2-8話 ティパルの本職
――その後、黒須は祈吏に『次回は入眠療法、受けさせてください』と言い残し、帰っていった。
応接間へ戻る途中、黒須の曖昧な笑みが祈吏の頭を埋め尽くす。あの人が抱えている『感情』は、自分がどう頑張っても想像ができないほど、複雑なものなのではないかと。
「祈吏くん、ご苦労さまだったね」
「いえ。黒須さん、次回来られる際は入眠療法を受けられたいと仰ってました」
応接間に戻るとヨゼが普段の様子で出迎えてくれた。その横では狛ノ介が更に不貞腐れた様子でソファに肘を付いている。
その他で先ほどと異なる点と言えば、ヨゼの近くでティパルが待機しており、黒須がいた席にマテオが座っていることくらいだろう。
「これから黒須さんの作戦会議をしようと思ってね」
「作戦会議ですか。そういえば入眠療法をされるってことは、黒須さんの夢前世に行くってことで合ってますかね?」
「そう。だが、黒須さんから貰えた情報はあまりにも少なすぎるのだよ。今回のカウンセリングで明らかになったのは、『花粉症』であることと『悪夢は上長を殺害する内容』という2点」
「あの勢いで花粉症が明らかになったのは僥倖でしたなあ。これでなんとかアロマの方は準備ができまするよ」
マテオが頭を掻きながら頷く。この様子を見るに今まで何度聞いても病歴については明かされなかったのだろうことが伺えた。
「夢前世に行くには今の情報だけだと少ないってことは……さらに何か黒須さんへアプローチされるんでしょうか?」
祈吏の疑問にヨゼは小さく笑い、膝の上に両肘をつき、顎を乗せた。
「心配はご無用。既にしてあるのだよ」
そう答えると、ヨゼが指をパチンと鳴らす。するとすかさずティパルが一歩前へ出た。
「ティパル。それではお願いできるかな」
「はい、ヨゼさま。お任せください」
ティパルは手元のリモコンを操作すると、室内の明かりが消灯し、窓に自動でカーテンがかかる。
応接間が真っ暗になるとヨゼの背後にスクリーンが降りて来て、天井に備え付けられていたプロジェクターから映像が映し出され――もとの華やかだった応接間は、秘密結社の重役会議室さながらの雰囲気に変貌した。
「何ですか、これ……!? あまりの変化に驚いて反応出来ないのですが」
「あはは。驚くのはここからかもしれないね」
スクリーンの前にティパルが立つ。そして長い棒を持ち、ぺこりとお辞儀をした。
「今回のご相談者さま、黒須俊太さまの近辺調査報告を始めます」
――調査報告という単語に、目を丸くしたのは祈吏だけだった。
「あの、ティパルさん……貴女の本職って、もしかして」
「はい。私は私立探偵を営んでおりますわ」
「黒須さんのような秘密主義の相談者は度々いてね。夢前世に行くとなるとどうしても今世での情報が必要だから、そういった際はティパルに調査をお願いしているのだよ」
「大体のことは調べられるのですが、流石に病歴を調べるのは聊か抵抗があったので、マテオさんに聞き出していただけて助かりましたわ」
「は、はあ……そうだったんですか」
「ちなみにティパル氏の偵察能力は国際レベルですぞ~」
(……ここのカウンセリング室、ちょっと変わってるどころじゃなかった)
祈吏は腰かけてスクリーンを眺める面々をチラ見する。狛ノ介も当然といった顔でスクリーンを眺めている。
彼女が探偵という件は、祈吏以外周知の事実なのだろう。この際、質問は後回しにしようとティパルの報告に耳を傾けた。
「まず、カルテにある内容は全て事実でした。港区にお住まいでお仕事も外資系企業の部長をされています」
「会社内での評判はまあまあといったところです。教育熱心で部下陣からの信頼も厚いようですが、自身の理想が高いために周囲が振り回され辞めていくメンバーもいらっしゃるとのことでした」
(黒須さん、他人にも自分にも厳しそうな面があったからなあ)
「その他、ご趣味は週に3回ほど早朝に近隣の公園をランニング。あとはアウトドアがお好きなようで、お仕事がひと段落されると郊外へキャンプに行かれています。お酒などはあまり嗜まれず、ご交際されている様子もありませんでした」
「なるほど。現時点だと聞く限り黒須さんは仕事一筋なようだね」
「はい。その他に、本日お話されていた上司さまについて繋がりそうな情報があります」
ティパルがスクリーンにスーツを着た中年男性の写真を映し出す。それは企業ページに掲載されているものなのか、にこやかな表情でインタビューを受けているようなものだった。
「こちらの男性が、黒須さまの上司さま。以後上司Aと呼称します。人当たりは良いようですがワンマン気質のため、度々黒須さまと衝突されているとのことでした」
「役職を持たない社員に対しては優しいようですが、役職を持たれた方にはパワハラまがいの行動も起こし、特に気に喰わない相手には徹底的に潰しにかかる節があるとのことです」
「クソ野郎だな」
「こら、コマさんお口が悪いですよ。でも、否定はしませんわ」
「この方が黒須さんの上司さん、ですか……」
「ただ、上司Aと呼称したのには理由があります。次の映像をご覧ください」
ティパルがリモコンを操作すると、画面が切り替わり雰囲気の良いBarが映し出される。
目の前にはスーツ姿の女性。夜会巻きの髪型に眼鏡、カクテルグラスを持つ指に施された煌びやかなネイルは、いかにも仕事ができそうなキャリアウーマンといった印象だ。けれど酒に酔っているのか、熱のこもった視線でこちらを見つめている。
「――黒須くんには懐いていた上長がいたの。一言で言い表すなら保健室の先生みたいな穏やかな方だったわ。ああ、男性なんだけどね」
「その方は新卒入社したイキりまくりの黒須くんを上手―く指導されたのよ。黒須くん自身も、その上長を信頼してたみたい」
「けど……その方が一年前にご病気で早期定年退職されてね。それで上長が担ってた部長職を黒須くんが任されて。それからはまたちょっと荒れ気味で、躍起になっているみたい」
「それより、瀬来さん。以前からお話していたうちの会社に来る話、考えて――」
会話の途中でティパルが一時停止ボタンを押し、咳払いをした。
「いま御覧いただいた方の証言に登場する上司さまが上司Bとしましょう。黒須さんには関わりの深い上司陣が2名いらっしゃるのです」
「なるほど。どちらの上司を殺害する悪夢を見ているのかで、だいぶ前世での未練が変わってきそうだ」
ヨゼが思案するふうに顎に手を寄せる。そして、祈吏のほうへ顔を向けた。
「祈吏くんはどう感じたかな?」
「えっ、自分ですか」
まさか指名されると思っていなかったと、肩が一瞬跳ねたが、先ほど黒須を見送った際に聞いた話を思い出した。
「そもそもですが……黒須さんは『殺人』という夢自体に苦しい思いをされているんじゃないかなと思いました。答えにはなっていないのですが、どちらの上司さんを殺害されたとしていても、お辛い気持ちなのに変わりはないのかなと」
「ふむ。その口ぶりだと、先ほど黒須さんから何か話を聞き出せたようだね」
「はい。悪夢から覚めたあとの『夢と現実の乖離に耐えられない』とおっしゃってました」
「なるほど…………無理がないことだろう」
長い沈黙のあと、ヨゼが小さく溜息を吐く。するとふいに手を叩き、ティパルに報告会を終了するよう指示した。
「黒須さんの前世の魂が融解していないのはお察しの通りだ。その上、彼は『前世の心』を持ってきているのだから、今世とのギャップは計り知れないところなのだよ」
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