第64話 『その身に宿りしもの』
セグ村の村長の家の地下室には食料庫がある。
粉っぽい匂いの漂うその場所に今、エミルとジュードは2人で隠れていた。
村長はすでに初老に差し掛かる年齢だが、元軍人であり、足腰もしっかりしているため、自警団長である息子の護衛を受けて外で村人らと共に戦っている。
戦えない2人だけがこの場所に身を潜めていた。
山賊たちは食糧などの略奪が目的であるため、食料庫であるこの場所には火をかけることはないだろうという村長の判断だ。
「ここは安全だ。この村の連中は強いから大丈夫。ジャスティーナにプリシラもいるしな」
食料庫の隅に座り込んだエミルの隣に腰を下ろし、ジュードは彼を元気付けるようにそう言った。
黒髪術者である2人は、戦いに巻き込まれたこの村の中に渦巻く怒りや恐怖といった負の感情を嫌というほど感じ取っていた。
大人のジュードはそれでも耐えられるが、まだ10歳のエミルには辛いことだろう。
そして何より彼が一番強く感じ取っていたのは姉の心だ。
「姉様……大丈夫かな」
エミルの心にヒシヒシと伝わってくるのは、プリシラが今感じている戸惑いや怯えだった。
そんな姉の様子を感じ取るのは初めてのことだ。
エミルにとってプリシラは常に強く、正しく、堂々とした姉だった。
姉とは対照的に気弱なエミルには、常日頃から姉のそんな気質が息苦しく感じられることも多々ある。
それでも姉がこんなふうに弱気になっているのを感じるのは、エミルにとって気持ちのいいものではなかった。
同じ黒髪術者であるジュードももちろんプリシラの心持ちは感じ取っている。
まるで大海原に揺れる一艘の小船のように、プリシラの心は不安げに翻弄され揺れ動いていた。
その理由もジュードには分かっている。
彼女は戦士として剣を持ち、戦場に立っている。
それは即ち、敵に殺されることも敵を殺すこともあるということだ。
「きっと大丈夫。彼女には戦士の血が流れているから」
「戦士の血?」
不思議そうにエミルはそう聞き返す。
「ジャスティーナがそうなんだけど、彼女たちは戦場に立てば自然と戦士としての振る舞いが出来るんだ。俺やエミルには想像も出来ないことだが、剣を取り敵と戦うことはダニアの女性にとって本能なんだよ。プリシラは今は戸惑っているけれど、きっと経験を積めば勇気を持って戦場に立てるようになる」
平和な時代に生まれたエミルには、戦場に立つということがどういうことなのか分かっていない。
母であるブリジットの強さは、娘や部下への訓練や武術大会などで見て知っているが、実際に母が実戦の場に立つところは見たことがなかった。
ましてや姉が剣を振るって敵を葬るということは、エミルには想像し難い。
そんなエミルの心情を察してジュードは言った。
「エミルだって成長するさ。子供の頃はてんで弱かった俺だって、今じゃそれなりに大人の男になっているだろ? きっとエミルも強くなる。守られてばかりじゃなく、誰かを守れるようになるさ」
「守れるように……」
エミルはふと父の顔を思い浮かべる。
優しい父は武術の面はからっきし駄目だった。
だが誰からも敬われる無敵の女王である母が、父に対しては弱音を言ったり、父に慰めてもらったりしているのを幾度も見たことがある。
なぜ強い母が弱い父に?
そう思ったものだが、人の強さというものは相手よりも優れていることだけではない、ということをエミルは漠然と感じるようになっていた。
他者に優しく出来ることも強さのひとつなのだと。
「父様みたいに・・・・・なりたい」
そう言うとエミルは不安な今をやり過ごすために、父との思い出をジュードに色々と話して聞かせた。
ジュードはまるで優しい兄のように柔和な笑顔でそれを聞いてくれた。
そのおかげでエミルはゆっくりと心が落ち着いていくのを感じるのだった。
一方、ジュードはエミルの話を聞きながら感じていた。
彼の中にいる何か恐ろしいものの存在を。
思えばアリアドで初めてエミルの声を感じた時から、エミルの異様に強い力にジュードは何か違和感を覚えていたのだ。
彼の力の中に、無垢な子供とはおよそかけ離れた、深くて暗い澱みのようなものがあるのを。
それは幼いエミルにはまったく似つかわしくない禍々しさであり、まるでエミルの小さな体の中に別の誰かが巣食っているように感じられるのだ。
この2日間、エミルと行動を共にしてみて、それは時折感じられる感覚だった。
そしてジュードはエミルの中にいる誰かに自分が見られているような気がしている。
その視線はジュードを品定めするようにじっと向けられているのだ。
(一体……誰なんだ)
黒髪術者としてのエミルの力が子供にしては強過ぎるのは、その何者かのせいなのだとジュードは気付いていた。
だがジュードは自身の力でそれを探ろうとはしなかった。
知り合ったばかりの少年の心の中に勝手に踏み込むべきではないと思ったからだ。
しかし理由はそれだけではなかった。
ジュード自身が恐ろしかったのだ。
エミルの中に潜む者に目を向けることが。
見てはいけないような気がして。
ジュードは痛ましく思うのだった。
目の前で父との思い出を楽しげに語る幼い少年が、なぜそのような重く深い闇をその身に宿すことになってしまったのかと。




