2-30話 月夜の帰り道2
「生まれる身体は違えど宿る心はみな平等なんだなって、夢前世に来て思いました」
「は……」
狛ノ介は一瞬憮然とする。けれど祈吏は言葉を続けた。
「ヨゼさんから借りた心理解説本に書いてあったんですよ。恐怖があることで、怒りが生まれると」
「……んだよ、それ?」
「『怒り』とは2番目に生まれる感情、という意味です。狛ノ介さんはこちらに来てすぐに、イデアさんが常に『情緒不安定』だと仰ってましたよね。それは人と変わらない感情の揺れ動きをしているのではないかなって、思ったんです」
その言葉に狛ノ介はハッとした表情をした。
祈吏は狛ノ介を慰めるつもりでもなく、ましてや同情をしているわけでは全くない。
ただ狛ノ介が言い放った『心境を思い出せない記憶』に対して情けなさを感じている本人に、自分が感じた視点を伝えたいだけだった。
「狛ノ介さん。当時の気持ちを思い出せなかったとしても、今を認識できていることに変わりはないですよ。人に生まれたことで、思うところは沢山あるかもですが……それを含めて今の感覚で前世を振り返るのは、何も情けなくないと思います」
「……ハッ! 分かったようなクチ聞きやがる」
「自分の感じた所感です」
祈吏は淀みなく答える。するとその澄んだ声に狛ノ介は虎の口先を尖らせた。
「分かるワケもねえか。……獣の本能を思い出せねーもどかしさがよ」
「本能……ですか?」
(確かに、肉体に依存する感情もあるのか)
狛ノ介はふいに歩き始める。先ほどよりもゆっくりとした歩みは、夜風にあたりながら自分の考えを整理するかのようで。
(狛ノ介さん自身、持っている記憶とどう付き合えばいいのか、悩んでいるのかな……)
捨てたくてもどうしようもできないもの。そのほとんどが『記憶』にまつわるものだろう。
己の傍にある限り、それらとは上手く付き合っていく他ないと祈吏は考えている。そう思ってはいるが実践するのは難しく、祈吏自身折り合いがかろうじて付けられるようになってきたのもここ最近だ。
「自分もひとつ、昔の話をしていいですか?」
「……」
「じゃあ、話しますね。興味がなければ、独り言だと思って聞き流してください」
返事がないのは狛ノ介なりの肯定なのだと受け止め、祈吏は過去の出来事を思い返す。それは他人に話したことはない、祈吏の胸の奥にそっと閉まってあった話だった。
「自分でいうのも何なのですが、物心がついた頃から直感が少々良い方でして。自覚をしたのは中学生くらいの頃でした。当時は周りの友人も皆、自分のそれについて知っていたんです」
今知る友人は杏くらいだが。と心の中で付け足しつつ、当時の光景を思い浮かべる。
「学校の持ち物の抜き打ち検査とか、登校で使っている路線の運転見合わせとか、コンサートのチケットが確実に当たる応募日時とか。なんだかピンとくるタイミングがあって、友人同士のメッセージグループに情報として流していたんですね」
「それらはほぼ全て当たりました。だから友人たちはえらく喜んでくれて……役に立っている感覚が自分も嬉しくて、且つ少し天狗になっているところがありました」
「フン。人間くせー」
「本当にそうだと思います。でも、ある夏の縁日をきっかけに、以降グループに共有するのは止めました」
当時の心情を振り返る祈吏に、夜道の奥から祭囃子が響いてくる。
突然声色が静かになったため、狛ノ介は軽口を叩かず、脚を止めずに耳を傾けた。
「中学2年生の時の、縁日の夜。友達が金魚すくいで『長生きする金魚を教えてくれ』と言ったんです」
「命の長さについて予想するなんて、したことがありませんでした。それどころか、考えたことすらなかったんです。だから、事の重大さに眩暈がしたのを、よく覚えています」
提灯が照らす屋台の下、ステンレス製の箱の中を揺蕩う無数の金魚を思い出す。
「なんとか集中して、一生懸命条件に合わせた赤い出目金を選んだのですが……」
「自分が指した出目金は、3日で亡くなりました」
『祈吏の勘が外れることもあるんだね』と、肩を落としながら言った友人の顔が脳裏によぎる。
「それ以降も、友人たちは自分の直感を頼りにしてくれることはありましたが。己の認識が怖くなり、答えられなくなりまして」
「『命』を測る行為を意図的にしたことと、『直感』という不確実なものに依存し、描いた未来が訪れなかったことに、驚いている自分がいたことに……とても嫌になりました」
「……フン」
「ですが、『直感』は感覚的なものなので。嫌になっても常に自分の傍にあります。だから……内省を繰り返した、というと軽いかもですが。自分なりに向き合った結果、今はこうして上手く付き合えている、ほうだと思います」
ひとしきり話し終わると、祈吏は掴んでいた狛ノ介の背中の毛を、微かに人差し指で撫ぜた。
「だから狛ノ介さんが今はもどかしいと思っている物事も、いつか上手く付き合えるようになると思いますよ」
祈吏の言葉を遮ることなく聞き続けていた狛ノ介は、鼻で笑うと『どうだかな』と答えた。
「なにより、ギャンブルの楽しさは大人になってから知ることのできた快感ですからね!」
「アンタ、本当に内省したのか?」
――その後も、雑談をぽつりぽつりと交わしながら2人は夜の道を往った。
ヨゼの邸宅が目と鼻の先まで見えた頃。狛ノ介がふと呟く。
「金魚がくたばったのは、ソイツの飼い方が悪かったんじゃねーの」
けれど祈吏は既に眠りに落ちてかけていて。遠のく意識の中であったが、当時の己が初めて擁護された感覚を味わったのだった。
――翌朝。アビが殺人の容疑で捕まったとの報せがヨゼのもとに入った。