2-24話 恩師の思い出
「お師匠さん……ですか?」
「はい。俺とイオラスは猛獣使いである師匠の弟子……いわゆる兄弟弟子にあたる関係なんです」
胸元のペンダントを指先で転がしながら、アビは思い出すように語る。
「俺が弟弟子で、イオラスが兄弟子でした。俺たちは師匠のもとで獣への接し方や調教、獣が一体どんな心理で人間を捉えているか、そして獣に扱う薬の調合まで……沢山学びました」
「ですが色々あって、師匠は後継者に俺を選んだんです」
「イオラスは……師匠をとても尊敬していました。そのせいもあって選ばれなかったことに目も当てられないほど落胆していたので。せめて同じく師匠のもとで学んだ証になればと、俺が模倣し作った首飾りをイオラスに贈ったんですよ」
「そうだったんですか……」
(師匠さんはイデアさんに殺された、とイオラスさんが言ってたけど……ストレートに事実か聞くのもどうなんだろう。そもそも、なんとなくだけどイオラスさんはイデアさんに対して良い印象がある感じじゃなかったし……ううん、どうしよう)
考えあぐねている祈吏に気づいたヨゼは、手元の匙を置くと悠然とした様子で口を開いた。
「思い出の品なのですね。その首飾りを今もイオラスさんが付けていらっしゃるということは、きっとアビさんのことを大切に思われているのでしょう」
「それはどうか、分からないです。同じ闘技場にいるのに、顔を合わせることはほとんどありませんから」
「でも、模造品というのを本人も理解した上で受け取ってくれたので。今も身に着けてくれているなら、良かったです」
そう語ったアビの面持ちは、心から安堵しているようで。
多くは語られていないが、ひとまずアビとイオラスの間には見えない絆があるのだろうと祈吏は感じた。
「おや。イデア、お腹いっぱいになったみたいだね」
アビは傍らのイデアの背中を撫でる。ラクダ肉を食べ終わり、満足げなイデアはされるがままだ。その表情は猫がお昼寝をしている時のようで、リラックスしているのが伝わってくる。
(イデアさんはやっぱりアビさんにとても懐いてるみたい。……アビさんはイデアさんをどう思ってるのか、聞いてみよう)
「あの。アビさんにとって、イデアさんってどんな存在ですか?」
「イデアですか。そうですね……一言で言うならば、うつくしい我が子、といったところでしょうか」
「我が子、ですか。では、イデアさんが子供の頃からお世話をされていたんでしょうか」
「はい。実はイデアは元々師匠が世話していた子なんです。俺が初めて出会った時は、まだ両手で抱えられる程度の子供でした」
「最初は俺にも全然懐いてくれなくて、とても苦労しましたよ。けど、師匠から色々教わっていくうちに、徐々にイデアと分かり合えていったんです」
アビはイデアを撫でる手を止めず、優しい目つきで黒虎を見る。
「この子は見た目が珍しいから、多くの貴族から譲って欲しいと声を掛けられるんです。ですがイデアは気性が荒いし、何よりプライドがとても高い」
「そうそう簡単に手なづけられるものではないんです。引く手数多の中、断るひと苦労はありますが……俺はこの子の美しさを誇りに思っていますよ」
「結局見た目かよ」
ぼそりと呟いたのは狛ノ介だった。
普段に比べ影のある言葉に心当たりがあったヨゼは、すかさずアビに質問を投げかけた。
「アビさん。もしイデアくんが従来の黄色い虎だった、としましょう」
「え? は……はい」
アビはぽかんとしたが、ヨゼは気にせず言葉を続ける。
「そのようなイデアくんと、交換としてローマ市民権をアビさんに授けると言われたならば。貴方はどうしますか?」
「え……」
アビは一瞬息を呑む。そして、ほんの少しだけ瞳の奥に力がこもった。
「……それは、正直悩むと思います。奴隷の身を脱するのは、ずっと夢見てきたことですから。けど、最終的にはイデアは譲らないと思います。先ほども申し上げたように、この子は家族なんです」
ふっと口元に笑みを浮かべ、イデアの頭に手をぽんぽんと置く。黒虎は嫌がる素振りもせず、うっとりとした表情でその愛撫を受け入れた。
「……見てらんねー」
そう吐き捨てるように呟いた狛ノ介はすっくと立ち上がり、寝椅子から降りる。
祈吏があっと声を上げて呼び止めようとしたが、白虎は気に留めることもなく開け放たれていた窓から出て行ってしまった。
「狛ノ介さん、大丈夫でしょうか……」
「ダイジョーブ。落ち着いたらちゃんと戻ってくるよ」
狛ノ介がアビとイデアの関係に対して、一体どんな感情を抱いたのか。
それは祈吏自身が感じた引っかかりと同じなのではないかと、去っていった窓辺を眺め思いを巡らせた。