3-8話 庭園での歓迎会3
ヨゼは傍らで眠るミャプを撫でる。その手は慈しむように優しく、猫のひげが心地よさそうに上下する。
「魂は生きて朽ちていく万物に宿る。人、動物、虫……ありとあらゆるものに魂は宿り、心を持つ。廻る魂と違い、その場に留まった心が己を解放するのは至極難しい。時が止まっているようなものだからね」
「そう、なんですね……」
硬直する祈吏を察して、晃満がヨゼの言葉に続いた。
「まあ、簡単に心は残らないからさ!そんな気にしなくてヘーキよ」
「は、はい。でも、教えてもらえてよかったです。……ちなみに、その残った心って……どうなるんですか?」
おずおずと言葉の続きを促す祈吏に、晃満はおや、と喉を鳴らしてビールを呑み込む。
「んー、そうね。朽ちなければそのまま漂ってたりもするし、何かに宿ったりもするよ。自分の身体だと勘違いして」
「っな、なるほど……何かに宿ったりも、しちゃうんですね」
「この世で魂が存在するには常に宿る身体が必要だから、ずっと一緒にいた心もそうしないとって思い込んでるんだろうねぇ。ああでも、人の心は何にでも宿るわけじゃなくて、大体お決まりのアレにしか宿らなくて――」
恐々としながらも言葉を待つ祈吏に、晃満は少しずつ興が乗り始め、声を潜める。
その様子を見逃さなかったヨゼが、こほんとわざとらしい咳払いをした。
「そもそも、魂と心は根本的な趣旨が異なっているのだよ」
「はあ……趣旨、ですか」
「魂と心の性質は限りなく似て非なるものだ。だが魂に比べて、心は常に移ろいゆく。一生の中で己を己たらしめるもの全てが自分であると共に、ひとつでも変われば己は別の何かになる。その可能性をどう追求するか、双方は全く異なるのだよ」
「ヨッちんは難しい言い方するよねぇ。もうちっと簡単に言えないかな」
晃満のふふんと試すような語調は、友人同士の慣れあいのそのもので。
ヨゼは眉を少しも動かさないまま、膝の上に手を組んで顎を乗せた。
「魂は『経験』を求め、心は『諦念』を求めている。双方が求めるものが異なれば、それぞれが離れた後どう作用するかは必然的に異なるということだ。晃満、それはお前もよく知っているだろう?」
そういつもの怜悧な微笑みを浮かべた。晃満はどこか参った表情で髪をかき上げると、左耳に架けられた5本のインダストリアルピアスが鈍く光る。
「あははぁ。もっとヨッちんの霊魂に対しての認識聞かせてー?」
「これでこの話は仕舞いだ。あいにく、吾輩は身体を持たないものにはあまり興味がないのでね」
(……今の自分には理解が難しい話が繰り広げられてる気がする。でも、この話は確かにもうお腹いっぱいかも)
祈吏は手元のクラフトビールを呑みつつ、目前で交わされる視線のやり取りから目を逸らす。すると、ふいに晃満が声を上げた。
「ヨッちん、精霊とか神にあんまキョーミないもんね」
「えっ。なんですかそれ」
まさかと思う単語が聞こえてきて、祈吏は2人の方へ視線を戻した。
「あら、祈リンはキョーミある? まあー次元が違う存在だから、さらっと説明するのは難しいケド」
「ちょっと、興味はありますね」
(というよりも、そんな次元の異なる存在を認識してる晃満さんは一体何者なんだろう)
どこから話せば祈吏に分かりやすいか、と晃満は首をひねる。
そんな彼の背後には肉を焼くマテオと、それを食すティパルと狛ノ介の姿がある。
「そうだなぁ。まあ人や動物と異なる点で言えば、精霊や神といった存在は物理的な肉体を持たずとも、存在し続けられるしどんなものにでも魂を寄らせることができるんだ。色んなパターンがあるけどね」
「はあ。そんな不思議なことがあるんですね」
「前世で高次元の存在だったが、何らかをきっかけに肉体を欲することはままある。それも、魂が己を追い求めた結果なのだよ」
ヨゼが祈吏にそう答える。すると、祈吏の質問は間髪入れずに返ってきた。
「それだと、精霊や神様が前世だった人が存在するってことですか?」
「……――それは」
ヨゼの傍らに置かれていたグラスの氷が、からんと溶けて落ちた。
「――祈リンは飲み込みいいね! まさにそういうコト。ま、なかなか聞かない見ないケースだけど」
「はああ……そうなんですか。驚きました」
なんとか受け止めた祈吏を静かに見ていたヨゼは、口を噤むような笑みを浮かべる。
ガゼボの下、日陰にいるヨゼの表情はサングラスも相まっていつもより読み取りづらい。
「まあ総括すると、今を生きる者の魂のケアをヨッちんがしているとすれば、霊のケアを俺がしているみたいな感じ。ただ生霊なんてものもあるから、俺も間接的に生きてる人のケアをしているうちに入るかもねぇ」
「いいいいい、生霊……!?」
「そ。死んでる人の霊より生きてる人の霊の方が大変よ。生きてるからころころ心模様も変わるし。でも、そういった人のために占いがあったりもする」
「そう、なんですね……」
晃満の『総括』をひと段落に、晃満はヨゼに『飲み物お代わりいる?』と声をかけた。
ふたりのやりとりを横目に、祈吏は今しがた耳にした話を呑み込もうと酒を煽る。
恐怖を感じているのに、胸がドキドキしている。見えないものを視る感覚が、恐らく2人にはあるのだろう。
(どんな世界かは想像つかないけど。……お化けは恐いし、踏み込む気にはならないな)
「それでぇ。うちで占い師やる件考えてくれた?」
「えっ! あ、あの。その件なんですけど」
補充したトロピカルドリンクをヨゼに手渡した晃満が祈吏に振り返る。
「どうして占いに自分を誘ってくれたのでしょうか」
「んー、知りたい? それはね、祈リンは見ようと思えばすぐに視えるから」
「いや。いやいや! 視えないですよ! 何も!」
「アハハ、ほら。けど怖がりでしょう。だから視えてないだけ」
「よ、ヨゼさん! そうなんですか!?」
助けを求めるような困惑した祈吏の声に、トロピカルドリンクをストローで飲んでいたヨゼが顔を上げる。
「祈吏くんは吾輩の相棒だからね。そう簡単に晃満のところにはやらないから安心してくれたまえ」
「答えになってませんよ……!?」
「俺のところにくれば、そういった恐怖心との付き合い方も教えられるし、何より自分の持ってる能力を超活かせるよ~。だから、弟子入り前向きに考えて欲しいナ」
晃満は祈吏にウインクをする。軽い印象ではあるが、冗談でこんな話をする人物ではないと、この少しの間で知ることができた。祈吏はどう答えたらいいのか分からず、目を逸らしながら震える唇を開いた。
「じ、じじじ自分は、そういうの一切視えなくてよいので……」
「そっかー。結構本気スカウトだから、気が変わったらいつでも俺のところ来てね」
「晃満、今日の催しは我がカウンセリング室への祈吏くん歓迎会ということを忘れたのかね」
祈吏を挟んでふたりの攻防は繰り広げられる。
今までの呑み込むには相当気力がいる話に、自身が知らなかった――もとい知りたくなかった可能性を突きつけられ、全てをリセットしたい衝動に駆られた。
「あ、祈吏さま……?」
ティパルが気付いた時には、祈吏はクーラーボックスの前で3本目のクラフトビールを煽っていた。
――――翌日、初夏の晴れ渡る午前11時、祈吏はヨゼの邸に向かい、ゆっくりと歩いていた。
(……昨日、飲みすぎちゃった。次晃満さんに会った時は謝罪しよう)
昨日の出来事を思い出し、頭を抱える。本人は笑ってくれてはいたが、自分としてはやってしまった感が強い行いをしてしまった、というのが正直な祈吏の心境だった。
その上、二日酔いにはならなかったが、今朝はあの『黒い絵を描く夢遊病』が出たせいで、身体の疲労感が取れていない。
(今日は夢前世に行くって聞いたけど、どんなご相談者さんなんだろう……)
高級住宅地を歩き、いつもの赤煉瓦造りの邸が見えてきた。もう勝手知ったりの様子で邸の門を通り――祈吏は目を見開いた。
「ひっ!?」
いつもの日本庭園。そんな庭木の下で――気持ちよさそうに眠る女性の姿があった。