表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
67/121

2-27話 呼吸に等しい感覚

「――祈吏様、大丈夫ですか!?」


 祈吏に支えられたアビはそう呼びかけたが、返事はない。

 アビの身体は祈吏の想像よりも軽かった。とは言えど支えて歩くのが精一杯で、走ることは難しい。そんななか、祈吏は進む『道』をまっすぐ見て、ゆっくりと、けれど規則正しい足取りで進んでいく。


 祈吏はコロッセウムの方角をなんとなく把握している程度だった。背後からは追い詰めるようにせわしなく矢が降ってくる。極限までギリギリの状況に置かれた今の祈吏にとって、最善の道はただひとつしかなかった。


(……ここは右。そして――階段をくだる)


 呼吸をするのと同じように『直感』で選んだ道を進んでいく。それが最も信じられる抜け道だった。


「っうお!?」


 アビの横を矢が通り過ぎ、小さく悲鳴をあげる。

 けれどどの矢もあと少しといったところで外れてしまう。祈吏とアビの頭が今しがたあった位置に突き刺さる矢を、意識しないように祈吏は目前に集中した。


(ここを曲がったら、右。左。まっすぐ、屋根の下を通って――)


 雑多に物が置かれたバザールに入り、しめたと屋台のシェードの下を選んで通る。


「この辺はたまに、盗人が現れることがあるんですが……まさか金を持っているようでもない俺を狙うだなんて思いもしませんでした」

「盗人ですか!? それは……治安がよくないですね」


(だからヨゼさんがあんなにレクティカで帰るのを薦めていたのか)


 飛び出てきたので帰ったらお叱りの言葉を受けるかもしれない。その時は素直に受け止めようと、内省しながら道を進む。

 次第に付け狙う刺客の気配が薄くなり、角を曲がったところで――ほぼコロッセウムの足元まで辿り着いていた。


「よかったっ……! アビさん、着きましたよ!」

「ああ、まさか無事に戻ってこられるなんて……! 祈吏様、本当にありがとうございました!」


 アビはよろめきながら一歩祈吏から離れると、深々と頭を下げた。


「おひとりで帰られるのは危険です。一部屋どうにか用意しますので、どうか今晩は此処に泊って行っていただけませんか」

「お気遣い、ありがとうございます。確かにひとりで帰るのは危ないですよね……」


(でも、帰らないとヨゼさんも心配するだろうし……何より今回の出来事を早く伝えないとならない気がする。こういう時、普段のスマホのありがたさを痛感するな)


 ふと進んできた道を振り返る。既に追いかけてくる賊の気配はない。


「お気持ちはありがたいですが、帰ります。なるべく速く走って、はち合わないように気を付けるので」

「そう、ですか……」


 アビは不安げな瞳で祈吏を凝視したが、自信に満ち溢れた表情を目にして気が緩む。

 無理強いはできないと、せめてものつもりで手元にあったカンテラを差し出した。


「夜道は暗いです。どうか灯りだけでも持って行ってください」

「ありがとうございます! 助かります」

「もし、人の気配がしたら灯りを隠してください。反対に呼び寄せてしまうかもしれないので。……どうか、ご無事で」


「はい。……また明日、お会いしましょう」


 アビからカンテラを受け取ると、じっと祈吏を見つめるイデアの視線に気が付く。


「ここから先は、イデアさんがアビさんを助けてあげてくださいね」


 その声に耳をぴくりと動かした後、イデアはアビの脇に支えるように滑り込む。そしてその身体を支えるように寄り添い、コロッセウム内に続く柱廊へと去っていった。


(……よし。集中して、気を付けて帰ろう)


 祈吏がアビの申し出を断ったのには、理由があった。

 コロッセウムまで辿り着くのに手負いのアビを支えて歩いても15分程度だった。全速力で走って帰れば5分もあれば帰れる――そう。行きが大丈夫だったのだから、帰りも大丈夫だろうと、祈吏は己の勘を信じたのだ。


(――いま、すごく冴えてる気がする)


 満月に照らされながら、カンテラを携えて走り出す。

 来た道を辿りながら、時には違う細道を通って、己の『直感』を信じて進む。

 ――しかし、祈吏は疲れていた。今身体が動くのはアドレナリンが分泌されているおかげなことに、当人は気がついていない。そのせいもあって『妄信』してしまっていたのだろう。


(あれ、ここ行き止まりだ)


 曲がり進んだ道は行き止まりだった。突然現れた空地のような空間には、荒れた芝生が覆い、瓦礫がまばらに落ちている。


(絶対こっちだと思ったんだけどな。早く戻ろ――)


 その時、突然月明りが何かに遮られ、反射的に天を見上げる。


「え――」


 そこにはしなやかな身体を大きく広げ、祈吏の頭上を飛び越える――黒豹の姿があった。


「……ヒョウ?」


 驚きのあまり呼吸が止まったのも束の間、黒豹は祈吏の行く手を阻むように降り立つ。

 喉を低く鳴らし、半月の双眸を光らせ、祈吏に一歩近づいた。


「グルルル……」


(――どうしてこんなところに、黒豹なんているの?)

(それよりも――早く逃げないと)


「……あれ」


 後ずさろうとしたところ、視界は大きく揺れ、もつれるようにその場で崩れ落ちる。

 黒豹と同じ目線になる。本能が『逃げろ』と言っているのに動かない身体を認識して初めて、自身が置かれた状況を把握した。


(腰、抜けてる……)


 黒豹の獲物を狙う眼光が祈吏に一歩ずつ近づいてくる。

 豹はネコ科の中でもひと際獰猛で、残忍な狩りをするという話を、杏と動物園に行った時聞いたのを思い出す。


(もし、夢前世の中で死んでしまったら――)


『死んじゃったら、現実に戻れなくなっちゃうから気を付けてねー!』


 ヨゼの言葉が頭の中に響き渡る。豹との距離はもう3メートルもない。

 冷や汗が額に伝い、呼吸も早まる。手元のカンテラを強く握りしめ、黒豹と緊迫した視線を交わす。


(自分の『直感』を、過信したらだめだって、分かってたのに――……)


ふいに、黒豹の前脚が地面を蹴り出した。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ