2-35話 黒髪の被疑者3
「毒を所有していない……!?」
ティトゥスの額に動揺の汗がにじむ。だが振り払うように鼻で笑うと、乱れた黒い前髪を人差し指で整えた。
「何を言い出すかと思えば、そんな根も葉もないことを。アビは薬の使い手なんだ。毒薬をこしらえるくらい、造作もないことだろう」
「……アビさんは奴隷の身であるため、毒性のある素材が所持できないと仰っていました」
「……なに?」
「正しくは、毒薬は作ろうと思えば作れると言っていました。ただ、途方もない量の薬草が必要になると。アビさんが毒薬を作るのは不可能に近いんです」
「とは言ってもどれ程難しいかは、普段手軽に『毒』が手に入る階級の方には想像出来ないでしょうね」
ヨゼが不敵な笑みを口元に称え、ティトゥスに皮肉を込めた言葉を向ける。
ティトゥスの額には脂汗が盛大に流れ、美丈夫の顔が水を被ったかのように汗ばんでいる。
その様子を見た祈吏はもう決める頃合いだろうと思い、一歩ティトゥスに歩み寄った。
「いまティトゥスさんが仰った『手口』は、まさに貴方が実行されたのではないでしょうか?」
「ふん……ぐぬぬ」
歯を食いしばり、険しい表情で拳を握りしめる。それは何ひとつ反論ができない――と全身から伝わってくる光景だった。
「そもそもアビさんがイバンさんを殺す動機がありません。ところが、貴方は『イデアさん』が欲しいんですよね。……アビさんに濡れ衣を着せ、捕まったのをいいことに、イデアさんを自分のものにしてしまおうと思ったのではないですか?」
「っだとしても僕はやっていない! そうだ。アビの薬棚を調べろ! 毒薬が出てくるはずだ、奴隷の立場であったとしても裏口からどうとでも入手できるだろう! さあ!」
ティトゥスの叫びは空しく宙に消えていき、場はシンと静まりかえる。
これ以上、刺激すればどうなるか分からない――そう感じた祈吏を庇うように、ヨゼが一歩祈吏の前に出た。
「では、この狛ノ介に貴方の匂いのついた瓶が薬棚にあるか、調べさせましょう。それでもし見つかれば、貴方はもう言い逃れのできない身になりますが、よろしいですか?」
「うぐ……」
「ティトゥス様。流石に無理があります。見苦しい抵抗はもうよしてくださいな」
ヨゼの言葉にティトゥスは肩を落とし大きく溜息を吐くと、顔を大きな手で覆った。
「まさか……アビが毒薬を持っていないとは、思いもしなかった」
(あ……ついに認めてくれた)
相手が犯人だと確固たる自信があったとしても、問い詰めるのは心労があった。祈吏はティトゥスとは異なる安堵の溜息を吐き、自白に耳を傾けた。
「そもそも、あの茶はアビを殺すために用意したものだ。それをアイツは不在で飲まず、口にしたのは同室の男の方だった。そのせいもあって計画は狂ったが……」
「アビさんに濡れ衣を着せる方向に切り替えた、ということですわね」
「……そうだ。どちらにせよアビが居なくなれば、イデアは僕のものになると思っていたのに……くそっ!」
(……あれ。ティトゥスさんはアビさんが出かけているのを知らなかった?)
――ティトゥスの自白に、不穏な違和感を祈吏は感じた。
けれどそんな祈吏に気付かないまま、ヨゼはティトゥスへ問いかけ続ける。
「刺客を仕掛けてまで、他人の大切なものを奪おうとした貴方は大変人間みがあって、とても興味深いですわねぇ。けど、底なしの物欲は時に身を亡ぼしますわよ」
ヨゼの言葉に、ティトゥスは顔を抑えた手を下すと、僅かに首を傾げた。
「……刺客?」