第80話 『銃』
状況は切迫していた。
谷間にかかる天然の岩橋の前でプリシラたちはチェルシーに追いつかれた。
さらには先に逃がそうとしたエミルとジュードが岩橋を渡ろうとしたところ、向こう岸から白髪の男女が現れたのだ。
そして白髪の男女の後方にはさらに3名の白髪の男らが駆け寄ってきていた。
全員、その手に長柄の狙撃銃を持っている。
挟み撃ち。
この状況に追い込まれたことにジャスティーナは苛立った。
(くそっ! 最悪だ。先回りできる抜け道があったのか。ここは何度か通ったことがあったのに、知らなかったなんてマヌケな話だね)
ジャスティーナは短弓に矢を番えたままチェルシーを睨みつける。
そんな彼女の隣でプリシラは戦意をみなぎらせた顔で腰を深く落とした。
「ジャスティーナ! エミルたちをお願い!」
プリシラはそう叫ぶとすぐさま剣を構える。
ジャスティーナは躊躇することなく後方へと走った。
プリシラ1人でチェルシーを相手にすることになってしまうが、エミルたちを敵から守るのは自分しかいない。
ジャスティーナは岩橋を走り出すと、すぐにジュードとエミルのいる橋の中程へと至った。
「身を低くしな。連中、銃を使ってくるぞ」
もし敵が弓矢を使う相手ならば、状況はこれほどまでに悪くはならなかっただろう。
だが銃は別物だ。
銃を持っている人間と持っていない人間とでは大きな戦力差が出る。
鍛え上げた人の肉体や技を、あっという間に凌駕してしまうのが銃という無慈悲な武器なのだ。
(まさかあれをあんな風に進化させて量産化しちまうとはね。恐ろしいよ。ココノエの技術は)
王国軍が銃と呼ばれる奇妙な武器を使うらしい。
その噂を初めて聞いたのはほんの半年ほど前だ。
その武器は鉛玉を高速で飛ばし、人を一瞬で殺せるらしい。
そんな噂話が駆け巡る割に、誰もその武器の具体的な内容を知らず、想像すら出来ない。
だが、ジャスティーナは随分前から銃の存在を知っていた。
彼女の知る人物が同じ原理の武器を開発していたからだ。
古い記憶だがハッキリと覚えているその男の顔を思い浮かべながら、ジャスティーナは苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
「ジュード。エミルと一緒にそこに這いつくばってな。絶対に頭を上げるなよ」
そう言うとジャスティーナはかつて聞いた銃への対処法を思い返す。
同時に思い出されるのは半年ほど前にジュードに話した事柄だった。
銃という武器がある。
あの日の話はそんな噂話から始まった。
☆☆☆☆☆☆
「王国のジャイルズ王が白い髪の一族を王国軍に招き入れたそうだ」
秋も深まったある日、公国の首都ラフーガで聞いた噂話をジュードはジャスティーナに話して聞かせた。
ラフーガの街外れにある安い酒場の一角でのことだ。
酒を飲まないジャスティーナはいつものように果汁で味をつけた水を飲んでいた。
白い髪の一族。
その言葉にジャスティーナはわずかに目を細める。
そんな彼女の前でジュードは渇いた喉を麦酒で潤しながら話を続けた。
「それ以来、王国軍の中で奇妙な武器が出回っているそうだ。銃とかいう物らしいんだが……何でも鉛の弾を高速で飛ばす武器らしい。石弓でも改造した物だろうか?」
ジュードの話にジャスティーナは深くため息をついた。
そんな彼女の様子にジュードは怪訝な表情を見せる。
「どうした? 何かお気に召さなかったか?」
「いいや。随分と不明瞭な噂だと思ってね。それじゃあ一体どんな武器なんだかまったく伝わってこないよ」
「そうなんだよなぁ。誰に聞いても奇妙な武器だとしか分からないみたいでさ」
そう不思議そうに言うジュードを横目に、ジャスティーナは皿の上の干し肉をつまんで口に放り込む。
塩気のきつい、それを味わい、果汁水を一口飲んでジャスティーナはかつての記憶を呼び起こしながら口を開いた。
「昔……砂漠島にいた頃、ゴドウィンという男がいた。本人がそう名乗っていたが、おそらく偽名だったと思う。本当の名前は分からん。そいつはまだ20代の若さだったが、頭髪が真っ白だった。そういう種族の民らしかった」
「それって……王国に召し抱えられた西方の民と同じじゃないか」
「おそらくね……だがゴドウィンは一族を追放された罪人だったのさ。それで砂漠島に漂着したんだろう」
そう言うジャスティーナの目には珍しく昔を懐かしむような色が滲んでいる。
それを見てジュードは意外そうに笑った。
「へぇ。君が昔のことを話してくれるなんて珍しいじゃないか。そのゴドウィンはどんな男だったんだ?」
「妙な男だった。手先がやけに器用で、いつも何かを作ったり直したりしていたよ。私も自分の武器の修理を頼んだりしてね。よく話すようになったんだ。で、ある時に私は気付いた。ゴドウィンが妙な武器を秘密裏に作っていることに」
「それが……銃?」
「ああ。それは片手で持てる程度の鉄ごしらえの武器で、火薬という粉末に着火してその発破作用で鉛玉を撃ち出すんだ」
「……ちょっと想像が出来ないな」
困惑するジュードにジャスティーナは肩をすくめる。
「まあ実際にこの目で見ていなけりゃ、私もあんたと同じ意見だろうよ。銃のことを指摘するとゴドウィンは隠すこともなくそれを私の目の前で試し撃ちして見せた。20メートル先にある的に一瞬で弾を命中させたんだ」
「なるほどなぁ。だけど矢とは何が違うんだ?」
「速度も威力も桁違いさ。弾が飛ぶ速度が速過ぎて、目ではとても見えない。そして弾の当たった的は鉄の胸当てだったんだが、貫通して丸い穴が空いていた。鎧を着た相手を殺せる威力だ」
その話にジュードは目を丸くする。
「とんでもないシロモノじゃないか。そんなのを軍隊が持つようになったら、戦争のあり方が大きく変わるな」
「ああ。王国がどの程度の銃をどれくらい用意しているかは不明だが、その噂が本当ならこの先の大陸は王国を中心にして不穏なことになるぞ」
「しかし……そんな武器が開発されて砂漠島は大変なことにならなかったのか?」
砂漠島にはかつて黒き魔女アメーリアという絶対的な首領が恐怖政治を敷いてダニアの女たちを従えていたという話はジュードも知っている。
そんな彼の問いにジャスティーナは静かに首を横に振った。
その目には今度はどこか寂しげな色が滲んでいる。
「……銃は普及しなかった。ゴドウィンが死んだからな」
「……何があったんだ?」
「何やらあやしげなものを開発している男がいると噂になってね。反逆の疑いをかけられたんだ。黒き魔女の部下にイーディスという女がいた。魔女の命令で意にそぐわぬ者を葬る凄腕の暗殺者だった。その女に……ゴドウィンは殺されたんだ」
その話にジュードは麦酒の杯から手を離して深く息をついた。
ジャスティーナの口ぶりと表情から、彼女とゴドウィンは何か浅からぬ仲だったのだと悟ったのだ。
「そうか……それは辛い思いをしたんだな。ジャスティーナ」
ジュードの気遣う言葉にも、ジャスティーナはフンッと強気に鼻を鳴らした。
「昔の話さ」
「それにしても……銃は黒き魔女に押収されなかったのか?」
「ああ。あんな物が黒き魔女の手に渡ったら大変なことになる。だから……銃の存在を知られて見つかる前に、私が海に捨てたんだ。すぐに鉄錆に変わるようにな」
そしてゴドウィン亡き後、彼女は黒き魔女への反抗を見せる部族に肩入れをして、反逆罪で捕らえられ、監獄島へ投獄されたのだった。
☆☆☆☆☆☆
懐かしい男の姿を思い浮かべながら、彼に教えてもらった銃を持つ相手と戦う際の対処法を頭の中で繰り返す。
ジャスティーナは左腕に括りつけた円盾を体の前に構え、半身の体勢で右手に短弓を持った。
腰帯に下げた矢筒に入った矢は残り17本。
(ゴドウィン……私がどこまでやれるか。あの世から見てな。あんたら一族の生み出した銃が勝つか、しぶとい私の運が勝つか)
ジャスティーナは神経を研ぎ澄ませて短弓に矢を番えるのだった。