2-31話 調薬室での捜査1
「ヨゼ様、こんな場所へ来られてはなりません……!」
「お構いなく。獣使いの長が殺人だなんて、この目で確かめなければ気が収まりませんの」
ドレープのついた赤いドレスを翻し、ヨゼは祈吏と狛ノ介を引き連れて闘技場の地下通路を速足で進む。
まさか元老院議員の令嬢であるヨゼが、奴隷が起こした殺人現場へ訪れると思っていなかった闘技場の責任者は顔を青くして、その背中を追いかけた。
(早朝にアビさんが殺人の容疑で捕まったという話が飛び込んできた時は驚いたけど……にわかには信じられない)
祈吏は昨晩帰宅した後に、待ち構えていたヨゼに事の顛末を伝えた。
アビとイデアが何者かによって命を狙われたこと、その人物たちはクロスボウを持っていたこと、黒豹に襲われかけたこと……。
祈吏が無事だったことに安堵した後、ヨゼは『確認したいことがある』といい、その後は邸宅の中を寝ずに動き回っていたようだった。
(ヨゼさんが確認したことが、何だったのかまだ聞けてないけど……それどころじゃなくなってしまった)
「この獣使いの部屋が殺人現場です」
案内されたのは昨日訪れたアビの部屋だった。扉を開けるとそこには昨日となんら変わりない空間が広がっている。
ただひとつ異なる点があると言えば、室内の中心にあるテーブルの下に割れた杯が落ちていて、石畳の床に茶の跡を残している。
「殺されたのは同室のイバンという獣使いです。そして第一発見者は別室の獣使いの男でした」
「イバンさんの死因は?」
「あ、ええと……それがこちらでは分からず。現場を検めたのは護衛兵のもので。アビの身柄も護衛兵の方に引き渡しています」
「そうですか。その他に貴方が知っている情報はあります?」
「それは……ヨゼ様には申し上げにくいのですが。噂に聞くところイバンは顔がどす黒く変色していたそうです。なので首を絞めて殺されたのではないかと」
脂汗を垂らしながら、男はそう語る。そして同情の気配がある溜め息を吐き、小さく呟いた。
「獣使いが死ぬことは珍しくないのですが、人に殺されるのは無念だったでしょうに」
「……その言い方ですと、日常的に獣使いが亡くなっているようですね?」
「ええ、それは猛獣を扱う上で、避けては通れない道ですので。古株として残っているのは、長であるアビくらいなものですよ」
(そうなんだ。……やっぱり、獣と接するのって命がけなんだな)
狛ノ介が言っていた『獣の本能』を思い出しながら、祈吏はヨゼと責任者の話の行く末を見守る。
ヨゼはどこか神妙な面持ちで軽く顎を引くと、たおやかな笑みを浮かべた。
「なるほど……部屋を少々拝見いたしますね。貴方は下がって構いませんよ」
「しょっ、承知しました」
早くこの場から立ち去りたいと、顔に書いてあった闘技場の責任者はホッとした表情で部屋を後にしようと踵を返す。
その背中を見た祈吏が、ふいに引っかかるものを感じ、声をかけた。
「あの。イデアさんは今日試合に出るんでしょうか?」
「ああ……イデアは出る予定だったのですが、あいつはアビ以外の言うことを聞かないので。アビの処遇がどうなるか確定するまでは、牢に閉じ込めておくしかありません」
「そうですか……」
(ひとまずは良かった、のかな)
そう答えるとそそくさと責任者は部屋から出て行く。そうして残されたヨゼは祈吏と狛ノ介を見回し、口を開いた。
「改めてふたりに伝えておきましょ。忘れてならないのがこの夢前世は『イデアくんのもの』だからね」
「あ、はい。それはもちろんです」
「イデアくんの周りで起きる事象は、未練に関係している可能性が大いにある。それらが如何にイデアくんに繋がっているか……想像力をフル活用して探ってみよう」
「分かりました。でも、昨日ヨゼさんが言っていた仮説が正しければ、だいぶ危うい方向になってきている気がします」
「そうなんだよねえ。……とにかく、今は時間が惜しいから、この部屋を見渡してみましょっか。コマも何か気づいたら教えてね」
「フン」
(イバンさんは少し癖が強そうな人だったけど、アビさんは信頼していたみたいだったし……殺しただなんて本当にあり得るのかな)
「……ん?」
祈吏はふと、開いた扉の影に何かが落ちているのに気が付く。
拾い上げたそれは、アビが着けていたあの首飾りだった。
(紐が切れちゃってる……アビさん、もしかしてここで争った?)
拾い上げ、ガムランボールのようなペンダントトップをまじまじと眺める。
(……あれ。これ、中に何か入ってる)
透かし細工が施された球の中に、何かがちらちらと見える。
祈吏はその中身を覗くように、そっと顔元まで近づけたところ――
「――祈吏様!」
「えっ!?」
「……祈吏くん、どうしたの?」
一瞬、アビに呼ばれたような気がして顔を上げた。けれどそこにはヨゼと狛ノ介の姿があるだけで、彼の姿はない。
「い、いえ……なんでもないです」
「それより、祈吏くん! ちょっとこっちへ来て」
「あ、はい!」
早速テーブル付近を物色していたヨゼに呼ばれた祈吏は、すぐにそちらへと駆け寄った。