【二十五皿目】流星の料理人
千影は鼻腔をくすぐるスパイシーな香りに、思わず懐かしさが込み上げて来た。
千影にとってカレーとは特別な物で、最初に美影に料理人になる為に教えて貰い、初めて父に褒められた料理でもある。
なのに、何故そんな思い入れの深く、尚且つ自分と家族しか知らない情報をこの男が知っているのか。
「なんで、知ってるの?お父さんが一番食べたい物がカレーだって。私にすら、分からなかったのに…」
「見えるんだ、あんたの父親が今一番食べたい物がカレーだって。まぁ、正解にはあんたが最初に作った物だったんだけど、あんまり抽象的すぎるから、カレーに辿り着くまでちょっと時間かかったんだけどな」
悪戯っぽく笑う流星に、千影は涙を拭って笑みを返す。
「ちなみに二人で一緒に食えよ。じゃないと成立しねぇから」
そう忠告しながら、化け物…もとい父親と、千影は手渡されたスプーンを取る。
「いただきます」
その合図と同時に、父親と千影はカレーを一口口に運んだ。
辛口でも中辛でもない、甘口の子供向けの優しい味が口の中に広がると、自然に強ばっていた表情が綻ぶ。
「美味しい…」
一口、また一口としっかり噛み締めながら、千影は昔自分が作った物と良く似た味のカレーを、味わった。
味わう度に昔の思い出が脳裏に浮かび、思わず涙が込み上げて来て、頬に熱い雫が伝う。
二人はただひたすら黙々とカレーを食べ続けて、すぐに皿は空になった。
「ご馳走様でした」
その言葉と同時に、父親から白く眩い光が当たりを包むと、光の中から千影の父親が現れて、千影は立ち上がった。
「お父さんっ!」
千影の声に反応した父親は、優しく千影を抱きしめると、千影もそれに応えるように抱き締め返す。
「ごめんな、千影…。寂しい思いをさせてしまって。これから苦労させてしまうかもしれないが、母さんと美影と家族で協力すればきっと、乗り越えられる…」
そう言うと父親は顔を上げて、流星を見て微笑んだ。
「カレー、すごく美味かった、ありがとう。千影が迷惑かけてすまなかった」
「いいよ、そんなん。俺は俺の仕事をしたまでだ」
「そうか…」
流星はふっと口元に弧を描くと、
「次生まれ変わったら、もっと美味いもんいっぱい食えよ」
「ああ…」
父親は満足そうに涙を流しながら、天へと昇って行った。
千影は腕から父親の温もりが消えたことを確認すると、力無くその場にしゃがみ込んだ。
「これでよかったんだろ?」
不意に流星の声が聞こえて、千影は涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げた。
「そう、これが私が望んだ料理人の力だよ」
千影は満足そうに答える。
「でもなんでカレーって分かったの?一番好きなものが分かるって言っても、料理名は見えてなかったんでしょ?」
「ああ、正確には、お前が最初に作った料理、しか見えなかったからな」
「だったらなんで…」
聞かれて顎を撫でながら、うーんとほんとのことを言うか言うまいか悩んだ後、悪戯な笑みを浮かべて、
「内緒」
と言った。
◇◆◇
「御影池千影を包囲しろ」
凛とした少年の声と同時に、千影はこの場にいる霊媒師全員に、四方から刀を突きつけられた。
声の主は、昼彦で、いつの間にか皆の後ろに立っていた。
その横には、屋敷で待機を命じられていた麻亜夜もいる。
「昼彦、お前、いつの間に…」
昼彦は、呆けながら自分を見る流星にまで、冷ややかな視線を向ける。
「あれ?もしかしてお怒りですか?次期当主様?」
敢えて尚もおちゃらける流星に、昼彦は溜息をつく。
「分かってると思うけど、君には絶対屋敷内から出るなと言ったはずだ。これは命令違反だよ」
「あ、やっぱり?」
全く反省の色が見受けられない流星の態度に、昼彦は眉間の皺を深める。
完全に包囲されてしまった千影は、両手をあげて降参の意を示しながら立ち上がる。
「そう、あなたが今の軍の当主なの。それで、私をどうするつもり?」
「正しくは次期当主候補だから、全ての決定権は天使にあるが、君が犯した犯した罪は、どう償っても償い切れないことはわかってるよね?」
それは、麻亜夜から見える目を奪ったことを指しているのだろうと察し、千影は小さく頷く。
「死刑でもなんでも好きにしたらいいよ。多分私にできることはそれくらいしか…」
「その必要はないよ」
先程まで店の中にいた天道が、千影の言葉を遮った。
その横には、空音とお好み焼きを持った龍海が立っている。
「あああああ!あんた、お好み焼き屋の!!」
千影に刀を向けていた明日馬が、指を刺して大声を上げた。
「あっはっは!君もええ反応するねぇ!久しぶりやね」
龍海はそういうと、皆の合間をかき分けて、麻亜夜の前に立ち、お好み焼きを差し出した。
「龍海さん…なんで…」
きょとんとした顔で見つめる麻亜夜に、龍海は何も言わず箸を差し出した。
麻亜夜は全てを理解したようで、瞼を落とした後、箸を受け取りお好み焼きを一口口に運び、しっかりと噛み締めてから嚥下した。
すると、消えてなくなってしまった力が、少しだが戻ってきた感覚に包まれて、麻亜夜は一口、また一口に口に運ぶ。
皿が空になると、麻亜夜の体の底から力がみなぎってくるのを感じ、麻亜夜は涙を流し意識を手放した。
「麻亜夜!」
すかさず反応して刀を投げ捨てた朝成は、咄嗟に麻亜夜を抱き止めた。
「な…っ、なんだよ…っ、おっちゃんも姉ちゃんみたいな力持ってたのかよ…」
拍子抜けしたような流星の言葉に、龍海は小さく首を横に振って、鼻で笑って一蹴した。
「特殊能力?そんなもんはあらへんよ。ただ食っちゅうもんは、作り手によったら、時にはどんな薬よりも薬にもなり得る、ただそれだけのこっちゃ」
龍海の言葉に流星は、分かったような良く分からないような、ただ怪訝な表情を浮かべた。




