2-2話 画材の好み
杏との束の間の交流を終えたあと、祈吏は池袋で画材を買い、ヨゼの邸へと向かった。
「おはようございます!」
「祈吏くん、おはよう。今日はカウンセリングが1件午後に入っているよ」
邸の応接間に入るとソファに腰かけたヨゼに迎え入れられる。手元にはタブレットがあり、耳で読書をしていたようで書籍の音声読み上げ機能を停止させた。
「すみません、お約束の出勤時間より少し早かったですかね」
「いいや。ここのバイトの出勤時間はざっくりだから問題ない。相談者のカウンセリングにさえ同席してもらえればOKさ」
「そ、そうなんですね」
(程よくゆるくてありがたいけど、時給が良い分何もしないのはなんだか気が引けるな)
この邸に出入りを初めて半月ほど。出勤はまだ4回目程度だ。祈吏はそろそろ勝手を覚えてきた頃だが、未だに華族階級が暮らすような豪奢な邸と特殊な勤務形態には慣れていない。
ヨゼが言った通り、基本相談者のカウンセリングに同席するのが主な業務だった。その他は夢前世への同行があるが、今のところ福田の件以降、夢前世へは行っていない。
それらの業務以外の時間は、基本自由にしてて構わない、というのが業務内容だ。
ひとまず先ほど購入してきた画材をどこへ置いておこうかと思案していると、廊下の向こうからティパルがやってきた。今日のメイド服は紺地にロングスカートと白のエプロン、長い髪はそのままでヘッドキャップを被り、クラシカルな装いだ。
「祈吏さま、おはようございます。本日はお手荷物が多いですのね」
「ティパルさん! おはようございます。午前中に池袋で画材を買ってきたんです」
「あら、画材ですか。何をご購入されたんですの?」
ティパルは嬉しそうに手を合わせ『天の川堂』のロゴが印刷された袋を見つめる。
「水彩絵の具です。絵を描く友人に福田さんの前世の絵を見てもらったら、色鉛筆以外を置いてみてもいいんじゃないかと言われまして」
「水彩絵の具ですか! 素敵ですわねぇ。色鉛筆の風合いも好きですが、水彩画もぜひ拝見したいですわ」
「あはは。ありがとうございます。でも黒の絵具ばかり使うことにならないようにはしたいですね」
というのも福田の絵を描いてから、ずっと黒い絵ばかりが枕元に置かれていた。今朝のものを含めるとかれこれ5枚は描いている。
すると祈吏の苦笑を察したヨゼが、ふいに声を掛けた。
「色々な画材を試すのは良いと思うよ。画材の好みや使い方で、祈吏くんの前世がどういった世界の人だったのか探れるかもしれない」
「はあ。確かに……。それは盲点でした。でも絵具を最後に使ったのは、高校の美術の授業くらいなのでちょっと心配ですね」
朝起きたらベッドが絵具だらけになっているかもしれない。それだけは避けてくれと、絵を描いている時の自分に頼むばかりである。
「きっと大丈夫ですよ。祈吏さまはあんなに素敵な絵を描けるのですから」
ティパルは祈吏の不安を払拭するかのように優しく笑む。そんな彼女の優しさが純粋に嬉しくて、祈吏は微笑み返した。
「ありがとうございます。ティパルさんにそう言っていただけると、なんだか大丈夫な気がしてきます」
(ティパルさんって細やかな心遣いができて、そのうえ優しくて本当に素敵な方だなあ)
和やかな空気が漂ったところで『あ、そういえば』と祈吏が声を上げた。
「相談者の方がいらっしゃるまで時間できちゃったので、お手伝いできることがあればさせてください!」
「あらあら。それは助かりますわ! ちょうどお願いしたいことがありましたの。お手荷物は別室でお預かりしますね――」
――その後、祈吏は荷物を邸に置き、ティパルからのお使いに出る。
内容は『今日の相談者の好きな飲み物の材料』が足りなかったので、近くのスーパーで買ってきて欲しいとのことだった。
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