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2-43話 真相2

「イオラスさん。貴方は獣の試合で有利に戦えることが多かったのではないでしょうか」

「……それがどうしたと言うんだ」


 真実に辿り着きたくないと訴えるようなイオラスの視線が、祈吏に向けられる。


「昨日の獣試合で、一瞬イデアさんの動きが止まったのを思い出したんです。もしかしたらイオラスさんの首飾りにも、アビさんと同じ薬草が入っているんじゃないのかなって」


「はい。……同じものを入れてあります」

「……何故そんなことをした」

「イオラスには死んで欲しくなかったからだよ」


 アビの諦念が入り混じった言葉に、イオラスは愕然とする。

 だが、その拳を握りしめ――力強く首飾りを断ち切った。


「何故こんな余計なことをしたんだ! 獣使いの道を諦めて、仕方なく剣闘士になったというのにまさか小細工で生き残っていただなんて、ただの恥でしかない!」


 その様子にイデアは目を丸くし、猫のようにアビの元へ跳び寄る。激高する剣闘士を見て、狛ノ介が鼻で笑った。


「確かに今までテメーの力で生きてきたと思っていたら、まったくそうじゃなかったとか、やるせねーだろうな」


「なんでこんな臆病でやわな奴を、師匠は後継者に選んだんだ……!」


 アビは口を噤む。その様子を見た祈吏は、落ち着いた声色で訊ねた。


「あの。失礼ですが、アビさんはストレスに敏感なのではないでしょうか」

「……祈吏様、どうしてそれを」

「刺客に追われていた際、アビさんは無意識だったかもしれませんが、しきりに指の腹をこすっていたでしょう。あれは恐怖からくる癖のように見えたので」


 これは狛ノ介の話がなければ気づけない要素だった。

 アビの調薬部屋にティトゥスが訪れ、イデアの首へ手をまわそうとした様子を見て『指を鳴らした』というのは『合図』をしたのではなく『不安を感じた』からなのだろうと。


 祈吏の言葉にアビは己の心を暴かれたような、傷ついた顔をしたが、ふっと肩の力を抜き、浅く頷いた。


「師匠が俺を後継者に選んだ理由は『臆病がゆえに獣を敬うから』というものでした。獣は獣ゆえに敵意と軽視に敏感で、イオラスは……その油断が生まれていたと」



「だから師匠はイオラスを守るためにも、猛獣使いを引き継がせなかったんだ」


「そんな……理由があっただなんて」


 イオラスの怒りに満ちていた顔がみるみるとしぼんでいく。



「ああ、だろうな。墓場でソイツと会った時、俺サマを見る目がまさにそうだった」

「そういえば……狛ノ介さんと喋っていたのを、イオラスさんは珍しがってましたね」


(アビさんはよくイデアさんに声掛けをしているけど、イオラスさんにはその習慣がなかった。……あの時感じた違和感はこれだったのか)


 獣に対しての接し方が、ふたりは明らかに異なった。そのせいもあって、アビの言い分は嘘ではないと思えたのだった。


「師匠は獣を正しく恐れつつ『手なづける対象』として見ていました。……ところが師匠のやり方は『痛みで従わせる』従来の躾け方だった」


「いくら後を継いだと言っても師匠が食い殺される光景を見た俺に、そんなことはできなかった」


 アビはイデアの背中にそっと手を添える。


「だから俺はイデアととにかく向き合い……『痛みで教える』のではなくて『褒美で教える』ようにしたんです。鞭を振るったことは、一度もありません」


 イデアを撫ぜるその手は震えている。

 首飾りをしていない今、畏敬の念に満ちた瞳が黒虎に向けられた。


「結局は元々の『素質』に違いがあった、ということか……」


 イオラスは大きく溜息を吐き、突きつけられた真実を飲み込もうとしている。

 アビはどこか自嘲気味に微笑み、その黒虎を見つめた。


「結局ところ俺は、イデアを独り占めしたかっただけなのかもしれない。獣使いの仲間たちにこの首飾りを渡していれば、きっとみんな獣に襲われずに済んだ。けれどイデアが別の奴に懐いてしまうかもと思ったら、渡せなかった」

「……でも、イオラスだけは生き残って欲しかったんだ」


「……随分勝手な奴だな」


「アビさんも、イデアさんに少なからず執着があったんですね……」


 祈吏がふたりには聞こえない程度の小さな声で呟く。ヨゼは無言で頷き、その光景をただじっと見つめていた。


「反吐が出る」


 狛ノ介の苛立った声がその場に響いた。


「特別なものに執着したヤツと、それが欲しかったヤツに、特別になりたかったヤツ。獣にそんな無駄な考えはねーんだよ。結局コイツらは人間の勝手で獣を振り回しやがったんだ」


「そうだね。それに関してはヨゼちゃんもそうだと思うよ。……人間同士でさえ隷属関係が生まれるのだから、異なる種族が共生するのはとても難しい」


「けど、その中で獣も人間も培えることがあると思うんだ。ね、祈吏くんもそう思うでしょう?」


「そう、ですね……自分が言うのはおこがましいかもしれませんが。人も獣も、それぞれ魂という唯一無二のものを持っているんだと、この夢前世に来て思いました。……そして、心は平等なんだなと」


「そう考えた時、各々がその時立った場所で何を思い生きるかが、一生をまっとうする中で大切なんじゃないかなって、自分は感じました」


「立った場所で何を思い生きるか、ね……」


 狛ノ介は祈吏の言葉を復唱すると、郷愁に満ちた瞳で俯いた 。


「……狛ノ介さん。今までのお話を聞いて、狛ノ介さんだったらイデアさんの未練が何だと思いますか?」

「ハ? んで俺サマに振るんだし」

「前世で虎として生きられた狛ノ介さんなら、きっとイデアさんの望んだものが、想像できるんじゃないでしょうか」

「……」


 祈吏に力説され、狛ノ介はふいにイデアへ視線を向ける。

 そこには珍しく視線を返すイデアの姿があり――狛ノ介の脳裏にとある光景が浮かんだ。


「……オマエ、自由になりたいんだろ」

「……グルル」


 すると――イデアの額に刻まれた蕾は白く淡く輝き始める。それは狛ノ介の問いかけに答えているかのようだった。


「……どうやら、イデアくんの未練の正体が分かったようだね」


 ヨゼは柔らかく微笑み、アビへ視線を向ける。


「アビさん。イデアくんを自然へ帰してあげるのはいかがですか」

「え……イデアを、森にですか?」


「以前イデアくんと引き換えに、ローマ市民権を与えると伝えましたが、あれは冗談ではありません。私はただ、この黒虎を自由の身にしてあげたいのです。貴方が自由を望むのと同じように」


 そう言ったヨゼの言葉に対して、アビはイデアを見つめて言葉を詰まらせる。

 どこか逡巡するように唇を噛みしめたが――間もなくヨゼへ上げた顔は明るかった。


「イデアは俺にとって大切な存在です。こんなところで死なせるのは可哀想だ」




 ――その晩、イデアはアビの元で、祈吏と狛ノ介はヨゼの邸宅でローマでの最後の夜を過ごした。

 


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