第7話 適材適所というやつ
私は慌てて周囲を見回し、近くで聞き耳を立てる人物がいないことを確認しました。
せっかくドリス様が私の名誉を守ってくださったのに、こんなデリカシーのない言葉のせいで浮気の噂が復活したら困りますから。
「浮気なんかしたことないってば」
「じゃあアプシル伯爵とは……いつから?」
「プロポーズされたのは、五日前の祝賀パーティーだわ。初めてお会いしたのはもう少しだけ前」
「そう」
予想に反してアネリーンはそれ以上何も言わず、若い男女に囲まれるドリス様へと視線を向けました。
「かっこよくて理性的で陛下からの信も篤くて本当に素敵な人だよね。だけどニナが相手って聞いて驚いちゃった」
「ね。それは私もすごく驚いてる」
地味に貶された気がしますが、似つかわしくないという意味では私もそう思っているので甘んじて受け入れましょう。そもそも彼は他に好きな人がいるわけですからね。
「ふたりでいるところを想像できないわ。会話も続かなそうだし、無口な人でしょ」
「でも……彼も冗談を言ったりお茶目なところあるのよ」
「へ、へぇ。そうなんだ」
そんな話をしていたらドリス様が話を切り上げてこちらへ来る気配です。アネリーンは手早く髪を整え、少し上気した顔で彼の到着を待ちました。よほど好みのお顔なのかしら。
「あ、アプシル伯爵……っ! あたし……っ」
「ひとりにしてすまなかったね、ニナ」
アネリーンの目の前を通り過ぎ、そっと私の肩を抱いたドリス様。え、もしかしてアネリーンのこと見えてないですか、大丈夫ですか。視界が狭いタイプでいらっしゃる?
「わた、私は大丈夫ですけど」
「挨拶も済んだし――」
「アプシル伯爵ごきげんようっ!」
彼の言葉を遮るようにアネリーンがひと際大きな声でご挨拶をしました。ゆっくり振り返ったドリス様がやっと彼女を視界に収めます。
「こちらはニナのお知り合いかな?」
「あ、えっと、友人のアネリーン・ゲールツ伯爵令嬢、です。アネリーン、こちらアプシル伯ドリス・リッダー様」
私が双方を紹介するとドリス様はふわっと笑みを浮かべました。アネリーンに向き直り、洗練された所作で胸に手をあてて目を伏せます。
「はじめまして、ゲールツ伯爵令嬢。ニナと仲良くしてくれてありがとう」
「は、はい。アプシル伯爵はすごく素敵で、あたしびっくりして」
お顔を赤らめるアネリーンに、ドリス様は困ったように首を傾げてから再び私を抱き寄せました。
「ありがとう。急ぎの用が無いようなら、僕らはこれで失礼するよ」
「え……? あ、ちょ」
「わっ……! アネリーン、またね、ごきげんよう!」
アネリーンの返事を待つことなく、ドリス様は私を連れて歩き出します。ちょっと強引かなと思わないでもないですが、実際にアネリーンは用事などなさそうだったし……まあいいか。
会場を横切りつつ、ドリス様が口を開きました。
「ゲールツ伯爵令嬢は確か婚約もまだだったね」
「さすがによくご存じですね」
「婚約している人を紹介するわけにはいかないからね、それくらいは」
アネリーンは恐らく半年が経過したらキェル様と婚約するはず。
私たちは浮気の噂をどうにかするためにも恋人の振りをしているけれど、キェル様とアネリーンは表向きは仲良くできません。だって私が浮気したと噂を流している以上、婚約前から必要以上に接点を持つわけにはいかないですからね。
「もしかして仲介の依頼でもしようとしていたのかな……」
先ほどのアネリーンの態度を気にしている様子ですが、つまり彼はキェル様の真実の愛の相手が誰か気付いていないということですね?
「あの、実は――」
「あっちで休憩しようか」
打ち明けようとしたものの、ドリス様はバルコニーを指してにっこり笑顔。どうやら聞こえていなかったようです。まぁ、それこそ急ぎの話でもないですし、またいずれ折を見てお話ししましょうか。
そう言えば私、バルコニーって初めてかも。ここは婚約者とかそういう特別な人としか行っちゃいけない場所で、だけど私はキェル様と夜会で二人きりになったことなくて……。
嫌なことを思い出しそうになったので、ぷるぷるっと首を振って頭から締め出します。
「さすが公爵家ともなると、タウンハウスでも庭が広いね」
「夜会のお庭はしばらく出たくないですけどね」
夜の風は涼しくて、夜会の熱気にあてられた頬がひんやり気持ちいい。同時にふわっとムスクが香って、私はそれをひどく幸せなことのように思いました。
「違いない。ところでニナは子爵家のレーア嬢を知ってるかな」
「ええ、もちろん」
突然どうしたのかしらと見上げる私に、彼は大したことじゃないとでも言いたげに首を振ります。
「仕事なんだ、仲介のね。何名か候補は思い浮かぶんだけど、身上書にある『相手に希望すること』という項目がどうも、お父君が書いたような気がするんだよなぁ」
「あー。彼女があまり自分のことを話さないせいもあるかもしれません。確か熊さんのような男性がお好きとか」
「くまさん?」
以前の夜会で聞いたレーアさまの好きな男性タイプについて語っていると、ドリス様は「なるほどなるほど」と相槌を打ちながら耳を傾けてくれました。
「やっぱりニナがいてくれると助かる」
「と言いますと」
「こういう仕事をしていると情報が本当に重要なのだけど、内心の話はなかなか表に出ないからね。レーア嬢のように親御さんが書類を出して終わり、ということのほうが多いし」
「私は……すぐ質問攻めにしてしまうだけです」
「いや、極めて優秀で有用な能力だよ」
キェル様に疎んじられた私の質問癖が、ドリス様には歓迎されているようです。適材適所というやつでしょうか。
私の名誉を挽回し悪癖さえ認めてくださるこの人に、どうにか報いることができたらいいのですが。