【五皿目】料理人と霊媒師《エクソシスト》
それは遥か10年前の記憶…。
古ぼけたアパートの二階に明日馬あすまは住んでいた。
両親は共働きで家には殆どおらず、朝と夜はいつも一人で食事をしていた。
食事の内容と言えばコンビニやスーパーで買って来た粗末な物ばかりで、お袋の味なんて知る由もない。
勿論自炊をするなんて選択肢すら、3歳の子供が持ち合わせる筈もない。
昭和の頃ならば、近所のおばさんが残り物を届けてくれたりなんて言うこともあったかも知れないが、人との関わりが希薄で、ちょっと関わろうもんなら、やれお裾分けやお返しが面倒だの、ちょっと優しくしただけで偽善者気取りだなんだのと言われるこの平成の時代に、そんなものある訳もない。
ただ毎日冷蔵庫に、「今日はこれ食べてね」とだけ書かれたメモを残した味気ない弁当を食べるのが当たり前だった。
(好き好んでこんな物食、べ続けて来た訳じゃねぇんだよ)
明日馬あすまは心の中で毒吐どくづいた。
◇◆◇
「オオォオオ!!」
夕暮れの中に、獣の咆哮のような声が響く。
それは見るからに、この世の物ではない化け物だ。
そう、自分が斬らねばならない存在だ。
ゴッ!
巨大で歪な形をした手が、自分を目掛けて飛んで来る。
刀を握り直し、斬りかかろうとした時、ふと明日馬あすまの中に一つの疑問がよぎった。
(こいつらも、あの人なら料理で成仏させられるんだろうか?)
◇◆◇
そもそも、料理人と霊媒師エクソシストの違いはなんなのだろうか?
簡単に説明すると、
【料理人】とは、幽霊を食べ物で成仏させる人
【霊媒師エクソシスト】とは、幽霊を刀で成仏させる人である。
一見どちらも霊を成仏させるのが目的と言うことは、何も変わらない。
しかし、そこには明白な違いがあった。
そう、【痛みが伴うか、伴わないか】だ。
それは到底善悪などで図れる物ではなかった。
だが、明日馬あすまは料理人の存在を知ってから、漠然とした疑問を抱くようになった。
明日馬あすまもまた、流星りゅうせい達と同じように、天道天使てんどうあまつかとの出会いによって、霊媒師エクソシストになった。
ただ幽霊が見えて、ただ天道てんどうと出会ったと言うそれだけの理由で。
その時の明日馬あすまは、それ以上のことを考える余地などなかったのだ。
◇◆◇
月明かりのない暗闇の中、明日馬あすまは化け物と戦っていた。
ザシュ!
化け物の気配に気付くのが遅れて、背中を切り裂かれる。
「…っ!」
油断した。
首から肩にかけて鮮血が飛び散り、うずくまる。
(こんな奴、いつもならすぐに成仏させてるのに…っ!)
余計なことを考えてるせいだ。
眉間の皺が二つ程増えた。
ヘラヘラしたうざったい笑顔と、金髪がちらつく。
鬱陶しい。
やり方はどうであれ、成仏させることは変わらない。
痛みを伴うか伴わないか、ただそれだけの違いでしかないのに。
何を迷う必要があるのだろう。
今までだってどんなに傷を負ったところで、自分一人で片付けて来た。
そう、子供の頃から一人だった。
家でテレビを見る時も、風呂に入る時も、寝る時も、食べる時でさえも。
今更誰かに手助けなんて望むつもりなんてない。
視界がぼやける。
意識が遠退く。
息遣いも荒い。
だが逃げることは許されない。
化け物になった霊…いや、それに限らず霊を刀で成仏させる。
それが自分の役目であり、そこになんの疑いもなく、今まで戦って来た。
重い足を持ち上げて立ち上がるり、ただ化け物を斬ることだけに集中する。
何も考えるな、と言い聞かせながら。
化け物がこちらに向かって来る。
刹那。
刀が綺麗に弧を描き、化け物が叫び声を上げる。
それと同時に閃光が辺りを包み込んだかと思えば、老婆の姿が現れた。
「ありがとうー…」
と、安らかな声は天に昇って行った。
成仏したのだ。
それを最後まで見守ると、急に視界が反転した。
いつの間にか視界には、夕焼けが広がっている。
ギャアギャアとカラスが鳴き喚いている。
「ー疲れた…」
明日馬あすまはそのまま意識を手放した。
◇◆◇
明日馬あすまが目を覚ましたのはそれから二時間くらい経ってからだろうか。
うっすらと目を開けると、天井が見える。
(どこだ?ここ)
先程までは確かに外で敵と戦っていたのに、景色が変わっている。
辛うじて室内だと言うことくらいは分かった。
起き上がろうとしたその時、ズキッ!
体中に強い痛みが走った。
「ダメよ、起きちゃ!酷い怪我してるんだから!」
どこかで聞いた声が降って来た。
「月見里やまなしさん…なんで…」
言いかけて気づいた。
身体中の痛みが消えている。
いつの間にか治療が施されているのだ。
「流星りゅうせいが連れて帰って来たのよ。
血相変えて、すぐ手当てしてくれ!って」
「そう、なんだ…」
明日馬あすまはバツが悪そうな顔をした。
まさか、自分が嫌いな奴に助けられるとは…。
「でもなんで分かったんだ?
俺があそこにいるって」
「別に、お前を探しに行ったんじゃねぇよ。」
「先輩…!」
「霊に飯持ってってやったら、たまたまお前があそこで血だらけで倒れてたんだよ」
流星りゅうせいが言った。
その声はいつものような軽い物ではなかった。
どことなく怒ってるような気がして、動揺する。
「やっぱりあんな化け物でも飯で成仏させられるのか?」
「当然だ。俺は幽霊の料理人。
相手の食いてぇ物さえ分かったら成仏させられる。」
「そっ…か…」
ズキン、何故か胸が傷んだ。
「それで?」
「え?」
「なんで、斬った?」
声に怒気を感じて、思わず怯んでしまう。
「なんでって…。それが俺の役目だから…」
それ以上に答えようがなかった。
それが当たり前なのだからー…。