第46話 『痛み分け』
「さっさと起きなさい! この足手まとい!」
その怒鳴り声にようやく黒髪の女はヨロヨロと身を起こした。
オニユリは弓に番えたままの矢を外すと、瞬時に腰帯から短剣を抜く。
そしてそれで黒髪の女の手足を縛る縄をスパッと切断した。
「ああもう! 殺したくなってくるわ! 手間かけさせないでよ。さっさと馬に乗りなさい!」
そして黒髪の女が必死に馬の鞍に上るのを横目に、再び弓に矢を番えて鏃を赤毛の女たちに向けた。
赤毛の女は静かに身を起こし、黒髪の男を守るように立ち上がる。
オニユリと赤毛の女が睨み合う中、黒髪の男が声を上げた。
「待て。このまま君がその女を連れてこの場を離れてくれるなら、俺たちはこれ以上の抵抗はしない。ここらで幕引きにしないか? これ以上は互いに良い結果にはならない」
そう言う黒髪の男の手にはオニユリが先ほど落とした拳銃が握られている。
「その拳銃と鉛弾を返してよ。あなたが持っていても使い方が分からないでしょ?」
「確かに俺たちでは手に余るシロモノだ。でもこいつを渡してしまうのは、台所の包丁を強盗に渡すようなものだから、はいそうですか、というわけにはいかないな」
そう言う黒髪の男の隣では赤毛の女が油断なく短剣を握りしめている。
さらには聖堂の中からは先ほどの金髪の少女が飛び出してきた。
オニユリは銃弾の枯渇したこの状況では分が悪いことは認めるが、どうしてもこの場で譲れないことがあった。
「なら鉛弾はいらないわ。その弾切れの拳銃だけ返してくれれば、ここから去ってあげる。心配しないで。弾を隠し持ったりしていないから。持っていたらこのもう1丁の銃でとっくにあなたたちを撃ち殺しているし。もし拳銃を返してもらえないなら私も引き下がるわけにはいかないわ。徹底的に命の取り合いをすることになるわね」
オニユリの拳銃は特別製だ。
失って公国の手に渡ることは避けたい。
オニユリの言葉に黒髮の男は隣の赤毛の女と顔を見合わせて頷き合った。
そして黒髪の男は拳銃を慎重にオニユリに放る。
オニユリはそれを受け取ると腰帯に差し込んだ。
「これを簡単に渡すってことは、あなたたちは公国軍の人間じゃないのね。そこの黒髪のあなた。王国軍の黒帯隊に入りたかったからこのオニユリを訪ねていらっしゃい。しばらくこの街にいる予定だから」
そう言うとオニユリは油断なく馬に飛び乗り、黒髪の女と共に立ち去っていく。
だが進もうとした矢先に、オニユリは急に馬を止めた。
突然のことに馬が嘶きを上げ、同乗している黒髪の女が短く悲鳴を上げる。
だがオニユリはその一切を気にしていなかった。
「……えっ」
彼女の目はある1点に釘付けになっていたからだ。
その視線の先、聖堂の庭木の茂みに1人の少年が隠れているのをオニユリは発見した。
少年はオニユリに見つかると顔を引きつらせ、茂みから飛び出してきて金髪の少女の元へと駆けて行く。
オニユリはその姿から目が離せなかった。
黒髪の美しい子供。
年はまだ10歳くらいだろうか。
オニユリは顔を上気させ、小さな声で呟きを漏らす。
「あらあらあら。まあまあまあ。何てこと。何てかわいらしい坊やなの」
そう言うオニユリの目が爛々と輝き、その表情は恍惚に満ちてうっとりとしている。
黒髪術者の女は内心で辟易とした。
オニユリの悪癖が顔を出したのだ。
「オ、オニユリ様。早く戻りましょう。作戦中に現場を離れたままでは、シジマ様のお怒りを買います」
そう耳打ちする黒髪の女に、オニユリは名残惜しそうに黒髪の子供に目を向ける。
黒髪の子供は金髪の少女に守られるようにその背中の後ろに隠れていた。
オニユリは子供に満面の笑みを向けると、再び馬を走らせてその場から離れていくのだった。
「うふふ。うふふふ。また会いましょうね。愛らしい坊や」
☆☆☆☆☆☆
聖堂から馬を走らせること1分。
いくつかの角を曲がったところでオニユリは馬を止めた。
そして鋭く口笛を吹く。
すると近くの建物の屋根から1人の人影が音もなく舞い降りてきた。
それは真っ黒い衣に軽装の革鎧のみを身に着けた若い男だった。
その男の髪はオニユリと同じく真っ白だ。
若者はオニユリの前に跪くと深々と頭を下げた。
「お呼びでしょうか。姉上様」
姉上様。
男はそう言ったが、オニユリには弟はいない。
「ヒバリ。見ていたんでしょう? 一部始終を」
「はい。あの黒髪の子供ですね」
「ええ。おまえは理解が早くて助かるわ。あの愛らしい坊やのことを調べなさい。慎重にね。定期的な報告も欠かさずに」
「仰せのままに」
そう言うヒバリにオニユリは足を差し出した。
ヒバリはその靴の爪先に口づけをすると、恭しく頭を下げてその場から去って行く。
その姿を見送りながら黒髪の女は困惑の表情を浮かべた。
「オニユリ様……任務中ですよ」
「別にいいでしょ。ヒバリは私の私兵なんだから。このことを兄様たちに告げ口したら承知しないわよ」
そう言って冷たい視線を向けてくるオニユリに、黒髪の女は息を飲んで頭を下げるのだった。




