第20話 男の人を拾いました
馬を走らせるのってすっごく気持ちがいい。私の合図に応えてくれる馬、ぐんぐん流れる景色、リズミカルな音に風。頭を空っぽにしてどこまでもどこまでも走って行けるような、そんな気分です。
が。待ってください、ここはどこですか。
駆歩から速度を下げ、ゆっくり歩きながら周囲を確認してみましょうか。ずいぶん走った気がするのですが、ゴールであるところの町らしいものが見当たりません。というか森です、いつまでたっても森。
「ね、ルナルさま……。あれ、ルナルさま?」
振り返ってみれば、誰もいませんでした。あれ、どうして。
もしかして道を間違えた? でも道なりに真っ直ぐ走ったはず……。来た道を戻ってみる? そうね、そうしましょう。ルナルさまと会えるかもしれないし。ていうか、ルナルさまに何かあったかもしれないし。
ゆっくりと引き換えし、ルナルさまの姿を探します。ところが、途中で道がふたつに分かれていました。
「どっち……から来たっけ?」
どちらも馬二頭が並んで走れるくらいの広さがあります。初めて来た土地の森の中、見当などつくはずもありません。馬の足跡でもないかと下を見てみますが落ち葉だらけで全然わからないし。
こっちから来た気がする、と当てずっぽうで進むことにしました。こんなこと、魔導省の管理地域だと聞いていなかったらできませんけど。すると前方に大きな物体が転がっています。
「あれは……人?」
しばらく道なりに進んだ先で、うずくまっている人を発見してしまったのです。
「もし、大丈夫ですか」
「は……? お前、よそ者か。大丈夫だからどっか行け」
青ざめた顔のその人は綺麗な栗色の髪に青い瞳の若い男性で、それだけ言うとプイとそっぽを向いてしまいました。全然大丈夫そうな顔じゃなかったのに。
馬から降りて近づいてみると、なんと怪我をしているではありませんか。だって服に血がついてる。
「あなた怪我を」
「関係ないだろ」
「医師のところへ行きましょう、町がどこにあるかわかりますか」
「ほっとけ」
「そんなことできるわけないでしょう!」
ちょっとだけ大きな声を出すと、彼は驚いた様子でこちらに顔を向けました。一瞬迷いを見せたものの、溜め息をついて視線を逸らしてしまいます。
「近い町ならここから南と東にひとつずつ。だが医者がいるかは知らん。この辺は魔導省の演習場勤務の医者が持ち回りで診てるだけだ」
「つまり、どこかの町には今日の担当医がいるはずですね? わかりました。歩けないなら、馬に乗ってほしいのだけど、難しい?」
「わかりましたってお前」
「近所の人に聞けば医師の居場所もわかるでしょう? さっき馬を走らせてるときに何人かとすれ違ったしきっと大丈夫」
そう言っても彼はどこか遠くを見たまま、「無理だぞ」と言うだけ。誰にも会えなければ演習場まで戻ってもいいんですが、怪我をしていることを考えれば近いほうに行きたいですよね。
いいから馬に乗ってちょうだいと彼の腕を引っ張ったとき、進行方向から地元民と思われる年配の男性がやって来るのが見えました。斧や縄を抱え、それに細かい道具をたくさん腰にさげていますし、杣人でしょうか。
「ちょっとあの人に聞いてきます」
「無理だって言ってるだろ、ここらの人間はよそ者を嫌う」
言葉にこそ表れないものの、一瞬彼の瞳に浮かんだのは怒りでも諦めでもなく、憎しみにも似た激しい感情でした。それを不思議には思ったけれど、あまり立ち入るべきでもないでしょう。それに今は他にやるべきことが。
「失礼ですが、少々お尋ねしたいことが」
私が通りすがりの男性に声を掛けると、彼はチラッとこちらを見ただけで返事もせず歩き続けます。
「失礼、そこの方」
「うるさい、よそモンは去ね」
取り付く島もありません。けれどこちらにはこちらの事情があり、次の通行人を待つわけにもいかないのです。
つまりこの半年間の練習の成果を発揮するときがきたということ! 半年かけて威力をしっかりコントロールできるようになったのです。もちろん試行回数が多くないので、確実に成功するかはちょっとわからないのですけど。
私の目の前を通り過ぎようとする男性に再び声を掛けます。
「医師の滞在する町はどちら? 教えていただけますか」
「南だ。……あーくそ、喋っちまった」
彼はやはりこちらを向くことなく、自身に悪態をつきながら歩いて行ってしまいました。でも知りたいことは教えてもらえたから良しとしましょう。
言葉に乗せる魔力を調整すれば、ついこぼしてしまった程度の感覚で秘密を吐露させることもできます。魔法を使われたとは夢にも思わないわけです。その代わり重要な内容ほど効果がなくなりますけどね。何はともあれ、成功してよかった。
「南だそうです。行きましょう。道案内はお願いしますね」
座り込んだままの若い男性に手を差し伸べると、彼は目をまん丸にして私を見上げました。
「あいつらがよそ者にものを教えるのなんか初めて見たぞ」
「そうなんですか? よくわからないけど、親切な人でしたね」
彼はしばらくどうすべきか悩んだようでしたが、私が痺れを切らす前に手を取ってくれたので良かったです。また怒鳴りつけてしまうところでしたからね。
彼の怪我は脇腹と腕。長く歩くのは難しいでしょうから、ちょっとだけ無理して馬に乗ってもらいました。
「しかしお人好しな奴だな」
背後から彼がそうぼやきます。
本来なら前に座ってもらったほうが揺れが少ないのですけど、男性が前だと視界が悪くなるし、そのほかにもいろいろ問題が生じるので。私の腰に回した腕にはしっかり力が入ってるし、落ちることはないでしょう。
ていうか、この人はいちいち文句言わないと死ぬ病気でしょうか?
「いちいち文句言わないと死ぬんですか」
「隠すべき内心だろ、それ」
「あら、声に出てた」
「ちゃんと隠しとけ。それよりお人好しが過ぎると、誰も彼もお前を利用するばかりになるぞ」
どう言葉を返していいのかわかりませんでした。
カジノの件で出資を取りやめるや否や、我がボガート家からゲールツ伯爵家へと鞍替えしたマーシャル家。彼らは我が家のお金が目的だったと後に聞きました。
それにドリス様も。彼は私の能力が目的なわけですから、利用と言えば利用なのでしょう。
「それは少し寂しいけど、彼の役に立てるのなら」
小さく呟いた言葉は風が掻き消してくれたと思います。背後からも特に返事はありませんし。
私たちは無言のまま、南の町を目指したのでした。




