11 魔術をおしえてくださいな
「カイレンさまっ! どうか私に魔術を教授くださいませんか!」
セベルリオンが何処ぞで拾ってきた娘。名をエミネイラと言う。
過去にどこぞで聞いた様な名ではあったが、思い出せそうにない。
――最近は物忘れが多くて敵わん。いざの際に後れを取ることにならなければよいのだが。
「――どうかっ!」
はてさて、どう言うわけか日中は医者であり薬売りでもある老婆と『腐れ竜の忌避薬』を忙しなく調合しているらしいが、今日に限ってはワシの元へと頭を下げに来おった。
しかし、魔術を教えると一口に言っても習得できるかは本人の素養と、才能を上回る努力が必要。そして素養は持たざる者には覆せないもの。
来たる腐れ竜の襲来に。村に柵を作ったり松明の準備をしたりで忙しいと言って茶を逃してきたが――どうやら薬の調合にひと段落ついたらしく今日はやたらと食い下がってくる。もっとも彼の腐れ竜は襲うつもりもどこか特定の場所を目指しているわけでもなく、ただ救いを求めて練り歩くだけらしいが――。
たまたま一緒にいたセベルリオンの方へと顔を向ければ、奴もまた困り顔で耳打ちをしてきた。
「どうも、腐れ龍の進行を逸らせるという作戦を曲解している様でな。自分が討伐すると言って聞かない。とりつく島も無い」
「狼相手に気絶する様な娘がか? 莫迦な真似はよせ。何とかしてやめさせるがよい。もっとも、あれの姿を見れば気絶では済まぬ。近づけばまず瘴気に毒された肺が絶えず咳を出して呼吸も困難となり、姿を見ただけで瞳が濁るとも言われておるが――はて、真相はどうだったかね」
小声でもってどうしたものかと思案してはいたが、いまだ熱心なエミネイラは頭を下げたままだ。頑固者めが。
「あぁー、エミネイラよ。頭を上げられよ」
「はいっ! 私、一生懸命頑張りますからっ!」
この様に目を輝かせて……。
しかし、申し出を受けることはできぬ。
「済まないが――ワシの術はここにおいては異国のそれであってな。一般的には邪法とみなされる。そんな術法をおいそれと扱っておればこの大陸で幅を利かせている多数派から睨まれてしまう」
そう告げてもこの小娘、まだ目を輝かせて頷いておるだけ。ここまで言えば大抵の常識人ならば断られると察するであろうに――。
「ならば、相当に気を付けて頑張らなければなりませんね!」
「…………いや、話を聞いて欲しいんじゃが」
一千年前、大戦が終わると勝利した連合国軍総帥は英雄であった竜を欺くと同時に、魔術使いを弾圧にかかったという。
探し、燃やし、殺し――何とか逃げることができたごく少数の生き残りは西の砂漠、北の雪原の奥地、南の大森林と、どれも過酷でおよそ人の営みには適さない地で細々と暮らしたのだ。
その間に連盟国軍は内紛からバラバラになり、クラーラやクレインを始めとする国々の原型が生まれたという。
このワシの先祖もさぞや連合国軍を恨んだそうじゃが……。
「悪いがワシの術を教えることは出来ん……これは我が一族の秘術。分かってくれんか、エミネイラ」
首を振りながらはっきりと断ると、まるで彼女の周りだけ夜の帷が降りてしまった様に暗くなり、瞳は翳り、項垂れた首がそのままポロリと地に落ちてしまうのでは無いかというほどに落胆した様だった。
「駄目……ですか――そうですか。やはり私は呪われた女。駄目な女。だめだめです。ダメネイラ、というわけです……カイレンさま、無理を言って申し訳ありませんでした。そうですよね、お肉もまともに焼けないこの私が魔術などと――思い上がりもはなはだしい。目が覚めました……」
「いや、そこまで落ち込まんでも」
何も、死の宣告をされたわけでも無かろうに。
肩を落としてゆっくりと踵を返し、さも亡霊の様にその場を後にしようとする姿に酷く罪悪感を抱かされたのだった。
「ま、まぁ待たれよエミネイラ。それほど落胆されるとこちらが悪者に思えてくるわい。ワシの術を教えることは出来んが――」
「何かほかの魔術を?」
そう言うと花が咲いた様に顔を綻ばせる。何ともにぎやかな事じゃ。セベルリオンが拾ってきた時はいつも暗い顔をしていたが、今ではころころと、色々な表情をする様になった。よっぽど酷い侍女としての暮らしだったのだろうか。
「いや。そうでは無いが、素養の見定め――【天賜印定の墨式】くらいのものなればワシにも、この場でも可能じゃ。才能の判断方法は古今東西、どの流派においてもそう変わりはない。エミネイラ、お前さんの魔術の素養を確かめるための儀式じゃよ」
素養の有無についての判断は国や地域によって変化するというよりは、術式を教えようとする者の裁量に委ねられることが多い。
水を使ったもの。火を使ったもの。毒を使ったもの。
様々。しかしながら、原理はそう変わらない。仮初の式を描いて構築し、じわりと滲む様に才を呼び越して判断するのだ。
「さぁ、試してみるなら何処かで墨と筆を借りておいで?」
「はいっ! ありがとうございます、カイレンさま!」
元気に走り出すエミネイラの姿を見ると、思い出す。
「【天賜印定の墨式】、か……ボケ始まったカイレンも、今だに覚えているもんだな」
「余計なお世話じゃ。忘れるものかい、何人もの有望な若者へに印を施し、その背中を見送ってきたのじゃから。今のエミネイラの様に、な」
幾つもの背中を見送って、記憶に刻む。
歩きながら、走りながら手を振っては去っていく若者たちの笑顔が思い起こされる。
しかし、成長し成熟した魔術師がワシの元に帰ってくることは一度としてなかった。
あの男の子は上手くものにできただろうか。
あの青年は元気にしているだろうか。
傭兵の夫を支えるといって戦場に赴いたあの女子は?
こうして案じるだけ無駄。彼らは皆、利用されたのだ。
名前も思い出せぬ。老いとは、これほどに虚しいものなのだろうか。