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2-4話 この世で最もハイになれるモノ

「おや。もしかしなくてもそこに居るのは祈吏くんだね」

「はい、ただいま戻りました!」


 ヨゼは上体を起こし庭園の先にいた祈吏に声をかけると、続けて男が振り返る。

 不機嫌そうに眉間にしわを寄せた男は、祈吏が既にこの邸の関係者になっていると知っているのか、特段驚いた様子もない。


「そういえば、まだ2人とも顔を合わせたことはなかったかな。紹介しようか」

「紹介なんていらねーよ」

「また君は。そうやって突っぱねてはいけないよ。もしくは、吾輩に君の名を紹介して欲しいのかい?」

「ッチ……コマノスケだ」


 ぶっきらぼうにその男――コマノスケは名乗った。

「こまのすけさん……よろしくお願いします! 素敵なお名前ですね。漢字はどう書くのでしょうか?」

「これだよ、これ! 狛ノ介!!」


 ライダースジャケットの内側を開いたかと思うと、懐あたりに『狛ノ介』と金糸で刺繍が入れられている。

 依然その横ではヨゼがニヤニヤとしている。祈吏は珍しい漢字だなと思いつつも、まともに狛ノ介と言葉が交わせるのを内心嬉しく思いながら頭を下げた。


「遠橋祈吏です。あの、改めてになりますが先日はヨゼさんのカウンセリングをご紹介いただき、ありがとうございました!」

「別に……アンタが勝手に来ただけだろ」

「え、なに。コマが祈吏くんにここ紹介したの?」

「ちげーよ! 俺サマはゴミをこの人間に渡しただけだ!!」

「おや、図星かね!? なんだかそれは運命感じちゃうなぁ……」

「勝手に言ってろ!!」


(狛ノ介さん、ヨゼさんにめちゃくちゃ翻弄されてる)


 普段大人顔負けの落ち着いた雰囲気があるヨゼだが、時折見せる表情はどこか茶目っ気があった。そうとは思っていたが、狛ノ介を目の前にした今は完全に相手をいじることにイキイキしている。


 珍しい光景に瞬きしていると、祈吏の足元にふわふわの身体が擦り寄った。


「みゃーん、ぷるるっ」

「わあ、猫さん!」

「ああ、ミャプたまに会うのも祈吏くんは初めてだったか」


 テディベアのような顔立ちが愛らしい、白毛に薄茶のまろ眉、そしてこれまた薄茶の靴下を履いた柄の猫――ミャプが瞳を輝かせる。


「はい、初めてお会いしました! ミャプさんっていうお名前なんですか?」

「そう。この子はティパルの愛猫でね。『さん付け』よりミャプたまと呼んであげると喜ぶよ」

「ぷるん」

「敬称に拘りたがるのは猫と人間くれーだよ」


 狛ノ介のツッコミが入るが『ミャプたま』と呼ばれた当猫はアクアブルーの眼を瞬き、嬉しそうに声を上げる。

 その様子があまりにも愛らしく、すでに祈吏はミャプの虜になっていた。


「とっても可愛いですね……! ミャプたま、どうぞよろしくお願いします!」

「ぷみゃーぁん」


 答えるかのようにひと鳴きすると、ミャプは俊敏なジャンプをし、祈吏の服をつたいよじ登り、その腕の中に収まる。

 己のペースで行動する猫らしさと、その豊かでふわっふわの毛並みに祈吏はうっとりした。


(ペットがいる気配はしてたけど、こんなに素敵な猫さんだったなんて……最高だ)


 その時――物陰からの視線に気づいたのは狛ノ介だった。


「おい。そこにいんの、おっさんだろ」


 狛ノ介が人影に声を掛けると、びくりとした後、巨体が姿を現す。

 それは出勤直後のマテオだった。


「み、皆さんおはようございます……」

「マテオさん! おはようございます」


 マテオはナップザックを背負い、おどおどした様子で皆のいるガゼボまでくると、落ち着かない様子で何か言いたげに立ち止まる。そこですかさずヨゼが鼻をすんすんと嗅ぐ素振りをした。


「マテオくん、おはよう。今朝も驚くほどの無香だね」

「朝、出てくる時にシャワーを念入りに浴びてきたので。……ところで、狛ノ介氏」


 神妙な面持ちでマテオは狛ノ介を見つめる。緑の重い前髪で視線は分からないが深刻げだ。

 祈吏にはどういった意図があるのか分からなかったが、狛ノ介にとっては日常茶飯事のジェスチャーなので、マテオが何を言わんとしているのかすぐに分かった。


「今日はだいぶ機嫌いい方。頼んでみれば」

「なんと……!!」


 マテオがぐるんと勢いをつけて祈吏に振り向く。

 祈吏は大男の気迫に一瞬息を呑んだが、マテオはすぐさま地面に膝をついた。


「ミャプたま! いつもありがとうございます! どうか本日も活力をお恵み下さい!!」

「……みゃーん」


 ミャプはやれやれと言った様子で祈吏の腕からするりと飛び降り、跪いたマテオの膝に乗る。

 するとマテオは歓喜のあまり肩を戦慄かせ、大きく息を吐き――ミャプの背中にそっと顔を埋めた。


「……ヨゼさん、マテオさんはどうされたのでしょうか」

「ああ。見てれば分かるさ」


 無言のまま、ミャプの身体に顔をうずめて数回深呼吸をする大男。その光景があまりにも異質なものだったので、ここが裏庭で良かったとさえ祈吏は思ってしまった。

 そして、マテオは突然電源が入ったかのように立ち上がった。


「obrigado! Um presente de Deus, é um gato!!」


 重い前髪を勢いよくかき上げ、両手人差し指を天に向け情熱的なラテンのリズムで踊り出す。何処からともなく軽快な音楽が聴こえてきそうな腰つきはリオのカーニバルそのものだ。

 祈吏に言葉の意味は分からなかったが、それはマテオの母国の言葉であり、そしてミャプを敬い称えているのだと察した。


「はあ~~!! ミャプたま、本日もこれで元気にハツラツと生きることができるであります! 至極光栄の極みッ!!」

「マテオさん、この前とだいぶ印象異なりますね……?」

「どちらかと言うとこちらが素と言える。福田さんの案件の時はだいぶローだったのだよ。マテオくんは『猫吸い』をしないと気力を保てない体質でね」

「はあ、なるほど……」


(なるほどとは言ったものの、何も状況を掴めていないかもしれない)


「フッフ……祈吏氏。この世で最もハイになれるモノ、それは『お猫たまのかほり』なのですよ」


 キリっとした表情で言い切ったマテオに、ローの時の面影は微塵もない。

 前髪で隠れていた素顔は目鼻がはっきりとして彫りが深い。褐色肌も相まってその容姿は夕陽に染まる西洋彫刻さながらの美貌だった。

 祈吏はギャップがすごいな、と思いつつ、マテオのもとからそろりと抜けてきたミャプを抱き留めた。


「拙者は仕事上、自宅に草花やアロマなんかあれこれあるのでお猫たまがお迎えできず……なのでヨゼ氏のもとでお暮らしのミャプたまから普段活力を賜っているのです」

「そうだったんですか。でも、どうしてこの前はあまりお元気じゃなかったんでしょう?」

「あの日は事情があり、朝からアロマを触っていたのでミャプたまと触れ合えなくてですな」

「それと、その日はミャプたまはトリミングに出なくてはならなかったからあまり時間もなかったのだよ」


 手でハサミの仕草をしたヨゼを見て、祈吏は納得する。


「アロマを触っていなければ、刹那だとしてもトリミング前のもふもふミャプたまと触れ合わせていただけたやもしれなかったのですがなあ……」

「なるほど……そういえばプラネタリウムのお部屋にも、ミャプたま立ち入り禁止の札が掛けてありましたね」

「その通ーり! お猫たまは匂いに敏感かつ体調が左右されやすい生物なので、注意が必要なのですぞ」


 熱のこもった早口で言うさまは今マテオがハイなのだとよく分かった。そして口調が独特なのは、ヨゼの言う通りこれが素なのだろうと祈吏は察した。


(犬は鼻が利くのは知ってたけど、猫さんも匂いに敏感なんだ)


 マテオの熱弁を聞いていると、邸の方からもうひとり、ティーワゴンを押す彼女がやってきた。


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