第22話 褒められたいんですが
私が小宮殿に戻ると、ローザは何を言うでもなく私を湯に浸からせ、温かい紅茶を淹れてくれました。私の身体はだいぶ冷えていたみたいです。言葉にも顔にも表れないけれど、ぶっきらぼうなローザの優しさもまたとても温かかった。
ドリス様はすぐに仕事へと戻ってしまい、ルナルさまやローザとカードゲームに興じるうちに一日が終わって……。
新しい朝を迎え、今日はなんとお勉強をしています。旅に出てお勉強とか!
今夜は私もドリス様と連れ立って、夜会へ参加する予定となっています。そのため最低限の貴族のお名前などを覚えるようにと言われて……。夜までにって付け焼き刃もいいとこですよ、ほんと。
ペンをくるくる回しながらルナル様からお借りした貴族名鑑とにらめっこしていると、なぜかドリス様まで私の部屋でお仕事を始めました。
背後の窓からは温かな日差しが入り、顔を上げた先にはソファーに掛けてお仕事をするドリス様。難しいお顔もとても良いです。そんな風に集中力が切れて弛緩した空気が流れ始めた頃、ローザが私とドリス様にお茶を淹れてくれたのですが、その時……。
「あの、差し出がましいかとは思うのですが……この資料は恐らく間違っています」
「これ?」
ローザがドリス様のところへ紅茶を運び、そこにあった資料を一枚手に取りました。指摘されてドリス様も紙を覗き込んでいます。
「はい。昨日、演習場を見学していた際に案内してくださった方が色々教えてくれました。この資料では魔素の数値が――」
「――なるほど。つまりこの川を境にしてこちら一帯が――」
「それから魔術師と話していて気付いたのですが、魔素濃度によってその土地の生態系に影響が――」
すっごく話し込んでいます。私には理解できない話!
ドリス様は助かる、と言いながらメモをとっているけれど……あんな表情、私の前でしてくれたことないんですけど。ふたりの会話が気になって、貴族名鑑に書いてあるお名前がぜんぜん頭に入ってきません。
「その魔術師はなぜそんなにペラペラと」
「話した印象ですと機密だとは思っていないみたいでした。ですからその資料を用意した方と現場の人間とで意識が違うのでは……。または単純に資料が間違っていたか、ですね」
「いやしかし助かったよ。さすが、魔術への造詣が深いね」
話を終えるとローザは表情を変えないまま一礼して部屋を出て行きました。
むむむむむ。
「私も褒められたい……」
「え?」
「え?」
ソファーからすごい勢いでお顔をあげたドリス様に、私もびっくり。なんか変なこと言いました?
「褒められたい?」
「あ。……や、違います、なんでもなくて!」
言ってた。これは言いましたね完全に。思ったことが口から出る癖は本当にどうにかしたい。
ドリス様は立ち上がってゆっくりとこちらへやって来ます。すぐ傍まで来ると私の髪をひと房掬い上げ、ご自身の口元へ運びました。
「まさかニナがそんなに可愛らしいことを言うとは」
「や、言ってな……くもないけど違くて」
「いい子にしていればもちろん褒めるよ。たとえば……」
「たとえば」
掬い上げた髪を背中側へと垂らして、私の座る椅子の背に手を置きます。腰を屈め、お顔を私の顔のそばに近づけて……。ヒィィ、お顔が、近い!
ムスクのいい匂いがするし、彼の長い髪が私の肩に触れてそこにばかり意識が向いてしまう。彼を見上げることも、逆に俯くこともできず硬くなっていると、彼は空いたほうの手で貴族名鑑をポスポスと叩きました。
「完璧に覚えたら褒めてあげようか」
「無理ぃ……」
緊張が一気に解けてずぶずぶと椅子から滑るように崩れ落ちる私に、ドリス様は「アハハ」と笑いながら背を向けます。遊ばれた……!
「さて。僕はひとつ仮説を思いついたから先に城へ行って情報を共有してくるよ。迎えに戻る余裕はないと思うから、城で合流しようか」
「はぁい。わかりました」
彼の言う「仮説」も、私が夜会へ出席するのも、表向きの仕事です。裏側の仕事がどこまで進んでいるのかはさっぱりわかりません。昨日も今日も、彼がひとりで小宮殿を出て行くたびに不安になっているのを、彼はきっと知らないでしょう。ばーかばーか。
そんなこんなで温かかったお日様はすっかり沈んでしまい、ダノーギ卿とそのご息女のルナル様と一緒にお城へやって来ました。エントランスでお二人と別れ、私はドリス様がいらっしゃるのを待つことにします。
お外は真冬の寒さだけど、一歩入ればとっても温かい。コートをクロークに預け、手近なソファーに座って待とうと歩きだしたところで……。
「おい、お前!」
私の腕を掴む人が現れました。
聞き覚えのある声に振り向くと、そこにいたのは昨日の怪我人君で。
「あれ。怪我人君」
「なんだよ、怪我人君って」
「だって」
昨日とは打って変わって煌びやかな衣装に身を包んでいます。資産階級以上だろうと思ってはいましたが、いやいや、これはきっと公侯爵家くらいの上流の家門に間違いありません。
失礼なことしなかったかしら、と昨日を振り返ってみましたが……お名前を聞いてない時点でもうダメです。お別れのご挨拶もしなかったし失礼に次ぐ失礼を働いています。胃が痛い。
顔を青くしつつ言葉を探していると、私の腕を握る彼の手に力が入ります。以前キェル様に力いっぱい腕を引かれたのを思い出し、足元から恐怖が這い上がってきました。
「お前、連れはいないのか」
「や、離してくださ――」
「失礼、彼女は私のパートナーです」
私の肩を抱き、私の腕から怪我人君の手を剥がそうとしてくれるのはドリス様です。三竦みとなった私たち。というか睨み合うドリス様と怪我人君。
「お前は確か」
「お戯れが過ぎます、ノヒト殿下」
「え」
今なんておっしゃいましたかとドリス様を見上げたとき、周囲からバタバタと従者らしき人たちが走って来ました。
「殿下! おひとりで出歩かれませんようにと何度――」
「ノヒト……王子、殿下?」
「ああ。ニナ、昨日は世話になったな」
ニヤリと笑ったノヒト殿下は、従者たちに引っ張られてどこかへ行ってしまったのでした。




