったからな。まぁ一大事だって事は察しただろうが――」

「判断するのは権力者だ。彼等が嫌でも物事を多角的に捉えてしまうっていうのは、言うなれば職業病、致し方ない事だ。文面だけを素直に受け取ってくれれば良いのだが――」


 腕組み思案に耽るセベルリオンに気取られない様レイニールは再度、村で借りた馬へと乗り込んだ。


「さぁってと、村の防御策作りは順調な様だし……ド腐れ野郎の警戒にでも行ってくるかね」


 見渡してみれば村の様子は様変わりしていた。

 西側には松明の燭台が曲線を描いて並べられ、鼻のきくレイニールは異様な臭気に嫌悪感を感じる。

 どうやらその匂いの発生源こそ、効果の真偽はどうあれエミネイラの調合した【腐れ竜の忌避薬】であるらしく、ついこの間までぎゃぁぎゃぁと喚きながら肉を焦がしていた彼女の姿が浮かび思わず笑みをこぼした。


「待て、レイニール」

「な……なんだよ」


 ぎくりとしてゆったり振り返ると、セベルリオンの口から出た台詞は恐れていたものと違って胸を撫で下ろす。


「……エミネイラを連れて行ってくれないか。“腐れ竜の足跡”を見れば彼女も思いとどまるかもしれん。あんなモノ、容易に人が立ち向かえるものでは無い、と」

「わぁーったよ」

「それと――」


 随分とセベルリオンという男も過保護になったものだと鼻白みながら、鞍上(あんじょう)で尻の位置をなおしがてら振り返る。


「馬と飯代の釣りは――」

「――そんじゃ行ってくるッ」


 ついに発せられた恐れていた台詞を威勢のいい掛け声と、腹を蹴られた馬の嘶きでかき消し、颯爽と駆け出した。


「馬の扱いが上手だこと……」


 呟いて徐々に傾いていく太陽に照らされる景色をぐるりと見回し、この景色が見納めにならぬ事を祈った。

 明日には、村中の人々を避難させる必要がある。小さな村の安寧を祈ると共に、戦火にくべられ二度と戻らない故郷を想った。



 ◇


「よし、と」


 これで村の皆さんが総出になってかき集めてくれた材料は全て使い切ってしまいました。村の方々もたくさん集まって来られて、最後に薬研(やげん)のどろりとした薬剤を大樽に注ぐ私の手元に注目していらしたのです。

 あとはセベルリオン様の()()()()腐れ竜を誘導するだけ。


「さぁ、気が済んだだろう? エミネイラ。あんたもさっさとここから立ち去りなさい……よぅ知らん村のためによくぞ献身して働いてくださった。明日の夜にもなれば、この辺りの草木は腐り腐臭が漂い、畑も、家もみんな腐に飲み込まれてしまうじゃろう……それにシャッドの事、とても感謝しているよ。孫の様に可愛がってきた男児でな――」


 薬屋のお婆さんは涙を浮かべ私の手を取り、連日の調合で荒れてささくれた手に手を重ね、感謝の言葉を贈ってくださります。

 ですが、


「触らないでくださいっ!」


 あ、失礼を。ですが私の手、ここのところひどく臭いのです。恐らくは調合の材料にした虫や植物の中に嫌ぁな匂いのするものがあったらしく、いくら手を洗ってもこの鼻をつく微妙な匂いと独特の黒ずみが取れないのです。実を言えば、この手荒れは手の洗い過ぎによるものでしょう。


「まだ、終わっておりませんから――手を握り喜ぶのは、全て『こと』が済んでから……その時にいたしましょう」


 調合は終えましたが、これからこの忌避薬をセベルリオン様の指示通りに配置しなければなりませんし、匂い落としの効力がある薬草で手を洗い終えていません。しっかりと時間をかけてケアが必要ですし、薬は造り終えても徐々に村人へは避難頂かなくてはなりません。まだまだ、終わってなどいないのです。

 

「諦めるなと……そう言いたいのかい」

「……? いくら汚れてしまったとしても、臭気へ包まれようとも。諦めるつもりなど毛頭ありませんよ、私は」


 お婆さんは瞬きをひとつ、涙を一粒落としてゆっくりと私に向かって手を合わせながら言いました。匂いが目に染みたのでしょうか。


「……まるで伝承の聖女様が村に救いを与えに訪れてくださった様じゃ……」

「聖女様は手が臭かったんですか?」


 一陣の西風が吹き、少しだけ生臭い匂いが鼻腔を掠めます。腐れ竜がもうすぐそこまで来ているのですね。

 この匂い、まるでこのエミネイラの指先の様――。


「そうじゃな……この村に暮らす者が諦めてどうする……きっと儂も諦めないことにしよう。此度の災いが過ぎれば再びここへ趣いて畑を耕し草木を育て……人を育みまする。例え何年経っても……その時はエミネイラ、また遊びに来ておくれ」

「……はい。ですがこのエミネイラ、そう長くお待たせするつもりなどこれっぽっちもありませんのに」


 そんなにひどい匂いでしょうか。それに一生懸命頑張ったのに手の匂いを災いなどと……ひどすぎます。一体どれだけの時間手を洗う必要があると思ったのでしょう。

 思わず涙が溢れてしまいましたし、村の方々もつられて涙ぐんでいらっしゃいます。


「――おーい、エミネイラ」


 一定の調子で駆ける蹄の音と共に私の名を呼ぶこの声はレイニールさまです。何やらお馬を借りて何処かへ赴いていたと聞きましたが、今日お戻りになった様ですね。


「腐れ野郎の状況確認だ、乗れッ!」

「はいっ!」


 女性ながら鍛え上げられたレイニールさまは私の手を安易ととって馬上へとエスコートし、流れる様な所作でお馬のお腹を蹴ります。


「それではお婆さま――すぐにいつも通りにしてご覧に入れますからね!」


 風を切って駆けるお馬。

 きっと夕飯の前には入念に手を洗って綺麗にして見せますから――。

 振り落とされぬ様、レイニール様の腹部へと手を回し、決意したのでした。


「うわ! エミネイラお前の手、臭ッ!」

「失礼です!」

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