第46話 嵐が去ると少し寂しい
テーブルにお茶とクッキーとが並ぶまで、私たちの間に会話はありませんでした。
ノヒト殿下は壁や柱の装飾がいたくお気に入りだったご様子で、そればかり眺めています。お城の客室ですから素晴らしい技巧が堪能できるのは確かですけれども。
「それで、お話とは」
「ああ、悪い。……俺がここに来た目的覚えてるか」
「ええと、確かダノーギ子爵の尋問に協力しろと」
本来、私の能力については秘匿されるべきものだと聞いています。使い方によっては一国を滅ぼすことさえできる、あまりにも恐ろしい力なので。欲しがる人間も、あるいは亡き者にしようと考える人間もたくさん出現するはずだ、というのがドリス様と陛下のお考えで。
ところがあの雪原で、私が暴れてしまったが故にヤクサナに秘密が知れてしまい、困っているというのが正直なところです。
ヤクサナからの要請にどこまで応えるのか……、とはいえ私は陛下やドリス様の判断に従うのみなのですけど。
「そ。断られるだろうと思ってたけどまぁ、結果的には協力してもらったわけでさ」
「ん、ああ。宿で彼から話を聞いた件ですね」
「で俺としてはもうひとつの目的を達成したいわけなんだけど」
「もうひとつ」
「はー? もう忘れたのかよ。この俺が跪いたってのに?」
「あ」
「あ、じゃねぇのよ」
そうでした! ノヒト殿下は内通の罪を表沙汰にしない代わりに、貴賤婚によって自らだけでなく子孫にいたるまで王位継承をはく奪されるとかなんとか。その貴賤婚の相手として私を望んでいたのでしたっけ。
部屋の隅でローザが息を呑んだ気配がします。というか興味津々な視線を感じる。
「先日も申し上げましたが、私は殿下とは結婚できません」
「だよなぁ。ダノーギのせいで口説く時間もなくなったし、それにまぁ、ドリスはいい奴だ。敵わねぇわ」
そう言えばいつの間にかノヒト殿下は、ドリス様のことを名前で呼ぶようになっていますね。先ほどの様子も、喧嘩するほど仲がいいと言えるのかもしれません。
「ええ。ドリス様はとても素晴らしい方です」
「だから身を引こうと思うんだけど、いい?」
「何がですか」
「俺が身を引いて後悔しない?」
「しません」
「だよなぁ」
カチャ、と陶器の鳴る音がしてテーブルを見れば、カップに伸ばされたノヒト殿下の手が小さく震えていました。彼はカップから手を離し、ゆっくりとソファーに身を預けます。
「俺はニナのおかげで自分の過ちに気付けたし、ヤクサナも無駄な戦争を起こさずにすんだ。感謝している」
「いえ……」
「まぁ、その、なんだ。感謝の証ってわけじゃねぇけど、お前の能力については秘密を守るし守らせることを誓うよ。幸い、俺と兄貴の部隊しか知らねぇからさ」
「はい、ありがとうございます」
ん、と頷いてノヒト殿下が立ち上がります。結局紅茶には手をつけなかった。
「お前の秘密は未来永劫守るから安心しろって、ま、それだけ。じゃあな」
翌日、彼はまだ暗いうちに城を出発しました。こちらにいらっしゃったのも極秘に近い状況でしたから、見送りはほとんどありません。
形式通りの挨拶を済ませると、名残を惜しむことなくヤクサナへと帰って行ったのです。
城の門が閉まるのを眺めていると、ドリス様が私の顔を覗き込みました。
「寂しい?」
「ふふ。嵐のような人ですから、それなりに」
「僕はニナを連れて行かれなくてホッとしているよ」
「そんなこと心配してたんですか?」
驚いて見上げると、彼はとびきり甘い笑顔で片目をつぶって見せたのです。
「君には誘拐されるという実績があるからね」
「んもう。油断してた私が悪ぅございましたー」
「いいや、油断してたのは僕のほうだ。怖い思いをさせて悪かった」
ダノーギ子爵がドリス様を恨んでいたなんて、しかもそれで私を標的にしただなんて、ドリス様には知りようがないはずなのに。それでも自分のせいだと謝ってくれる彼に、私は話題を変えるくらいしかできなくて。
「ノヒト殿下はヤクサナに戻ったらご結婚されるんですよね、誰かと」
「そういうことになるね」
「好きでもない人と結婚って……って、貴族や王族なら当然のことでしたね」
彼は私に好きだと言ってくれました。その気持ちに応えることはできないけれど、私が断ったことで愛のない結婚をするんだと思うと少し複雑です。
ドリス様は私の手をとると、そっと口元へ引いて指先に触れるかどうかのキスをしました。
「それってつまり、僕との結婚には愛があるってことだね」
「あっ――」
改めて言われるととっても恥ずかしいわ!
私はもうずっと前からドリス様のことが好きだって自覚していたし、だからおっしゃる通りなのだけど!
ドリス様は私の手をとったまま、庭のほうへとずんずん歩いて行きます。
「ドリス様っ? 一体どちらへ」
「どこだと思う?」
質問を質問で返すだなんて、なんだか意地悪です。だけど、軽い足取りや声色から機嫌がいいのは確か。私もなんだか楽しくなったので、何も言わず導かれるままについて行きました。
そして到着したのは――。
「ここって」
「僕らが初めて会った場所だ。正確には、初めて君が僕を認識してくれた場所、かな」
日陰を作るためでしょうか、高い木がいくつも植えられたこの庭には確かに見覚えがあります。
「そう、ここで足を引っかけられたんでした」
「まるでわざとやったみたいな言い方だね」
「違いましたか?」
「いや、正解だ」
「やっぱり!」
そんな軽口を叩いてふたりでひとしきり笑い合ったあと、彼は私を抱き寄せました。




