2-41話 挑戦
矢尻に鎮静薬を仕込んだ吹き矢を巻き付け、祈吏は舞い上がったイデアに向かって弓を構える。
経験は中学生の頃に弓道体験をした程度で、構えをなんとなく覚えているくらいだ。矢がイデアに届く確証はなかったが、他の選択肢がない――これしかないと、祈吏の直感が囁きかけたのだった。
「っ行け――!」
祈吏は木製の弓を引き分け、太陽の黒点のごとく陽光へ飛んだイデアに狙いを定める。
そしてイデアの動きが宙に留まりかけた寸前――思いの込められた矢を放った。
(お願い、届いて――……!)
弦が弾かれ、矢は天高くイデア目掛けて駆け抜ける。それはまるで打ちあがる花火のような光景だった。
だがしかし、矢はイデアに届かず、あと少しのところで減速する。
(あ――落ちる)
矢が重力に従って下降しようとしたその瞬間。
「――っクソが!」
白い弾丸が宙を駆け登り、矢を咥え取った。
「狛ノ介さん!!」
祈吏が叫んだのも束の間、矢を咥えた白虎は更に高く飛んでいたイデアと空中で対峙する。
黒虎の鋭い牙がむき出しになり、正気を失った蒼い双眸が狛ノ介を映す。
よくて相打ち、間違えれば死を覚悟する状況の中――白虎は満足げに目を細めた。
「オマエを腑抜けだと思ったのを謝ってやるよ」
「――ッヴォオウ!?」
狛ノ介は落ちてくる黒虎の懐へ潜り込み、脇腹に爪を立てる。
そして登り上がるようにイデアの背中へ回り、後ろ首に矢の先端を突き刺した。
――瞬きをする間もなく、黒虎はアリーナの地面に落下した。
「――イデア!!」
轟音と共に土埃が舞い、思ってもいなかった展開に観客席は静まり返る。そんななか、即座に黒虎に駆け付けたのはアリーナの隅で膝をついていたアビだった。
「イデアさん、狛ノ介さん! 大丈夫ですか!」
横たわるイデアは子猫のような顔で眠りに就いていた。その光景に、アビは大きな安堵の声を挙げた。
「よかった、眠っているだけだ……祈吏様、もしかして貴方がイデアを止めたんですか?」
「いえ……自分じゃなくて、狛ノ介さんですよ」
祈吏の視線の先には、どこかやりきった面持ちの白虎がいた。
――その後、狛ノ介がイデアを仕留めたていで午前の獣試合は幕を閉じた。
アビが手負いであるため、他の獣使いに頼み眠っているイデアを場外まで運んでもらう。
その間、アビは神妙な面持ちで俯いていた。
「――アビさん。傷は大丈夫ですか……」
場所は変わりアビの部屋。戻ってくるとティトゥスとヨゼの姿があった。
ティトゥスはあの後、眠るヨゼを運ぶことができず、近くにあったアビのベッドに寝かせ見守っていたらしい。
そんななか己が濡れ衣を着せた人物が帰ってきたものだから、ティトゥスは所在なげに部屋の隅に腰かけている。
「はい、俺は大丈夫です。それより、狛ノ介を手当してあげないと……」
「触んな!」
狛ノ介が拒否の咆哮をしたので、アビは驚いた顔をしたあと、僅かに苦笑した。
「ああ、今の俺じゃやっぱり駄目か……」
「……アビさん。これから色々確認しないとならないことがあるんです」
祈吏はアビの傍らで眠っているイデアを見つめる。
その額にある蕾の紋章は膨らんでいるものの、咲いているとは言えない状態だった。
(イデアさんの未練は、アビさんを殺してしまったことだと思ってたのに……違ったんだ)