第1話 ちちくりあう真実の愛
新連載です!
ひとまず第一部、38000字を連日投稿していきます
初日は一挙5話!
キラキラした夜会の裏側で。
濃厚な甘い花の香りが漂う庭で。
仔猫の鳴き声みたいな細く高い声と。
獲物に食らいつく肉食獣のような息遣いが。
「えっ……? キェル様……」
お酒と白粉の匂いから逃れるように、夜会の会場を抜け出して外の空気と静けさを求めた私が見たものは、婚約者と友人の濡れ場でした。
大きな木、整えられた生垣など視界を遮るものの向こう側で、木に背を預けた友人の首筋を私の婚約者がさも美味しそうに舐めあげています。ちゅぱちゅぱ聞こえる小さな水音のせいか、婚約者であるはずのキェル様が赤ん坊のように見えて背筋をおぞけが走りました。
驚きのあまり後ずさった私の足が枝を踏み、パキンと小さな音が……いえ、ことその場においてはとても大きく感じられる音が響いたのです。そして当然、二人の視線はこちらを向くわけで。
「ニナ! 違うんだ、これは、その、浮気とかではなくて」
「浮気ではない? どこが?」
これを浮気ではないと主張するのは無理があると思うのですが。
婚約者のキェル様が目の前の女性から離れ、乱れた服装を手早く直しました。一方、木から身体を起こした友人のアネリーンは涙を浮かべてキェル様の腕に縋りつきます。キェル様の腕に押し付けられた胸がむぎゅっといびつな谷間を作りました。
「あのね、ニナ。あたしが悪いの。あたしがキェル様のこと好きになっちゃって、それで」
「横恋慕して浮気したと?」
「いや、違う。ニナのご両親には今日のうちに父から連絡が行っていると思う。俺たちの婚約は破棄されるんだ」
「あたしたち、愛し合ってるの!」
アネリーンの涙交じりの声がひときわ大きくなりました。キェル様は彼女の肩を強く抱いて私を真っすぐに見据えます。
「俺は真実の愛をみつけた。つまりそういうことだから」
つまりどういうことかしら、浮気でないとする根拠がどこにもなかったのですが。いえ、まぁいいでしょう。
「……婚約者への配慮も礼節も欠ける方の言う『愛』とかよくわからないですけど、この状況にいたってなお婚約の継続を望むことはありませんので、安心してちちくりあってくださいませ。ではごきげんよう」
「ちちく……なんて下品な言葉だ!」
何か喚いていますが、真実の愛という言葉のリボンでラッピングすれば浮気や野外淫行さえ品のある行いになるとお考えなら、いよいよつける薬がありません。
一瞬でも長く同じ空気を吸うのが耐えられなくて、私はすぐに彼らに背を向けその場を立ち去りました。
「きゃっ……!」
「おっと、危ない」
ふたりのそばから一刻も早く離れようと駆け出したところ、薄暗い庭の真ん中で何か固いものに躓いてしまったのです。寸でのところで転倒を免れたのは力強い手が私の腕を掴んで引っ張ってくれたから。
「足元はよく見ないとね」
「ありがとうございます、助かりました」
体勢を整えて振り返ると、そこにいたのは髪の長い男性でした。会場からの光を受けてブロンドがチラリチラリと宝石のように輝きます。服装からして使用人ではなくそれなりの地位にある方のようですが……。
私は一体なにに躓いたのかしら? 足元に視線を走らせてもそれらしいものは見つかりません。固くて大きいものだったように思うのに。
「ああ、僕の足に引っ掛けてしまったんだ。この通り、長いからね」
「え――」
いたずらな笑みを浮かべて男性がウインクしたその瞬間、空ではドドンと大きな音を立てながら花火が咲きました。王城での夜会の際にはこうして魔術師が空をキラキラと彩るのです。
この国において魔法を使える人はとても希少だというのに、まさか貴族のために夜空を飾る仕事をさせられるとは思ってもいなかったことでしょう。
けれども鮮やかな色とりどりの光の中で、目の前の男性の端正なお顔と、私の腰までありそうにな長いおみ足とが際立って見えました。思わず見とれてしまうほどに。
「……確かに、長い、かも?」
「あははは! そうでしょう。いや大事に至らなくて良かった。しかしさっきの啖呵は素晴らしかったですね。ちちくりあってください、だもんな。品はないけど」
「え」
「そもそもあんなのとよく婚約したものだよ」
「失礼な、いきなりなんなんですか……っ」
んもー、何も知らないくせに! そりゃあ結果だけ見れば「あんなの」だと思うでしょう、私もそう思います。だけど出会った頃はもっと優しかったし手紙や贈り物もマメだったし。出会った頃は!
ていうか盗み聞きしていたんでしょうか。趣味悪い!
「確かに失言だった。でもなんというか不可抗力だよ」
「不可抗――」
「しっ」
不可抗力な失言ってなんなのかと、そう問いたかったのですけど。彼は人差し指を口元にあてて私を制し、どこか一点を凝視しました。耳を澄ませば会場のほうから誰かがやって来る気配がします。
私とキェル様は現時点ではまだ婚約を結んでいる状態。かたや女性とちちくりあって、かたや男性と密会している状況を誰かに見咎められるのは、とってもマズイです。
「どうしよ……」
「こっち、来て」
彼の背中について行くと、客人なら通常使うことのない門をくぐり、気が付けば会場からそう離れていない城の裏口に到着していました。基本的には使用人が使う場所ですが、今は人気もなくするっと中に入れそう。
周囲の様子を窺ううちに、そうと気付いたときにはもう男性の姿はなく。私はそっと会場へと戻ったのでした。