第29話 私に嘘はつけないので
牛車を走らせて到着すると、そこにはもう不穏な空気が満ち満ちていました。ドリス様に対して、ノヒト殿下以外の全員が武器を向けていたのです。
外へと降り立った私に、その場の全ての視線が集まりました。ローザと魔術師さんは混乱している様子ですが、心の中で「ごめん」と謝ってドリス様の方へと向かいます。
「ニナ、来るな」
「お前は戻れ」
二人からものすごい剣幕で同時に怒鳴られて、思わず足が止まりました。図らずも剣を向けられる側と向ける側双方から拒絶されるだなんて。なんてことでしょう!
しかしここで黙っているわけにはいきません。みんなして私をのけ者にして勝手に話を進めるなんて酷いと思います。私は意を決して前に出ました。
「何をしているんですか、殿下」
「なにって……アプシル伯にスパイの容疑が」
「やめるんだ、ニナ」
ほんの少しだけ言葉に魔力を乗せたことで、ノヒト殿下は素直にお話ししてくれました。私が魔法を使っていると気付いたのは今のところドリス様だけのようです。ドリス様の制止は無視して続けましょう。
「なぜ彼がスパイだと?」
「そういう情報があった。もし書類の盗難が発生すればそれはアプシル伯の仕業だと」
「発生すれば……? 彼が盗んだ証拠は?」
「今から調べるんだろうが。って、待て、俺は何を」
ノヒト殿下は少しだけ違和感を持った様子です。周囲の兵たちにも少々困惑が広がり始めた感じ。でもまだ大丈夫。ドリス様は怒った顔で私の名を呼んでいますが、聞こえない振りです。
今は殿下の言葉から状況を打開する糸口を探さないといけないので!
「ところで、どんな書類が盗まれたのですか」
「手紙だ」
「誰と、どのような内容の」
「ぐ……。待てよ、何かおかしい!」
口元を手で覆い、ドリス様ではなく私のほうへと身体を向けたノヒト殿下。疑いの眼差しを真っ直ぐ私に向けています。
言ってはいけないという意識が強くなってる。質問の方向性は合っているという証左ですが、もう少し魔力を乗せる必要がありますね。
「もう一度お伺いします」
「お前、なんか変な――」
「もうやめたほうがいい、ニナ」
「誰と――」
「くそっニナ・ボガートを拘束しろ! 喋らせるな!」
私が何か言うより先にノヒト殿下が兵たちに指示を与えました。私を捕まえるべく一斉に動き出す兵士たち。統率された動きはとても速くて、逃げる間もなく方々から手が伸びてきます。
しかしその刹那、パチッと何かが弾かれる音が。
「うぉっ!」
「わぁ!」
大きな炎が、私に伸ばされた手を舐めあげました。ほんの一瞬とはいえ、誰もがぼわっと燃え上がった火におののいて動きを止めます。と同時に私は腕を引かれ、温かいものに包まれました。
「ずいぶんと無茶をする」
「ドリス様……」
ため息交じりの彼の腕の中に囲われてホッとしたのも束の間、ノヒト殿下が再び私たちの拘束を指示します。
「あいつらを直ちに捕まえろ。アプシル伯は魔法を使うらしい、対魔術師の要領で対処するように」
我が国と違って、国民の約一割が魔術師であるこのヤクサナでは、魔術師と敵対した場合を想定した訓練もしっかり行っているようです。どう対処するのか想像もつかないけれど。
ただ態勢を整える兵の中で、魔術師が一歩後ろへ下がってこちらを睨みつけるのが印象的でした。きっと彼らがなんらかの方法で援護するのでしょう。
そっと手をあげたノヒト殿下が腕を振り下ろし、それを合図にして兵たちが地を蹴ってこちらに向かって駆け出しました。
「相手は誰でどんな内容の手紙だったんですかっ!」
「ダノーギだ! お前たちの国の国防にまつわる機密を得たと言ってた、近々攻撃予定であることも――ああクソッ!」
「ダノーギだって?」
「戦争を始める気ですか!」
戦争という言葉に、兵士たちの動きが止まります。
彼らはヤクサナの忠実なる兵であって、ノヒト殿下の個人的な駒ではありません。だから王国の意思に反する行いに驚いてしまったのだと思います。
それにしたって、ダノーギ卿の名前がここで出て来るとは。
「なんなんだよ! おま……お前、ああ、だからシルバードッグがお前を狙ったのか! ニナも魔術師だったんだな、くそ、気づかなかった!」
「シルバードッグ?」
「魔獣は強い魔力を持つ者を優先して捕食する傾向があるんだよ」
ドリス様は、私が魔力を持っていてかつ小さな体だったから狙われたのだろうと言いました。弱そうな個体から襲われるのは弱肉強食という野生動物の掟ですから。
自白するかたちとなったノヒト殿下は、それでも私たちを捕まえろと兵を煽ります。
「おい、早くあいつらを捕まえろと言ってるだろ!」
「この平和な国に戦争をもたらそうとする者の言葉に従うのか?」
兵士たちはふたりの声に戸惑い、動くことができません。もうひと押しと見たのか、ドリス様はいつになく饒舌に彼らを説得するのでした。
「僕は最悪の事態を防ぐために調査に来たにすぎない。今ならまだ、何もなかったことにできる、平和を維持できるんだ。だが僕らの身に何かあればどうなると思う。この地の生活はスノウバイソンなくして語れないが、バイソンの飼料は我が国から輸入したものではないか。冬季の食料、金属加工技術、流行の絹織物……力づくで奪うつもりか、奪えるのか?」
シンとした兵たちでしたが、すぐに武器をおろして私たちから一歩二歩と距離をとりました。これが彼らの答えです。それを見てノヒト殿下は膝から崩れ落ちたようでした。




