2-28話 白い弾丸
「グオオォォッ!!」
鋭い牙をむき出し、突進してくる黒豹。
祈吏は咄嗟にカンテラを盾にし、せめてもの抵抗をしようとしたが――
「……あれ」
突如横風が吹き、一瞬にして豹の姿が残像を残して吹っ飛ぶ。
刹那、豹の残像と共に白い巨体が弾丸のように横切ったように見え、祈吏はその方向を目で追った。
「グォウ!!グルルル」
「クロヒョウのクセにとろい奴だな。俺サマとやりあったヒョウの方が速かったぜ」
「狛ノ介さん……」
そこには白虎――狛ノ介が、全身を使って黒豹を押さえつけている姿があった。
「どこのドラ猫だか知らねーがよ。狩られたくなけりゃさっさと失せな」
「グゥ……!」
狛ノ介が拘束を緩めると、黒豹は脱兎の如く逃げ出す。そして空地の壁を軽々と飛び越え、夜の闇へと消えていった。
「び、びっくりしたあ……」
呆然とその光景を眺めていた祈吏を、白虎の赤い瞳がじろりと睨む。
「おい、どんくさ人間」
狛ノ介の不機嫌そうな声が祈吏に向けられる。それはあからさまに面倒くさそうな顔をしていたが、狛ノ介の性格から察するに安否を確認しているのだと分かるもので。
祈吏の心臓は今も大きく鼓動を打ちつけている。落ち着けるように震える唇で深呼吸をしてから、そっと声を発した。
「助けていただき、ありがとうございました……死を覚悟したのは初めてです」
「あっそ。イイ経験になったんじゃねーの?」
「はい。反省しています……」
眉をハの字に下げる祈吏を横目に見た狛ノ介は、ふんと鼻を鳴らしながら答える。
「さっさと帰んぞ。立て」
「それが……実は腰が抜けてしまいまして」
「んだよそれ……」
呆れた狛ノ介の声に、祈吏は不甲斐なさで胸がいっぱいになった。
(元はと言えば、自分がヨゼさんの助言を聞かずに飛び出てきてしまったからなのに……こんな迷惑をかけてしまって申し訳なさすぎる)
狛ノ介は怪訝な視線を祈吏に向ける。地べたに座り込んだ祈吏の肩は微かに震えており、その言葉に偽りはないのだと判断した。
「ハァ……ったく、仕方ねえな」
「え。――うぅわっ!?」
次の瞬間、祈吏の身体が宙に舞った。
狛ノ介が祈吏の背後から腰紐を咥え、自身の背中へ放り投げる。
滑らかでもふもふな毛に覆われた、真っ白な虎の背中に着地した祈吏は、驚嘆の声をあげた。
「狛ノ介さん! 乗せていただいてもいいんですか!?」
「気が変われば降ろす」
「恩に着ます!」
『調子いい奴』と小言を言いながらも、狛ノ介はゆっくりと歩き始める。
一歩踏み出す度に虎の肩の筋肉が上下し、しなやかな胴体は左右に揺れる。
祈吏は振り落とされないように、けれど狛ノ介が痛くないように、遠慮がちに背中の毛を掴んだ。
「もうだめだと思いました。助けにきてくれて本当にありがとうございます」
「別にアンタのためじゃねーし。ヨゼにクッソ頼まれたから来てやっただけだ」
「ヨゼさんにもお礼と謝罪をしないとですね……。狛ノ介さんの助けがなかったらと思うと、肝が冷えます」
「……夢前世で死ぬと厄介なことになるんだよ」
「それはヨゼさんも言ってましたね。夢前世で死んじゃったら、現実に帰れなくなるって……」
「アンタがそうなるとこっちも迷惑なんだよ。その厄介を避けるために手を貸しただけだ。勘違いすんじゃねーぞ」
月夜に照らされた白い街を、白金に輝く虎が歩く。
その背中から見える景色は、祈吏が先ほどローマ市街を走り抜けていた時とは打って変わった、静謐な光景だった。