10 できぬなどとはいえません
「――レイニール、そりゃ間違い無いのか?」
村はずれ、一目につかない場所といってレイニールに呼び出されたその場所で告げられた言葉に瞠目した。
「算術や金勘定じゃあるまいし。あたしがこの目で見たもんに間違いがあるはずないだろ」
クスリとも笑わないレイニールの表情を見て胃が重くなる不快感を覚え、沈黙した。
「…………」
「どうするんだ? 義理は無いが」
「義理が無ければ人を助けてはならぬと教育された覚えはない。この村の権力者は――」
「あー」
レイニールは顎に手を当て、何ら面白みのない今日も変わらぬ天を見上げて、耽る。
「長老とかいう死にかけヨボヨボの爺と、見るからに怪しげな皺くちゃの医者の婆。それと、見込みありそうだが毛も生えてねぇ様な童貞野郎のガキだ。そいつらが一番偉そうにしてるな。腑抜けの集まりの村人共もまんざらじゃない」
「分かった――彼らには俺が伝える。レイニール、書状をしたためるから最寄りの軍事力のある――クラーラだな。早馬を飛ばして届けてくれ。いいな? 渡すだけでいい。再確認したがお前は口が悪いから何も言うな。余計な諍いが起こるかもしれん」
「一言余計だが。首を突っ込む気か? ――ったく、おせっかい焼きめ。付き合わされる身にもなってくれ」
呆れた、と言わんばかりに不自然な笑顔を作って見せ、レイニールは乱暴に頭を掻いた。
思う、淑やかにしていれば放っては置かれないだろうに、と。
「仕方ないだろう。沢山の人が死ぬのを分かっていながら素通りなど出来るものか」
「はいはい。分ァーったよ。馬代と飯代をよこしな。くれぐれもだが――」
「分かっているさ。人の手には余る悪名高き災難だ、無茶はしないさ。頼むぞ、レイニール」
セベルリオンは銀貨を一枚、指ではじいてレイニールに放った――。
◇
「【腐れ竜アボラクスス】じゃと?」
「あぁ、間違いない。俺の仲間が湿地の一帯で不自然に腐敗した草花と水棲生物を確認している。まるで大樹の如き蛇が体を引きずった様な跡もだ」
セベルリオンの言葉に、この村の長も、シャッドも懐疑的だった。それでいて顔を青くさせる。
長いため息をつき、口を開いた。
「腐れ竜は、数ヶ月前までは西の大陸で目撃されていたと聞いたが?」
「あれは水面を腐らせながらも移動すると噂に聞いた。海上を喘ぎ喘ぎ蠢いていたという船乗りの逸話もあるしな。何もかもが寝静まる時間、月明かりも届かぬ時間、草木さえもが呼吸を忘れる頃移動するそうだ――癒し手を求めて」
神話の如き逸話ではあったが、決して噂話ではなかった。
滅んだ町や村もある。神話さながら、しかしいつ身の回りに起きてもおかしくはない話として伝わっている――そんな距離感は、それが人里だけを巡るとは限らないからだ。観測されず未開の地を腐らせている事を、人々が知る術を持っていなかった。
「いやしない癒し手を一千年間もか? ロマン溢れる伝承――いい迷惑だよ。時の聖女も腐れ竜を癒すことは出来なんだ……一千年の間、かの竜は三百六十五の疾病を世に撒き散らしたとか――いや、旅の人。それが本当にこの地へ?」
長老は疑わず、かといって本心から信じてもいない、といった態。
「俺達は元々、一泊ほどの逗留予定だったがこれも縁だ。放っては置けない。今朝、仲間を早馬で飛ばした。クラーラの傭兵を出してくれないかと、な」
「傭兵、か……本当に腐れ竜が現れたのならば、人を増やしたとて腐った死体が積み重なるだけ。よもや八十年生きてきたが、このような事で生まれ育った土地を捨てる事になるとは……人生何があるかわからぬ」
「長よ、黙って腐敗する故郷を眺めるつもりか? クラーラとて進行方向次第では壊滅的な被害がでるやもしれん。指を咥えて見ているだけとはゆかんさ。人も資金も、ある程度は工面してくれるだろう。きっと協力してくれる。諦めるには早いさ」
頷く長老を他所に。
「ある程度?」
そう言って村長よりも長く生きている薬売りの老婆はほくそ笑んだ。
「百の兵が来れば百の腐肉ができるだけだ。千なら千の……万の兵でも同じこと。故郷を捨てて逃げるほかあるまいて。誰もアレをどうこうできようはずもない。故に一千年間も腐敗して行く身体と強靭な生命力の間でもがき続き苦しんでおるのだ。運。そう思うしかあるまいて」
シャッドは長の意見を黙って聞きながら、しかし歯噛みした。
「恐らく、シャッド――君が受けた毒は、腐れ竜の瘴気に当てられ変異した魔物によるものだと考えている」
「…………」
「あなた達の生活基盤はこの土地に根付いている。家畜を飼い、作物を育てる。その作物の持つ価値が、あなた方の工芸が他国に認められたと喜んでいただろう? それを捨て、新たな土地を探すのか? 未開の土地を開拓して?」
シャッドは押し黙る。
「……君の受けた毒。薬屋の婆様よ、過去あのような毒に類似したものを?」
「いいや。初めて見るモノだった。あの小娘が吐き出した宵の色をした毒を観察したが、それは間違いないよ」
「変異したからだ。腐れ竜の瘴気の性質を受け継いでいるかもしれん」
「それには同意できるがね。なんせ百近い年月を毒物の研究に費やした儂よ。故にあの小娘が解毒に成功した折、大層驚いたモノ……」
老婆も合点が言ったようだ。
「エミネイラならば、何か策を講じることが出来るやもしれん。撃退するなどは高望みだとしても――少なくとも、腐れ竜が忌避する様な“何か”を作ることができれば、進路を逸らすことくらいできるではないだろうか――」
無論、村人達は避難させるつもりだが、畑に近づく前にどこか被害のない場所へ誘導できればしめたもの。そんな腹積もりであった。
もとより、腐れ竜アボラクススの目的がどうあれ、手をこまねいていれば土地が腐るのを待つばかりなのだ。
成功すれば儲け物。例え失敗したとしても、伝承通りなのだ。
◇
「腐れ竜アボラクスス、ですか」
「そうだ。千年間、呪いによって腐っていく身体と竜特有の生命力の狭間で藻掻き苦しみ、通り道すがら呪いをお裾分けして練り歩く災いだ」
困ったことになりました。
何かお役に立てる事があれば――。
確かにそう願ってはいましたが。私には些か荷が勝ちすぎではないでしょうか。
腐れ竜アボラクスス。
世間知らずな私でも、彼の竜についてはよく知っていたのでした。
死神憑きと、腐れ竜。
どこか親近感を持ってしまい、ことこの件に関しては良く本や文献を調べたものですから。
何でも千年前の戦争に利用され夥しい戦果を挙げたものの終戦後はその力を恐れられ、呪術によって命を奪われる――はずが。
しかしながら、その生命力や凄まじく今度はアボラクススが痛みと怒りから救いを求めて各地を点々とする様になり、戦時の英雄は災と呼ばれる様になった。
腐った竜の体から弾ける体液は毒と瘴気を纏い、通った道の須くを向こう数十年と不毛の大地へ変容させ、恐れられる。
逸話通りであれば、何とも可哀想な話です。
竜は好きで戦争に加わったわけでも、好きで体を腐敗させているわけでもないと言うのに。
「それを、私が?」
意地悪でしょうか。
あまりにしつこくセベルリオンさまへ付き纏った事で、嫌われてしまったのでしょうか。それで無理難題をおっしゃるのでしょうか。
だとすれば猛省しなければなりませんが――。
「そうだ。君が作った解毒薬。あれを大量に作り、防御柵とする。なに、そう重荷に感じる必要はないさ。もとより打つ手がないのだ。あれが来れば蹂躙されるだけ――もしも成功すれば御の字。その程度だ、気楽に構えていて構わない」
ですが、
「セベルリオンさまっ、困りますっ!」
此処は村の往来。民たちが侍女に頭を下げる殿方を不審そうな眼で見ておられます。
セベルリオンさまとてこの村にそこまで縁もゆかりもないでしょうに、こうして深々と頭を下げられては。
「いい村だと思う、捨ておけぬ。どうか君の力を貸してほしいのだ」
立ち上がって腰を折り、目の前で頭を垂れる殿方。
「わ、分かりました! 私の様な者でもお役に立てるのならばやっては見ますが……どうか期待なさらず――」
期待、ですか。
生まれて初めて――いいえ、私が産まれた時にはきっと期待されていたのでしょう、さまざまな事を。
ですがいつしかそれをされなくなってしまった。
目の前の殿方――セベルリオンさまが、ゆきずりの村のために此処まで深く頭を垂れて私の様な女に幾ばくかの期待をかけてくださるのならば――この不肖エミネイラ、“できぬ”などとは口が裂けても言うわけには参りません。
「どうか頭を上げてください、セベルリオンさま……分かりました。この侍女エミネイラ、必ずや腐れ竜アボラクススを討伐してご覧に入れましょうッ!」
腰を折ったまま面を上げたセベルリオン様は目を瞬かせながら私の顔をまじまじと見ます。
私が首を縦に振るのはそれほど意外だったのでしょうか――。




