1 追放
「エミネイラ、すまないが君との婚約は破棄させてもらおう」
その日、開口一番に婚約相手だったゼラハルト殿下の口をついて出た言葉はそれでした。
強国、クレイン王国の王子であるゼラハルト殿下の父――つまり今上のクレイン王は国の勢力を広げる為に各国の力ある一族の娘たちを次々と王子達の妃として迎え入れている、そんな噂がまことしやかに流れる昨今、どういったわけか私の元へも白羽の矢が立ったのです。
「ゼ、ゼラハルト殿下! 急に何をおっしゃるのです! これは国王陛下が決められた婚姻に在られますれば、そうやすやすと殿下の意志で破棄できるものではございませぬ」
殿下の付き人、あるいは国の重役でもあるのでしょう。恰幅がよく髭を生やした男が突然の暴挙に出たゼラハルト殿下を諫めようと慌てて必死になっている様子は自分のことながら少し滑稽にも思えました。
「貴様、どの立場で俺に意見しているというのだ? それに、エミネイラ様にはどうも『妙な噂』があるそうではないか」
慌てるクレイン王国の付き人たちとは対照的に、こちらの側は「やはり」でしたり、「ばれたか」。そんな感情が青くなった顔に書いてあるかの様。隠すつもりなど毛頭ありませんでしたし、そもそもゼラハルト殿下にお目にかかったのは今日が初めてだったのだから隠しようなどありません。
殿下がそうであったように、この婚姻へは私の意志など髪の毛ほども介在してはいないのですから。
――噂、というのは正確ではありません。
私、クラーラ王国の第三王女エミネイラには【死神が見える】という事は、城の者であれば誰もが知っている事実。城下へは緘口令がしかれていて明るみにはでませんでしたが、城の者でさえ気味悪がって私の近くへはほとんどの者が近づきたがらないほど。
黒い靄のような死神はいつも死ぬ逝く者の傍に、彼らの向かう先に。彼らが残していった所有物に――とにかく私はそれが見たくなくて、背中を丸めいつも足元ばかりを見て今まで生きてきたのです。
「なんと不吉な事か――第三王女エミネイラ様は死神が見えるんだとか。よもや我がクレイン王国の覇道を阻む貴国の刺客ではあるまいな?」
「そのような……滅相もございません。エミネイラ様はとても聡明で賢い方だ、殿下の、その、きっとお力になりましょう」
「暗い顔、猫背。顔を隠すような髪。王族ならばもう少し王族らしくしたらどうだ? まぁ、どうでもよい。この次期クレイン王国の王、ゼラハルトの妃に相応しいと貴国が選んだのはその死神女というわけだ。父上も父上だ、肩書ばかりで事前の調査を怠るからこうなる」
次期国王、とは思い切ったことをいうものです。ゼラハルト殿下は第二王子。武力と戦に秀でたゼラハルト殿下には一つ年上の兄がいるはず。
しかしその兄は、学問や本を愛し、あまり王位継承についてはご興味がないのだ、という噂はこのクラーラ王国にも伝わっていること。
ともあれ、他国においてそのような事を口にするのはあまり賢い選択とは思えませんが。
「ともかく、この婚姻は決裂だ。貴国はクレイン王国に手袋を投げつけた。このことは親父――いや、国王陛下へ報告させてもらおう」
笑っていたのでしょうか。それとも怒りに染まっていたのでしょうか。ゼラハルト殿下の表情は私にはわかりませんでした。
◇
「困ったことになった」
大臣は先ほどの出来事を国王陛下に報告するためにここまでやってきましたが、どうも王の間へ続く扉を開ける勇気と知恵がまだ浮かばないようでした。
廊下の赤絨毯の上で行ったり来たりを繰り返し、口から出るのは、「こまった」とそれだけ。
「へリンゼ、私が直接まいります。あなたに非はなかったと、きちんと説明しますから安心なさってください」
「エミネイラ様……なんと寛大でお優しいお言葉、このヘリンゼ、感激にございます」
私の申し出を『待っていました』と言わんばかりに食いつき、両手を合わせて祈るようなポーズをとるヘリンゼ。
声を震わせているようですが、目に光はありません。瞳を潤ませるほど心は動いてなどいないことがすぐにわかってしまいます。へリンゼという男はいつもこうで、それだからこそうまく出世街道に乗れたともいえるでしょう。欲に忠実な彼の事は特段好きでも、嫌いでもありません。
頭を垂れるヘリンゼに背を向け、重厚な扉をこつこつと叩けば、張りぼての尊厳と自信にあふれた国王陛下の声が反響しました。彼の事を『父』と呼んだのはもうずいぶん前の事に思います。
「エミネイラです。陛下、先ほどのゼラハルト殿下との会談で報告が」
国王陛下は屍のようでした。
四肢の肉は骨の周りを申し訳程度に包み、きっと豪奢な外套の下、あばら骨が浮き出ている事でしょう。
――王女の嫁ぎ先が訪問しているというのに国王が出席しなかったのはその衰退を隠すため。
クラーラ国王は四人の子を授かりましたが、全て女児。王は男児を諦めてはおらず側室へ入り浸りという有様。
そのうえ側室の子に王位継承権があるとなれば、皇女たちも権力争いの火種になりかねないと姉様も妹も他国へ嫁ぐことに執心されるようになりました。
ところがある日、体調を崩してからというものこのご様子。近頃飛ぶ鳥を落とす勢いのクレイン国から婚姻の話が来たことで、一先ずその国力にあやかって男児の誕生まで時を凌ごうというのが王の魂胆だったのです。
「どうであった。クレイン国とのつながりを作っておくことは重要だ。このまま私が没すれば、お前達――いや、お前達を担ぐ者達による権力闘争の勃発は必至。そんなごたごたの中で他国に攻め込まれれば容易く陥落してしまうだろう……故に、勢いのあるクレイン国と手を結ぶという事は不可欠のものなのだ」
王直系の男の子が生まれるまでは強国に守ってもらう、というのが狙い。それでなくとも王女の四人の内三人は自由を求めて他国に『逃げ出そう』としているのだから、国王が焦るのも致し方ないという事。
「陛下」
「――クレイン国がかような話を持ち掛けてきたときは驚いたものだが……渡りに船とはこのことだ。忌子に使い道が出来るとは、ふふ。神はクラーラをまだお見捨てにはなっておられん」
「陛下……その件なのですが――」
つらつらと、口が滑るように事のあらましを伝えました。
これから陛下がどんなお顔をされ、どんな声で、どんな感情をお持ちになりどんな事を私にお伝えになるかがありありと理解でき、その代わりに私は感情を私の深くに置き蓋をすることで、とても事務的に事実だけを伝える事が出来たのです。
「婚約を……破棄されただと?」
「はい」
「死神女をクレインに寄こすなど、侮辱だと?」
「はい」
「クラーラがクレインに、『手袋を投げつけた』だと?」
「はい」
強国が、荒れた国土はそれなりにあるとはいえ小国であるクラーラに侮辱されたと捉えられたのであれば、蛇に睨まれた蛙も同然。手袋を投げつけるということは、騎士国家であれば決闘の申し出に他なりません。
怒り、王座から立ち上がったかと思えば、今度は力なくまたへたり込んで背もたれに沈む国王陛下は私にこう告げました。
「お前はこの国には要らぬ」
「……はい」
「どこへでも往け、この国には戻ることは許さん」
「…………はい」
「お前はもう私の子ではない」
「………………はい」
朝露を受けて頭を垂れる葉のように力無くただ頷く私に、国王陛下は私が持っていた権利や義務や存在の意味を取り上げる内容の言葉を何度も繰り返して何も無くなった私に対し、そしてついに名の一部を奪いました。
「エミネイラ。せめてもの情けだ、その名だけはくれてやる。しかしクラーラを名乗ることは許さん。さっさと出ていけ。――エミネイラを国外追放とする!」
母がくれた【エミネイラ】という名前だけ持つことを許され、最後に感謝の言葉を述べようと背筋を伸ばして陛下の顔を見ると私の予想は裏切られ、彼はすっかり黒い靄に覆われていて表情を見ることなどとても出来ませんでした。
「……さようなら、国王陛下。お元気で――」
ゼラハルト殿下と同様に。
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