第19話 自由に駆け回りましょう
翌日。ヤクサナの王都ギムを出て東へ行くと、緑がどこまでも広がっていました。馬車から見える景色も、放牧されている馬がじゃれ合ったりゴロンと横になったりと、とてものどか。
「本日は乗馬をしたいと思います! ヤクサナでは男女ともに乗馬が人気なのですが、いかがでしょうか。確かニナ様は乗馬がお得意とか」
そう言ったのはダノーギ卿のご息女、ルナルさま。グレーの髪はヤクサナで多く見る色で、彼女はつやつやのそれを綺麗にまとめあげています。
昨日言っていた通りドリス様は朝から出掛けているため、ルナルさまがお外に連れ出してくれたのです。
「はい、私は父にせがんで教えてもらったのですが……我が国で女性の乗馬は盛んではありません。ローザはどうかしら?」
「わ、わたしは馬には乗れないので……っ!」
ローザは胸の前でパタパタと手を振り、顔を青くさせています。ふむ、練習するにしてもちゃんと乗れるようになるまでは時間がかかりそう。
ルナルさまも首を傾げて思案顔です。手荷物から地図を取り出して広げ、一部地域をくるっと指で囲みました。
「いま向かっているこの一帯は、実は魔導省の管理地域なのです。簡単に言うと魔術師の部隊の演習場や、薬草畑、魔法薬の研究所……そういったものが集められています」
「ままままっまま魔導省の!」
ローザが前のめりになって地図を食い入るように見つめます。
「ええ。で、もちろんそれらの施設では魔術師以外に多くの民が働いていますし、その民が住むための町もいくつか点在しています」
「すごいですね……」
なるほど森があって川があって……、大きな建物は研究所などの施設なのでしょう。そういった建物から遠くない位置に、いくつか住宅が密集するような土地があるようです。
「野盗やゴロツキといった厄介な存在がいないため、ニナ様のような貴人が自由に歩き回れるという利点がある一方で、娯楽が少なくてですね……」
「こここっここっ、こここ」
「にわとり……?」
「こっここが演習場ですか!」
地図の一点を指してローザが問いかけます。確かに他の部分と比べて、彼女が指した場所には何も記されていませんでした。建物がひとつ隅にあるだけ。
「そうです。申請すれば見学くらいはできるかと思いますが」
「いいい行きたい! で、す……あ」
ハッとしたお顔でこちらを見るローザ。自分の立場を思い出したようです。
ローザが望むのなら好きにすればいいとは思うけれど、私はあまり魔術師の近くには行きたくありません。ドリス様のご指導のもと自分の魔力くらいはかなりコントロールできるようになったつもりですが、魔術師としては生まれたての赤ん坊なのです。
魔法大国のヤクサナで日々研鑽を続ける魔術師たちに囲まれて、自分の魔力を感知されずにいられるとは思えないというか。
「たとえば……私たちが乗馬を楽しむ間、ローザには見学で時間を潰してもらうというのは可能かしら」
「あー。そうですね。演習場の責任者に確認して、問題ないようでしたらそうしましょうか」
というような流れで、演習場側からも無事に許可を得た私とローザは、別行動をすることとなりました。
このヤクサナへ来る道中も、私の支度を手伝ってくれるときもずっと無口だったローザ。その彼女がスキップでもする勢いで演習場へと駆けて行ったのが可笑しくて。本当に魔術が好きなのね。
一方私とルナルさまは牧場へと向かい、馬と乗馬用の服や靴をお借りしました。乗馬を目的に貴族女性が多く訪れるらしく、自身で準備をせずとも全く問題ないことに感動してしまいます。
こちらの牧場の馬たちはヤクサナの騎士団で活躍していた引退馬や、気性の問題で軍馬になれなかった馬などだそう。
ルナルさまと馬の鼻先を並べ、常歩で森の方へと向かいます。のどかな風景と青い草の香り、それに心地よい馬の振動がささくれだった心を落ち着けてくれる気がしました。
「アプシル伯爵には初めてお会いしましたが、お噂通り素敵な方ですね」
「ふふ、国内でも大人気でしたね」
「なんでも伯爵が熱烈なアプローチをなさったとか」
「……まぁ、そう、かな」
――ニナを好きだと言ったその言葉に偽りはないよ。
ドリス様は確かにそう言ってくれました。言ってくれましたが、私はその言葉を未だ信じられないままで……。彼の行動原理がすべて陛下の「影」であることに由来するのは間違いありませんし、私を守ろうとしてくれるのも能力があるからであって。
昨日だって大切にしてくれてる風の雰囲気でしたけど、結局は最終手段だとか仕事に不慣れだからとかで……大切だからついて来るな、という発想にはならないんですもんね。
好きだとか、言うだけならいくらだって言えるじゃないですか。って、あーまたささくれだってきた!
「なんだか浮かないお顔ですね。喧嘩でもなさいましたか?」
「本当は人に羨ましがられるような婚約ではないんです。政略結婚の延長線上というか。もちろん貴族である以上――」
「寂しいんですね」
「……え?」
ルナルさまの言葉に、一瞬頭が真っ白になりました。
「ニナ様はきっとアプシル伯爵のことがお好きなのでしょう? だけど同じだけの熱量が返ってこなくて寂しい。なんだかそんなお顔をしていらっしゃったわ。違いましたか?」
「そう……なのかしら」
いえ、そうなんでしょうね、きっと。
好きだとか守るよとか、そういう優しい言葉を以前のように無条件に信じられたらいいのに。どうして疑うことを覚えてしまったのかしら。
森の入り口に差し掛かったところで、ルナルさまはニカっとお日様のように笑い、少しだけ馬のスピードを上げました。
「気持ちを返してくれない殿方は、放っておけば追いかけて来ますから! 女性は自由に駆け回ればいいのですわ!」
「ふふ、それもそうですね!」
私と彼の関係は最初から何も変わっていないのです。なのに勝手に彼を好きになって、ひとりでモヤモヤするなんてちょっと馬鹿らしいことかもしれません。
ルナルさまを追いかけて私もスピードを上げると、彼女はお日様笑顔のままでこちらを振り返りました。
「この道を真っすぐ行って森を抜けると目的地である町があります。そこで食事の予定なのですが……どちらが先に着くか、勝負しませんか?」
「あら。私、乗馬にはちょっと自信がありましてよ?」
「望むところでございますっ」
きゃははと笑って、私たちはさらに速度を上げたのでした。




