2-7話 悩みを語りたがらない男
「上長の殺害、ですか。その方について、黒須さんのご所感をお聞かせいただけますか」
「それは世前先生に関係ないでしょう。答えたくないですね」
(結構重要なポイントなのに、答えてもらえなかった……)
「どうやって殺すんだ」
それまで黙っていた狛ノ介がふいに口を開いた。
相談者相手に敬語を使わないあたり、マテオが言っていた『狛ノ介氏の確固たる信念』という言葉が祈吏の脳裏によぎる。
(黒須さん、こちらからの礼儀に対してだいぶシビアそうだけど……あれ)
チラ見をした黒須の顔に怒りの色はなく、あからさまに強張っている様子だった。
「その情報、いるものなんですか。上司を殺害する夢という情報があれば事足りてるでしょう」
「話したくねーのは、どうせ普通の殺し方じゃないからだろ。せいぜい殴り殺したり、喰い殺す夢なんじゃねえの」
「ッ……」
黒須の表情が嫌悪で歪み、眉間に深いしわが刻まれる。
「貴方たちに僕のことを話して、一体何が理解されると言うんだ! 大体貴方たちと僕では生きてきた世界があまりにも違うのに、その時点で何も分かりはしないでしょう!」
「黒須さん、ご無礼を大変失礼しました。なのでどうか一旦落ち着いてください」
ヨゼがいつもの落ち着き払った様子で宥めるが、黒須は勢いついて立ち上がる。
「いいか、僕は一流大学を出た後に今の仕事につき、27歳で部長になった。君のようなチャラついた若者に話しても、何も通じないに決まっている」
「ハ、それ俺サマのこと言ってんのか」
「他に誰がいる? そもそもその浮ついた白髪で働いている時点でお察しといったものだな」
「コレは地毛だ、覚えとけ。てめーの問題解決する気もねえでダラダラ喋るオッサン」
(ああ、狛ノ介さん言ってしまった……!)
ヒートアップしていく空気から、恐れていたことが目の前でどんどん展開されていく。
黒須は顔を真っ赤にして、ローテーブルに両手を勢いよく叩きつけた。
「僕はまだ28歳だ!!」
――その時、廊下へ続く扉が開いた。
「失礼しますー。ご相談者さんからアレルギーの有無をお伺いしたく馳せ参じましたマテオでございまっす」
現れた身の丈2メートルはある大男に、熱くなっていたその場の男たちは一瞬黙り込む。
マテオはひと悶着あった空気を感じ取りつつも、今回最も入手する必要がある情報を訊き出そうと紙のカルテを抱えていた。
「……今日はもう帰ります」
そう言い、黒須はマテオのもとに一直線で歩いていき、素早くマテオに『花粉症です』と言い残し、応接間を出ていく。
「祈吏くん、黒須さんのお見送りをお願いできるかな」
「あっ、はい! お任せください」
黒須を追いかけて立ち上がると、不貞腐れた狛ノ介が視界の端に映った。
(ヨゼさんの雰囲気から察するに、お説教が始まりそうな気がする)
祈吏のカンは正しく、部屋の扉を閉める間際、ヨゼの『あの聞き方が最適だったと思うなら、理由を教えてくれまいか』という溜息混じりの言葉が聞こえてきた。
「――黒須さん。本日はご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「……あの男は品がない以前の問題ですよ。世前先生にも次回からは同席しないよう伝えておいてください」
「は、はい……」
黒須を邸の門前で呼び止めると、少し落ち着いたのか祈吏の呼びかけに脚を止めた。
ハーフバックの髪を整えながら、大きな溜息を吐くスーツ姿の男を見て、祈吏は先ほど黒須が口にしていたことを思い出す。
(生きている世界があまりにも違う、って言ってたけど……黒須さんは色々とご苦労されてきた方なのかもしれない)
他人に自分の気持ちが分かるはずがない。そういった考えに陥る時は、大抵心苦しい時だろう。
黒須はプライドが高く相手を試すような振る舞いをする節があるが、本人自体は悪い人ではない、というのが祈吏の所感だった。
(少しでも、黒須さんの気持ちが分かれば……何か自分にも見えてくるものがあるかもしれない)
「あの。実は自分も夢遊病で、縁あってこちらのカウンセリングを知ったんです。それまでは人に自分の症状を話すのがだいぶ抵抗ありました。だから黒須さんの仰ることは、なんとなくですが分かります」
「貴方も夢遊グセがあるんですか?」
「はい」
そう答えた祈吏に対して、今まで黒須の眉間に寄っていたシワが和らぐ。まるで初めて仲間に出会えたとでもいうような、どこかほっとした表情だった。
すると邸の日本庭園に振り返り、緑を眺めながら黒須はぽつりと呟いた。
「……夢にみる僕は、ずっと何かに怯えているんです」
「怯えていらっしゃる……その何かって、正体は分かりますか?」
「いつも分からない。ただ、感じるのは言葉に出来ないほどの恐怖です」
黒須が庭園へ一歩踏み出し、清廉な草木の香りを吸い込む。
「……けれど、そんな恐怖を抱きながら己を鼓舞し、内なる声に従い突き進むことに誇りを感じている自分がいる」
「それがたとえ、上司を殺したとしても。だから、目覚めた後の現実との乖離に、頭が可笑しくなりそうになるんですよ」
そう振り返った黒須は、複雑に感情が入り混じった、孤独げな笑みを浮かべていた。
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