第87話 『決死の特攻』
「はあっ!」
「うぐっ!」
チェルシーの繰り出した拳がプリシラの右頬を捉えた。
ガツンという衝撃でプリシラは後方にのけ反る。
鼻の奥にツンとした痛みが走り、プリシラは鼻血が流れ落ちてくるのを感じた。
先ほどからチェルシーは剣と鞘との二刀流を止め、剣でプリシラの剣を打ち払いながら、プリシラの隙を突いて拳や蹴りで攻撃を加えていた。
足や腹を蹴られ、顔や胸を拳で打たれてプリシラは傷付いていく。
「くっ……」
重い打撃を浴びたプリシラは、それでも倒れぬよう懸命に足を踏ん張った。
だがその動きは随分と鈍くなってしまっている。
痛みと疲労が蓄積され、徐々に足が動かなくなってきた。
(つ、強い……負ける)
チェルシーは容赦なくプリシラを打ちのめす。
先ほどの言葉通り、プリシラの足腰を立たなくして捕らえるつもりだ。
攻撃を続けるチェルシーの表情は冷徹なままだが、荒々しいその攻撃には彼女の怒りの念が込められていた。
プリシラは倒れそうになるのを意地で堪える。
その時だった。
「プリシラァ!」
銃声が断続的に響き渡る谷間に、ジャスティーナの大声が反響した。
プリシラは反射的に後方を振り返る。
すると……岩橋の中程で敵の射撃に耐え続けていたジャスティーナが射撃の主であるオニユリに向かって走り出した。
そしてそれに倣うようにして、地面に身を伏せていたジュードとエミルも立ち上がると駆け出す。
その決死の行動を見たプリシラは、ほとんど反射的に踵を返し、チェルシーを振り切るように自らも駆け出すのだった。
☆☆☆
「行くぞ!」
ジャスティーナは気合いの声と共に駆け出した。
体中傷だらけで痛むはずだったが、決死の覚悟を決めた彼女は怯まない。
そこでジャスティーナは誰もが予想し得ない行動に出た。
短弓を惜しげもなく谷底へ放り捨て、空いた右手で左腕に括り付けた円盾をむしり取る。
そしてそれを……オニユリに向かって投げつけたのだ。
「なっ……」
次の弾丸を弾倉に装填していたオニユリは驚愕に目を見開いた。
まさか命綱である盾を放り投げてくるとは思わなかったこと。
そして……ダニアの女の腕力で投げつけられた円盾が想像以上に速く宙を飛んでくることにオニユリは唖然として、ほんの一瞬だけ反応が遅れたのだ。
そこで発砲音が再び鳴り響く。
オニユリの後方に控える白髪の男が先ほどの矢を撃ち落とした時と同様に2丁の拳銃を発砲して円盾を撃ち落とそうとしたのだ。
だが、ここで男にとっても予想外の出来事が起きる。
高速で飛ぶ矢を正確に撃ち落としてきた腕を持つ男の放った弾丸は、矢よりもずっと大きい円盾を外れたのだ。
「なにっ……」
円盾は表面が大きく損傷し、端部なども欠けていたため、その質量の均衡が崩れて揺れるように不規則な飛び方をしていた。
そのせいで男の放った弾丸は当たらなかったのだ。
そして円盾はそのまま高速で宙を舞って……オニユリの右肩に直撃した。
「きゃっ!」
オニユリはたまらず悲鳴を上げて後方に倒れ込む。
それを見たジャスティーナは獣のような唸り声を上げて、腰帯から短剣を引き抜くとオニユリに一直線に向かっていった。
「うおおおおお!」
敵を確実に仕留める唯一無二の好機だった。
オニユリの背後にいる白髪の男が、ジャスティーナを仕留めようと発砲する。
ジャスティーナは両腕を前にして構わずに特攻した。
自分が避ければすぐ後ろを続いて走るジュードやエミルに当たってしまう。
ジャスティーナは肩や足を弾丸で抉られながらも、それでも足を止めなかった。
だが……。
「うぅっ!」
すぐ後ろでジュードのくぐもったような悲鳴と、転倒する音が聞こえてきた。
ジャスティーナは思わず地面に滑り込むように身を伏せて後方を振り返る。
するとジュードが銃撃を受けたようで、左肩から血を流しながら地面に倒れ込んでいた。
白髪の男がジュードを足止めするために撃ったのだとジャスティーナは気付いて舌打ちをする。
そして……。
「うわっ!」
ジュードがいきなり倒れたことに驚いてバランスを崩し、エミルも足を滑らせて転倒した。
その小さな体が岩橋の端へと勢いよく転がっていく。
「エミルゥゥゥゥ!」
一番後ろを走っているプリシラがそれを見て悲痛な叫び声を上げた。
ジャスティーナは反射的に後方へと駆け出した。
その背中に白髪の男が容赦なく銃撃を浴びせる。
ジャスティーナの右肩甲骨の辺りから血が噴き出した。
それでもジャスティーナは止まらない。
彼女の目の前で転がったエミルの体が岩橋の端から宙へと投げ出される。
「うおおおおおっ!」
ジャスティーナは声を張り上げて、岩橋から身を投げ出すような勢いで腕を伸ばし、谷底へと落ちていこうとするエミルの腕を掴むのだった。
☆☆☆☆☆☆
すぐ目の前を走るジュードが突如として転倒した。
その左肩から血が噴き出している。
エミルは驚いて立ち止まろうとしたが、足が地面を滑り、自身も転倒してしまう。
「うわっ!」
全力で走っていたところを転倒したため、エミルの体は派手に転がり、勢い余って岩橋の上から宙へと投げ出されてしまう。
突然の浮遊感。
エミルは自分が谷底へと落ちるのだと感じ、気が遠くなりかけた……だが。
「うおおおおおおっ!」
その声と共に誰かが自分の手首をガシッと掴んだのだ。
驚いて顔を上げると、そこには岩橋の縁から身を乗り出して、エミルの手首を掴んでその落下を食い止めたジャスティーナの姿があった。




