第62話 『返り血に染まる体と心』
「た、助かったよ。嬢ちゃん」
命を救われた村人は再び、プリシラに対して感謝の言葉を述べた。
だがプリシラはそれも聞こえていないように立ち尽くしたまま、足元に転がる山賊の姿を見下ろしている。
村人を助けるために咄嗟にプリシラが斬り捨てたその男は、すでに息絶えて動かなくなっていた。
(アタシが……殺した。この手で……殺した)
ふいにプリシラの頭に浮かんでくるのは母の顔ではなく、父の顔だった。
あのやさしい父はどう思うだろうか。
自分の娘が人を殺めたことを。
それを考えると途端に恐ろしくなり、プリシラは体の震えが止まらなくなった。
だが、その間にも戦いは続いている。
離れた場所にいたためにプリシラの動きを見ていなかった山賊たちが彼女の姿に気付き、先ほどの山賊たちと同じようにギラついた目を見開いて向かって来る。
事前にジャスティーナが言っていた通り、山賊たちはまるで篝火に吸い寄せられる蛾のようにプリシラに群がって来た。
周囲にいる村人たちは武器を構え、口々に声を上げる。
「来るぞ!」
「迎え撃て!」
必死に戦う村人たちの姿を見て、プリシラは自分も戦わねばと剣を握る手に力を込める。
だが剣の切っ先を染める山賊の血の臭いがやけに鼻についた。
それもそのはずで、プリシラは自分の頬が濡れていることに気付く。
手で拭うと……赤い血が自分の頬を濡らしていた。
自分の血ではない。
この手で斬り殺した山賊の返り血だった。
昨日の傭兵との戦いでは血の臭いなどは気にならなかったというのに、今はその臭いに吐きそうになる。
プリシラは努めて無心になろうと手でグイッと頬の血を拭い、剣先に付着した血を振り払った。
(考えるな……考えるな)
昨夜聞いたジャスティーナの話が脳裏に甦る。
殺すことへの恐怖に飲み込まれた者は戦場で動けなくなって命を落とし、恐怖から逃れようとそれを狂気の快楽に変えた者は我を失い無謀な動きをして死んでいった。
ひたすら無心で戦うことに集中し続けたジャスティーナだけが生き残ったのだ。
自分もそうあらねば。
(ジャスティーナみたいに村人のために戦うんだ)
そう思いプリシラは周囲に目をやる。
必死に戦う村人にも個人の力の差があり、山賊に押し込まれて危機に陥っている者もいる。
プリシラはそういう者に加勢すべく駆けつけた。
「はあっ!」
鋭く剣を振るう。
首を狙ったつもりだった。
だが剣先はわずかに右に逸れて、山賊の左の肩を斬り裂いた。
「ぎゃあっ!」
山賊は激痛に怯んでしゃがみ込む。
それを見た村人が必死の形相で剣を突き出し、敵の首を刺して殺した。
プリシラから見て拙い剣さばきだったが、それでも村人の剣は確実に山賊の命を奪っている。
「た、助かった。恩に着るぜ」
村人の礼にもプリシラは黙って首を横に振る。
それから彼女はひたすらに村人の加勢をしたり、村長の家に近付く山賊を排除したりととにかく剣を振るった。
しかしやはり相手を自身の刃で殺すことが出来ない。
それでもプリシラの攻撃で倒れて弱っている山賊に、村人たちが次々とトドメを刺していく。
プリシラは唇を噛みしめつつ、今はこれでいいと思った。
何も出来ずに立ち尽くしているよりはずっといい。
それでも剣がこんなに重いと感じるのは初めてのことだった。
(殺すことは……重くて恐ろしい)
プリシラは初めてそのことを腹の底から感じていた。
彼女の思いとは裏腹に、戦局はどんどん村人たちの優位に傾いていく。
そして戦ううちに山賊がプリシラに向かってくることはなくなった。
自分たちでは手に負えない相手だと気付いたのだ。
手を止めて息をつきながらプリシラは周囲の様子を見回す。
すると村の入口の方から激しく争う物音が近付いてくるのが分かった。
プリシラは思わず目を見開いた。
前方にジャスティーナが戦う姿が見えてくる。
村の入口付近で敵を待ち受けていたはずの彼女は自分よりも大きな男と戦い続けているが、相手の勢いに押されてジリジリとこの村の奥まで後退し続けていた。
「オラオラァ! そんなもんか! 女!」
ズレイタは大斧を軽々と振り回しながらジャスティーナを追い込んでいた。
ジャスティーナはこれを巧みにかわし、力強く受け止める。
自分よりも巨漢の相手に対しても見事な応戦を見せていた。
だが、攻撃の手数はズレイタのほうが遥かに多く、ジャスティーナは防戦一方のまま徐々に押し込まれていた。
その戦いを見つめながらプリシラは息を飲む。
周囲の山賊たちも声を上げて囃したてるものの、一切手出しはしない。
頭目であるズレイタの戦いを邪魔しないように心得ているのだろう。
何より激しい2人の戦いに割って入れる者などいなかった。
巻き込まれれば、あっという間にズレイタの大斧で体を真っ二つにされかねない。
(ジャスティーナが追い込まれている……あの大男、強い。腕力だけじゃなく体力もある)
攻撃を続けるズレイタの手は一切緩まない。
あれだけの大斧を振り回しているというのに、まだ息を乱していないのだ。
ただ体が大きい腕力自慢というわけではなさそうだ。
プリシラは剣を握る手に思わず力がこもる。
(アタシが加勢すれば……)
見たところ自分だったらあのズレイタの斬撃を避けて斬りつけることは造作もない。
そうすればズレイタも怯んで動きを止めるだろうし、その隙にジャスティーナは確実にズレイタの急所にトドメを刺せるだろう。
そう思いプリシラが一歩踏み出そうとしたまさにその時だった。
「そらっ!」
「ぐっ!」
とうとうズレイタの重い一撃に押され、ジャスティーナはそれを受け止め切れずに自分の斧を弾き飛ばされてしまった。
ズレイタが素早く大斧を頭上に振り上げ、ジャスティーナの脳天を目がけて振り下ろす。
プリシラは無意識のうちに飛び出していた。




