【六皿目】親子丼
はぁ。流星は店のカウンター席でため息をついた。
「お前、この前言ってたよな。
満月が化け物になって人を襲ったら、自分が満月を斬るって」
つい二日程前の話だ。
徐に流星が立ち上がり、部屋にある本棚に向かった。
数冊の本のような物を取り出して、明日馬に差し出した。
良く見るとそれは本ではなくノートだった。
(なんだ、このノート?)
タイトルには【満月の料理】と書かれている。
ペラりとページをめくる。
そこには、一日三食分のレシピがこと細かに記されていた。
「なんですか、このノート?」
「見りゃ分かるだろ。
レシピ本だよ」
確かにノート一面にはぎっしりとレシピが書かれている。
だが、ただのレシピ本にしては、何日も同じメニューが続いている。
とても奇妙だったが、ページをめくり続けていると、明日馬はある一つのことに気がついた。
そう、全く同じではなく、同じメニューでありながらも調味料が少しずつ違っているのだ。
「これって…」
「俺もさ、ずっと考えてたんだよ。
どうやったら満月を成仏させられるのかって。
でもさ、全然見つからねぇんだ」
「もしかして、ずっと試してたんですか?
同じメニューでも、調味料を変えたりして、満月さんが好きな食べ物が分かるまで…」
「それしか方法がなかったらからなぁ。
見えないんだったら、見せればいいんだ!って思ってな。
でも未だに成仏させられてねぇけどさ。
もう一年近くも続けてんのにだぜ?笑っちまうよなぁ」
ははは、と自嘲のような乾いた笑い声を上げた。
ノートは12月18日から始まって、9月18日までで止まっているから、おおよそ九ヶ月も続けている計算になる。
それも毎日同じメニューを、調味料や調理法などを一つずつ変える、を繰り返しておりとても根気のいる作業なのは間違いない。
自嘲する流星とは裏腹に、笑い事ではないと、明日馬は思った。
こんなこと到底自分にはできないと。
そして、ちょっぴりではあるが、流星に対する嫌悪感が少し晴れた気がした。
「これ、暫く借りていいですか?」
「別にいいけど、どうするだ?
そんなもの」
「自分なりに研究してようと思うんです。
第三者から見たらまた違ったアイデアが浮かぶかも知れないし…」
なるほど、と流星は感心した。
「そう言うことならいいけど、でもなんで、そこまでしてくれるんだ?
そこまでの義理はないだろ?」
言われてみれば確かに自分にはそこまでの義理がある訳ではない。
今日血だらけの自分を店まで運んでくれたのも、その傷を治してくれたのも、本当にたまたまだったし。
でも、なんとなく満月のことを放っておけなかった。
色々と理由を考えてみたが、
「今日、助けて貰ったお礼です」
と言うところに落ち着いた。
その時だった、ぐぅっと大きな腹の音が鳴った。
明日馬は顔を真っ赤にして腹を抱える。
「いや、別にこれは…っ!」
二人がケラケラと笑い声を上げる。
「腹が鳴るってことは元気になった証拠だ、別に悪いことじゃねぇよ。
何か作ってやるよ、何がいい?」
「チキンラーメン」
間髪入れずに答えた。しかも真顔で。
「うち、料理屋なんだけど?」
先程までとは違い今度は明らかに、怒っていた。
当たり前である。
料理屋でインスタントを出せなど、もはや冒涜行為である。
だが決して明日馬は冗談などではなかった。
だって、人が作った物なんて殆ど知らないのだから…。
◇◆◇
流星はトントンと、軽快な足音を立てて降りて行くと、台所に向かい料理の準備を始めた。
まずは玉ねぎを薄くみじん切りにし、鶏肉は一口大に
切る。
専用の鍋に鰹出汁、みりんを入れて、沸騰させたところで、玉ねぎと鶏肉を入れる。
鶏肉が煮えたら、溶いた卵を回しいれる。
卵が固まり切る手前で火を止め、丼にあつあつのご飯をよそう。
その上に先程の卵とじをかけると、親子丼ができあがった。
流星はそれとお冷やを盆に乗せて、明日馬が寝ている二階に持って行く。
部屋に入ると、盆を明日馬に差し出した。
「元気になったって言っても、まだ病人だからな。
いきなり重いもん食わせる訳にもいかねぇだろ。」
明日馬は部屋一杯に充満する鰹出汁の香り
と、丼でなんの料理かある程度予想がついた。
蓋を開けると、そこには予想通りの料理があった。
よりによって親子丼とは…。
両親との仲がお世辞にもいいとは言えない明日馬には、なんだか皮肉に感じた。
「やっぱり、生きてる人間の好きな食べ物は分からないんですね」
「なんだ?嫌いか?親子丼」
「そういう訳じゃないけど…」
むしろ他に何が食べたいかなんて聞かれても、チキンラーメン以外に思い付かなかったし、腹が減っているのでこの際なんでも良かった。
ふうふうと、冷ましてから口に運ぶ。
ほんのりと昆布出汁が聞いた優しい味が広がった。
「美味い…」
正直な感想である。
「先輩って、本当にちゃんとした料理人だったんですね」
「ちゃんとってどう言う意味だ」
鶏肉が柔らかくて食べやすい。
つゆも多めで自分好みだ。
鶏肉と卵が喧嘩していないとは、まさにこのことである。
(うちも、親子丼みたいだったら良かったのに…)
明日馬はまた、昔のことを思い出していた。




